テレビ(TV)でもネットでも、コロナの感染(死者ではない)や罹患の症状など暗いニュースが多い。8月は第二次世界大戦の特集も多く、悲惨な戦地や後遺症などの画像や老人の語りなどが多い。
果たして悲惨な状況で恐れを煽るのが良いのか。コロナ対策なら、死亡率は低いのを前提とし、パンデミック対策がもっとも必要な知見だ。そのために新規感染の防止と感染者の捕捉・隔離が重要であり、感染者の数だけを声高に報道するのは「大本営発表」と同じだ。データがあるなら、解釈するのが報道の矜持ではないのか。この報道姿勢は、考えさせないというファシズム体制に通じるものがある。さらに、自粛警察という地域・個人レベルでのファシズムまで出現している
第二次世界対戦の反省は
①日本の参戦の愚かさは何が原因だったのか
②政治体制、ファシズムを生んだ伊独日の特色はなにか
③そのファシズムを生んだ圧力はなにか
④現在懸念すべき世界大戦の要因とその対策はなにか
⑤安倍政権を問題と思うなら、提案はなにか
これらは、歴史の反省と考察がまずある。その後に、現在の政治・経済・文化の相違や紛争、利権を考え、個人が自分の意見と見解を持つことだ。
そのためには、明るく、建設的な分析や討論、ユーモアに昇華した笑いなどやり方はいくらでもある。
今日のメディアは悲観を売り物にする安物悲劇だ。考えた喜劇がない。明るさがないと、影の闇は対比されない。
ただ、メディアの中でも書籍は良いものが多い。しかし、500ページ上下を読む人は少なくなった。TVでは笑える教養番組としてモンティ・パイソンがあったが、今に新しく同じようなのが出ないものか。真に教養のあるものは笑いを誘いながら自説を述べる、報道番組もどきで専門違いの教授や博士がしたり顔でしゃべるのは「芸」であり論説ではない。無責任な放言と言っても良い。専門でもないものが肩書だけで見解を述べるのは、もともとの専門性に対する冒瀆と思う。
信用できるのは、データに裏付けられた知性と見解だ