吉村昭の歴史小説は誇張や美化がなく、主人公や事態の真価が、却って鮮明に浮かび上がります。
ここに紹介するのは、幕末に生きて、日本の将来に大きく貢献しながら、あまり知られていない2人の人物です。
その1)勘定奉行を務めロシア使節と対等にわたり合った
川路聖謨の生涯
表紙の絵は、ロシア使節の船
ディアナ号が嵐で沈没したあと、ロシアの図面により日本の船大工が建造した戸田号進水式の様子。もちろん、人間が意識的に大きく描かれています。実際の
戸田号は、もっと大きなスクーナーでした。
上下2冊からなり、川路聖謨と
プチャーチンが丁々発止とわたり合った日露外交交渉を中心に、終焉寸前の幕府を支えた有能で先進的な幕臣としての生涯が描かれています。
川路聖謨は貧しい出自を忘れず、幕府の重臣として奔走した時代も、質素な生活を家族にも家臣にも徹底させました。しかもユーモアのセンスに富み、外交交渉の駆け引きに優れていたにもかかわらず、終始一貫して誠意を貫いた「外交官・政治家の鑑・模範」とされます。
川路聖謨とプチャーチンは、互いの人柄を高く評価し、単なる交渉相手以上の深い結びつきが出来たようです。川路家とプチャーチン家の交流は今に至るまで続いています。
晩年は
中風で半身不随となり、官軍が江戸に迫った日、幕府に殉ずるためピストル自殺しました。
幕末の困難な状況を支え、明治時代への大きな礎を築いたのは、こうした有能な人々の功績です。
その2)幕末に西洋医学を学び明治の医療制度確立に貢献した
松本良順
オランダの医官
ポンペから当時の最新医学を学び、幕府の奥医師を務め、将軍
家茂を看取った松本良順は、
戊辰戦争のとき、
榎本武揚に函館への同行を求められながらも、
土方歳三に「その医学を今後の日本のため役立てて欲しい」と諭され、明治期の医療制度確立に貢献しました。
幕末といえば、××事件やら暗殺など派手な剣戟が知られていますが、最も重要な部分を支え、未来への道を切り開いたのは、川路聖謨や松本良順などのような、あまり知られない実力者たちなのだと思います。
著者は、こういう人物を他にも発掘し、地味ながら読みごたえのある歴史小説を書いています。
アマゾンで入手可能です。
落日の宴・上
落日の宴・下
暁の旅人
吉村昭の歴史小説を紹介した以前のボログ記事
3分と2分
ちょっと

蛇足
プチャーチンのロシア使節団には作家の
ゴンチャロフなど、多くの実力者が参加しており、ロシア帝国が日本との国交樹立を重視していたことが分かります。
ついでに・・・昨年末の夕暮れピンボケ写真