何故か直感的に「読んでみたい」と思う本が時々あるものです。
日本アマゾンで見つけ、届くと同時にあっという間に読んでしまいました
その1「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」
面白くて時々笑ってしまいました。
アマゾン「日本はなぜ・・・」
歴史の謎解きは、下手な推理小説より面白いのです。
例えば「織田信長を殺した真犯人は誰か」とか「リチャードⅢ世は本当はどんな人物だったか」とか・・・こうしたテーマは推定や空想しかできませんが、この本には、私が最近気にしていることへの解答がありました。
気にしていたのは「改憲が何故いけないのだろう?改悪は阻止すべきだが、改善なら構わないのに」ということでした。
戦後70年を極度に簡略化して言えば「戦後の占領体制の基本的枠組みが現在まで継続されている」ということです。
しかし、占領軍が意地悪で、そういう風に仕組んだ、というわけではないと思います。
第二次大戦を見る角度として、この頃ようやく世界的に普及(?)しているのが「冷戦の枠組みで考える」ということです。
その枠組みで見ると、日米の関係者が、それそれの立場と情勢判断から、大いに努力していたと思われます。
日米の多くの関係者が一番恐れていたのは「日本にソ連のような共産革命が起こったら大変だ」ということでした。
世界的に知られる日本国憲法第9条の第2項は、当時構想されていた理想の国連と国連軍を前提にしていたようです。
「正義の味方・国連軍」があれば軍備無しの日本でも大丈夫という前提があったのですが、理想の国連軍はできず、第2項はそのまま残りました。
このブログに以前「第9条と同じ条項を他の国々でも採用するよう勧めたら、どの国も断るだろう」と書きましたが、第9条第1項に相当する「戦争放棄」を掲げた憲法が他の国にもあることを、この本で初めて知りました。紛争解決手段としての戦争は行わないという意味の条項を憲法に入れているのは、イタリアとフィリッピンだそうです。
どこへでも出動して助けてくれる「正義の味方・国連軍」がいないのに、軍備を持たないというのは、大半の国々では、やっぱり不可能ではないかと思います。
例外のひとつは、非武装中立の
リヒテンシュタインで、軍備をスイス軍に任せています。そのスイスも永世中立国ですが軍があり、
独自の兵役制があります。
日本国憲法の改善の例として「領土内には一切外国軍基地をもたない」といった条項を盛り込むことですが、もう70年も米軍基地のある状態が常態になっているので、「なくなると困る」という人々もあるのではないかと思います。
原発が止められないのも、基地の場合と同様の背景からです。詳しくは本書をお読みください(と丸投げする

)。
その2「私の戦後70年談話」
アマゾン
41人の学者・文化人・政治家が体験談を語っています。とても面白いです
特に感動して笑ったのはノーベル賞受賞者
益川敏英教授の次の一節です。
学校ではまじめに勉強しなかった。(中略)宿題も<信念をもって>やっていなかった。ある時、母が心配して担任の先生に相談した。「先生、たまには宿題を出してください、うちの子、全然勉強しないので・・・」。すると先生は「毎日出していますが、お宅の子だけやってこないんです」・・・
ここから導き出される学術的結論は「宿題とノーベル賞は関係ない」ということです