前々回の続きです。
マイヤーリンク事件で知られる
ルドルフ皇太子の家具だけを選びました。
1)ベビーベッド
2)子供時代のルドルフの水彩画
3)これもルドルフの水彩画
想像力豊か、それとも本当の場面?
4)ルドルフが使っていたピアノ
王侯貴族が身につけるべき教養のひとつとして楽器演奏がありました
5)ルドルフの机
彼は優れた鳥類学者でした
6)ルドルフの使っていたインテリア
当時の
オリエンタリズムの一例
7)マイヤーリンクにあったルドルフのベッド
8)マイヤーリンクの寝室前に飾られていた木彫
9)一見、大型の箪笥に見えますが・・・
10)・・・実は秘密の出入り口
拘束された生活が嫌いだった母(
エリーザベト)も、宮殿からの秘密の出入り口をもっていました。
母エリーザベトは息子ルドルフとの接触を放棄していましたが、家庭教師は彼女自らが選び、その結果、進歩的な家庭教師の影響で、ルドルフ自身も共和国を理想とする自由主義者になりました。
当時、ドイツ帝国の
フリードリヒ・ウィルヘルム皇太子が嫌々ながら大学へ行かされたのに対し、ルドルフ皇太子の場合は大学へ行きたかったのに、伝統的な教育方針で、家庭教師から教育を受けたのです。
しかしルドルフは自由主義者との交友が多く、匿名でリベラルな新聞に論評記事も書いています。リベラルな進歩主義者にはユダヤ系市民が多かったのです。
父親のフランツ・ヨーゼフもユダヤ人に寛容だったので、父子は反ユダヤ主義者から「ユダヤ人の下僕」と呼ばれていました。
更にルドルフはオーストリアの地理や自然を網羅したオーストリア百科事典を編纂、これは「皇太子の作品」と呼ばれています。
当時の進歩的自由主義の教育を受けたルドルフは当然の帰結として君主制を嫌い、皇帝になるよりは、選出された大統領になりたいと考えていました。
ルドルフ皇太子のひとり娘である
エリーザベト女大公は、父の進歩主義を受け継いだのか、後年、社会民主党に入り「赤い女大公」と呼ばれました。