前回の残存城壁の上に立つ家は
パスクアラティハウスと呼ばれています。
右側手前、残存城壁の上の白い建物です
残存城壁の左端に日が当たっており、右側の影の部分がシュライフォーゲルガッセ(叫び鳥通り)、左側に見える日の当たった通りは、残存城壁(Basteiバスタイ)からメルカーバスタイと呼ばれます。メルカーというのは、この裏手にメルク修道院の所有する敷地・建物があるからで、今も、この裏側には「メルカー・シュティフトケラー」という名の地下ワイン酒場・レストランがあります。
メルカー・シュティフトケラーのHP(ドイツ語)
パスクアラティハウスの建物は1797年、
マリア・テレジア女帝の侍医だったパスクアラティ男爵のために建てられました。
男爵のほかにも宮廷人が住んでいましたが、現代の私たちにとって大切なのは、ここに
ベートーヴェンが住んでいたことがあるという史実です。ベートーヴェンが住んでいた最上階は記念館となっています。
ベートーヴェンは繰り返し引っ越ししていますが、ここには1804~1808年と1810~1814年の合計8年ほど住んでいました。パスクアラティ男爵もベートーヴェンの後援者のひとりでした。
記念館の内部
ベートーヴェンが住んでいた頃には、まだリンク通りもなく、ウィーン大学本館も建っていなかったので、随分眺めが良かったことと思います。
但し、階段で上がるんです。どうやら未だに階段で上がるみたいです。ベートーヴェン所縁の場所や建物は他にも色々あり、
ハイリゲンシュタットの遺書を書いた家は
ベートーヴェン・ミュージアムになっているし、というわけで、パスクアラティハウスにエレベーターを設置する必要はないのかも、かも…
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