前回触れた「ガリツィアへの旅」は、主にナチスによって抹殺されたシュテットルの面影を追うエッセイですが、その行程は複数の国を通ります。
その中で、簡単に言及されたボフダン・フメリニツキー(ロシア語ならボグダン)という名前が気になりました。東欧の歴史に詳しい友達によれば「ウクライナをロシアに提供した人物」ということで、「変わった人だなぁ」としか思いませんでした。
今回改めて検索して、様々な意味で東欧史におけるキーパーソンであることを知りました。特に重要なのは、同じ人物がウクライナとロシア(およびソ連)で全く逆に位置づけられていることです。
(画像はかなり大きかったので縮小しました)
ソ連時代のプロパガンダ映画のポスター
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/17/1c/0ba10d1e6c3189384f5f95b488c21df0.jpg)
ウクライナの硬貨のフメリニツキー
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2b/0c/3c3e5624153cdf224365c29a93adf975.jpg)
ボフダン・フメリニツキーは、ポーランド・リトアニア共和国支配下のウクライナ・コサックのヘーチマンで、1648年に反乱を起こしヘーチマン国家を樹立。
しかし、当時大国であったポーランド・リトアニア共和国に対抗すべく、ロシア・ツァーリ国と条約を結び、その庇護下に入りました。
この条約の解釈が、ウクライナ側とロシア側で全く違うのです。
ウクライナが一時的な条約とするのに対し、ロシア側はウクライナとロシアの恒久的再統合を取り決めた条約と解釈しています。
ロシア側の解釈を押し詰めれば、勝手に独立国を名乗るウクライナを併合するのはロシアの権利だということになるかも・・・
ウクライナの中にもフメリニツキーの結んだ条約は売国行為だという批判もあります。
しかし百歩譲って、条約が恒久的統合を決めたものだとしても、1654年の条約が今も有効とは思えませんね。
とにかくフメリニツキーの反乱以降、東欧の勢力地図が大きく塗り替えられたのです。
ポーランドは凋落の一途を辿りました。スウェーデンも東欧での影響力を失い北欧の国家となりました。
この辺りの歴史はゴチャゴチャしていて面倒です。
大洪水時代
北方戦争
ロシア・ポーランド戦争
これ以上関連項目をリンクしていくと世界史に発展してしまうので、以下略
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