みみずのしゃっくり

みみずのしゃっくりのように役に立たないことを不定期に書き込むブログ。
専属スターはいませんが、猫っぽい内容です。

ななみみず前身「みみざこ連」




仔ニャンコ・仔ワンコが新たなお家に迎えられるには、いつ頃が良いのでしょうか?
いわゆる「8週齢」問題については、こちらをご覧ください。六つ子の仔猫の動画もあります。

最新記事は、この下です↓
通常1日おきに更新の予定ですが、2日おき、あるいは3日おきになることもあるかも・・・(^v^;)

天空のネムさま

2010-05-08 | マウスらくがき


海月さんのブログのアイドルだった(尻)木霊のネムさま

昨年5月8日に虹の橋を渡られ天空生活1周年
海月さんの最新記事を読んで一瞬「出遅れ」と思いましたが、
まだ時間があったので、急遽マウスらくがき

ご存命中から「飛んでる」老「お嬢」だったので、ピンクにしてみました

風神に代わってネムさまに風を送っているのは、フユくんのつもり

オリジナルは遥かに美女です。海月さん、ネムさま、ごめんなさい




ネムさまのお供には、やっぱり、こんな方々が良いでしょう
ドイツ語でガルテンツヴェルク、英語でガーデン・ノウム(いずれも庭の小人)





ガルテンツヴェルクは単なる庭の飾りです。「猫の手」ほどにも働きません



復帰という転落

2010-05-06 | ぴんぼけ


かなるぐらんで薄暮の港に続いて、トリエステの複雑な歴史をごく簡単に紹介します

現代で言えばイタリア東北端にあたるトリエステは、北のオーストリア、東南のスロヴェニアによって、ゲルマン文化圏、スラブ文化圏と接しています。そのトリエステが、中世に神聖ローマ帝国(その後のオーストリア=ハンガリー帝国)の一部となったのは・・・

中世から近世のイタリア半島は、都市国家が互いに抗争する「戦国時代」だったからです!

トリエステは、強大なライバルであるヴェネチアに征服されるのを避けるため、ハプスブルク王朝の傘下に「身を寄せ」ました(つまりオーストリアの一地方になりました)。
ハプスブルク王朝が、ネーデルランド、スペインなど他の「沿岸領土」を失うと、トリエステは産業革命以降、王朝領内唯一の海港として黄金期を迎えました。これと前後して「一民族一国家」という民族主義が台頭します。その結果、バラバラだったイタリアはリソルジメント運動を経て1861年、イタリア王国となります。トリエステの市民の大半はイタリア人(他はオーストリア人、スロヴェニア人)だったにもかかわらず、まだオーストリア=ハンガリー帝国の一部でした。その反面、トリエステには豪華な建築の数々が建てられました。
第一次大戦でイタリアが連合国側から同盟国であるオーストリアに宣戦すると、トリエステはイタリアの側に立ってオーストリアと戦いました。

これがトリエステの「リソルジメント」で、市内に記念館があります。

館内の様子




イタリア統一のシンボル、ガリバルディの肖像


第一次大戦当時のイタリア軍の制服


当時トリエステの部隊が用いた市章入りの旗


そして、友達の親戚、O家の初代O氏の遺品


初代O氏は、本来ゲルマン系の姓を有するトリエステ市民でしたが、イタリア軍に加わるため名前もイタリア名に変えてオーストリアとイタリアの国境を突破。彼は戦死しましたが、その功績により、遺族には、イタリア政府から正式にイタリア語の姓を認められたのです。


では、トリエステの運命がどうなったかと言うと・・・

ハプスブルク王朝唯一の海港として栄えたトリエステも、イタリアに復帰すると、地方の海港に過ぎなくなりました。しかも第二次大戦後は、トリエステと周辺地域をめぐるユーゴスラヴィアとイタリアの対立で、しばらく宙ぶらりんに・・・
冷戦の時代は地中海沿岸地方における西側最東端で、言わば「地の果て」。念願の復帰を果たすことによって「辺境の目立たない海港」に転落したのです。
漸く冷戦時代の終結とともにトリエステにも新たな時代が訪れたようです。

オーストリアだった時代が長いため、市内の雰囲気はウィーンに良く似ていて、ウィーン風の伝統的なカフェハウスもあります。ウィーン伝統の料理やお菓子が、今でもトリエステに当時の名称で存在します。味も一級

とても複雑な話を、あまり簡潔明快にまとめたとは言えませんがご容赦ください

そもそもイタリアの歴史も複雑なのです
お暇と関心のある方は・・・
Wikipedia:イタリア
Wikipedia:リソルジメント
Wikipedia:トリエステ
などご覧ください

その他の項目は煩雑になるので一切無視



まめや

2010-05-04 | そこらへん


トリエステのお話は、まだ続くのですが、このブログらしく、ちょっと脱線して・・・
そこらへんへ寄り道 豆屋ではありません。市内で見かけた「豆粒」のように愛らしいお店


横断歩道の向こうにある「豆家」は小さなミルクスタンドのようなもの

去年の秋の写真です

下の看板に「旅行魔女」とあるので小さな旅行社のようです

ピンクの小さなお家がメルヘンチック

柳の横の小さなカフェ

日本だったら、おでんとかお蕎麦の屋台が出るところ

小さなお店の小さなショーウィンドー(主にドクロさん

5月1日(祝日)で閉まってましたが、刺青のお店らしい
ドクロさんたちの横に、何故か大仏さま(明らかに鎌倉の方)

「ピッツェリア・ピノキオ」

この建物左手の側壁に・・・

見事な大ラクガキと思ったのですが・・・

帰宅後よく見たら、古いCDとレコード!のお店のラクガキ風看板
今や「絶滅危惧種」となったレコード派には貴重なお店ですね
あ、これも5月1日で閉まってました(飲食店や旅行者用の店以外みんなお休み)




薄暮の港

2010-05-02 | ぴんぼけ


前回に引き続きトリエステのピンボケ写真です


夕闇に浮かび上がる市庁舎(イタリア統一広場)


広場の前、港に面した大通り


ホテル・サヴォイアの窓に映る残照


港の一角


ムッジャからのフェリーが到着



トリエステのすぐ南はスロヴェニア領ですが、せいぜい幅25~30kmで、その南側はクロアチア

トリエステの豪華な建物は、19世紀後半から王朝崩壊までの繁栄期を今日に伝えています。
トリエステは複雑な歴史を秘めています。
そのお話は、またボチボチ・・・