ちょっとオドロキ。
緑一色だった一部が白い。
空心菜の花だった。
こんなに大きな花が咲くとは思ってなかった。
初めて3本の苗をいただき植えた。
葉っぱ物が少ない夏、虫もつかず摘んでも摘んでも芽を出し重宝した。
熱帯が原産の野菜で花が咲いても来年芽が出る種はできないらしい。
水耕栽培もできるそうなので挿し木もできるだろう。
来年はいろいろ楽しみたい。
ちょっとオドロキ。
緑一色だった一部が白い。
空心菜の花だった。
こんなに大きな花が咲くとは思ってなかった。
初めて3本の苗をいただき植えた。
葉っぱ物が少ない夏、虫もつかず摘んでも摘んでも芽を出し重宝した。
熱帯が原産の野菜で花が咲いても来年芽が出る種はできないらしい。
水耕栽培もできるそうなので挿し木もできるだろう。
来年はいろいろ楽しみたい。
孔雀明王・コロナNOを創作しているがいつものようにスムーズには進まない。
ほぼ出来上がっているがいまいち。
一時保留。
NO1創作中に同じハイビャクシンをベースに違った色合いでNO2を創作したくなった。
時間がたてばいいアイデアも湧いてくると思いNO2に取り掛かることにした。
掃除したハイビャクシンの枝を並べて。
孔雀の形に組んだ。
4月から10月ぐらいにかけて咲くマリーゴールドが多いが畑で咲く種類は10月になって咲き始める。
去年苗を植えたのが今年は勝手に生えてくれた。
背が高く大きな株に育つので草封じになるうえ可愛い花を咲かせてくれる。
方々に生えたが2か所にして後は引いた。
生け花ようにたくさん切っても十分花を畑で楽しめる。
明日のごみ収集は休みだ。
いつもだと金生町の秋祭りで太鼓が鳴り響き山車が練り歩いている。
コロナ禍のため2年続きで中止。
ツタの実を見たのは初めてだ。
なぜ実だけがぶら下がっているのだろう。
下に葉っぱがあるのでツタの実には間違いない。
どっかでつながっているのだろう。
毎日通る道端だが花が咲いたときは気が付かなかった。
毎年畑では白いセロシアが花を咲かせてくれる。
ピンク色も欲しいと思っていたら畑そばの普段は水の流れない側溝で咲いた。
畑に沿ってあるので時々草引きをする。
食べられる草やきれいな花が咲く植物は引かないが誰かに引かれているときがありがっかりする。
種をつけた花があったので畑へ蒔いておいた。
先月はコロナ禍のため開かれなかった切山にこにこ市が開かれた。
時々新宮の人が出店するが今回は思わず新宮名物のお茶が入ったおせんべいを買ってしまった。
ノーベル賞効果というのか先日地元出身の真鍋淑郎さんが受賞した。
新宮が今後どんな変化を起こすのか、起こさないのか。
畑のいたるところで咲き始めたマリーゴールドとはやばやと生ったハヤトウリと。
近くの愛宕山より四国中央市遠望。
ススキもセイタカアワダチソウも花盛り。
地鎮祭を終え一週間ほどして隣の工事現場からすごい音が聞こえてきた。
ボーリング工事が始まったようだ。
セメントと書かれた施設。
立派な事務所まで建った。
現場には7:30分には出勤し、8:00分には機械の音がする。
工事現場で8人の人たちがきびきび動く姿を見るのは気持ちがいい。
ボーリンク工事が終わり地面にセメントを流す工事が始まて一週間ほどたった土曜日。
3日月と一番星が輝く時間になっても電池をつけて稼働していた。
日曜日だけでも休みたいのだろう。
翌日眺めると足場が組まれ始めていた。
セメントを流す工事のため掘った土が積み上げられている。
何のためにセメントを流すのか、乾いたセメントに書かれた記号は何を表すのか何もわからないが次々と進む工事を眺めるのはとても楽しい。
畑そば、側溝のセメントの縁と隣の境のセメントの直角の場所にツルを伸ばしカラスウリの葉が一枚づつ等間隔に並んでいる。
造化ではありません。
土がない場所なので造化のようだ。
簡単にはがせないように直角の隙間にツルを食いこませている。
這い上っているツルもあり。
畑にユキヤナギやギョリゥウバイが植わりほぼ日は当たらない。
花が咲き実がなることはない。
それでも精一杯生きている。
時々見に来て元気をもらおう。
コロナ禍のため息苦しいムードが2年近く続いている。
第37回野草(イエツアオ)ではコロナをテーマに創作した。
今蔓延は小康状態だがマスク、三密を避ける、ワクチン接種をしてもコロナ感染は収まらなかった。
自然現象なので今までのように収まる時期が来なければ収まらない気がする。
息苦しさは気持ちの持ちようだ。
とうとう仏教に思い至り第38回野草(イエツアオ)展のテーマは仏教にした。
去年の年末より身近にいていただくことにした孔雀明王様をイメージできる素材が見つかり制作中。
素材は枯れたハイビャクシン。
思いっきり華やかにしたいが素材の素朴さも生かしたい。
それに息苦しいコロナムードも出したい。
とりあえず布で色を決めた。
後どんな素材が入るのだろう。
ハヤトウリの勢いが止まらない。
左に植わっているケムリノキを覆いつくした。
右側に植わっているブルーベリーの木に絡まったのを取り除き続けている間にもう切る以外取り除けなくなっている。
覆われたケムリノキ。
先日隣の塀を超え柿木に絡まったのを取り除いたのがぶら下がっている。
作り始めて10年以上。
こんなに勢いのいい状態は初めてだ。
一本から400個ほどなると楽しみにして植えたがそんなになったことはない。
4本植わっている。
いつもより早く花も咲きはじめた。
忙しい収穫作業になるだろう。
今年の夏は梅雨並みに雨が多かった。
そのためかもしれない。
山小屋植物園初めてのお客様だがメイン植物のツバキやツツジ、カンピザクラの時期ではない。
幸い近くに時々草刈りされる土手のある池がある。
山小屋植物園へのコースでは必ず立ち寄ってもらうポイントに考えている。
いつ行っても何か季節の花が咲いているからだ。
ススキが花盛り。
ここでしか見たことのないナガミシロバナワレモコウ。
ススキと競うように沢山咲いていた。
一度刈られ短くしまった状態で可愛く咲いた野菊。
錆びた色が魅力的な鉄製品に生けたような状態で生えているヒメムカシヨモギか?
ケイタイで写し検索している植物仲間。
すぐ検索できるようだ。
検索しているのはピンク色のミゾソバ。
山小屋での今一番見ごろはヒマラヤスギの実だ。
屋上に登るとまじかで見られる。
植物仲間が見たがっていたので喜んでいただくことができた。
切り倒したヤマモモも木から勢いよく新芽が出ていた。
目を引くような花は咲いてなかったが植物に興味があれば何かしら心弾む時間が過ごせそうだ。
昨日より四国中央市が全国にユースで連呼されている。
新宮出身の真鍋淑郎さんがノーベル賞を受賞されたからだ。
土佐街道で興味があり時々行っているが過疎化傾向にある場所だ。
これがきっかけに勢いのある場所になればと願っている。
4月から8月にかけての4か月間椿、つつじ、カンピザクラなどの植物園構想により山小屋周辺を整備した。
植物好き仲間が見に来てくれるというので下準備に行く。
日当たりがよくなった柿を見に行くと8個なっていたがもう2個は鳥に食べられていた。
食べてくれと言わぬばかりに目立つ場所になっているのは少し早いが切った。
山小屋に生けて仲間を迎える花材としよう。
思いがけぬ花材だが花瓶はない。
急きょペットボトル花器に生けた。
去年より山小屋にいていただくことになった孔雀明王さまの居場所には我が家の稼業だった手すき和紙をすく桁と流木に書いた般若心経を飾っている。
70年近く前の映画を見た。
その時代にしかできない映画作品だと思うと期待いっぱいで行った。
”西鶴一代女”と”雨月物語”1952年、1953年作。
白黒作品で大きな音のわりにセリフが聞こえなかったがとても美しい画面で十分満足できた。
一緒に行く妹のきんかんが前売り券を預かってくれるというのに断ってしまったがやっぱしなくしてしまいもう一度当日券を買っての鑑賞だったが惜しくなかった。
もう公共の場ではマスクなしでは入場できない状態だ。
幸いいまぴったしの菊の花柄らマスクをいただいている。
頑張ってして行った。
コロナ禍が始まって2年近くになるがまだ収まる気配はない。
その間に目まぐるしく新しい3人目の総理大臣が先日決まった。
100年前の疫病は2年ほどで終息したのでもうそろそろかもしれない。
昔より疫病の解明は進みワクチンまでできたが完璧に効くことはなくコロナ禍期間は昔と変わらない。
情報が多いだけ社会の閉塞感は100年前より大きかったかもしれない。
畑のオギザリスは根を掘り起こして処分したり引っこ抜いても時期になると芽吹き可愛いピンク色の花を咲かせる。
台風16号も関東地方を吹き抜けていった。
自然現象は人間社会なぞどこ吹く風だ。
第38回野草(イエツアオ)展に展示する”孔雀明王”の創作が始まったが素材がすべてそろっているわけではない。
創作に行き詰まると手持ちの素材を出してみる。
かなり前にいただいた古い帯が出てきたので広げると立派な孔雀模様が織り込まれていた。
すぐ使えるように解いているので何度か見ているはずだが気が付いてなかった。
このカードもかなり前にいただいていたが孔雀明王の創作を決めた後すぐ長年整理しなかった場所を整理しているときに発見。
きれいなカードだと思っていたが孔雀がプリントされているという意識はなかった。
帯に織り込まれた孔雀を発見するまではこのカードを手元に置きながら創作していた。
いつものことだが見ているようで見てない。
創作モードになると資料や素材が次々と現れ自分ではなく何かにさせていただいている気分になる。
創作させてもらえると思うが不安いっぱい。
どんな孔雀明王が出現するのだろう。