おいしい野菜をつくろう

採れたて野菜は おいしい!

じゃがいものガレット

2015-09-09 | おいしい物
スペイン風オムレツ(ジャガイモ入りオムレツ)のことを載せた時 
よしこさんからのコメントで じゃがいものガレットのことを 思い出しました

とにかく ジャガイモをせっせと食べなきゃならないので 今夜は その ガレットにしました
大きなジャガイモ3個分です  千切り用スライサーで切りました



間に ベーコンをはさむようにしました
中火と弱火の間くらいで 裏表 各10分ほど焼きました



直径は 18cm   厚さは 1.5cmくらい
表面はカリッ  中はしっとり…
美味しかったです
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汐止晩生ネギ

2015-09-09 | ネギ類
お昼前後は 激しい雨で 庭も畑も 水浸し!
このまま 降り続いたら 床下浸水か…と 心配しましたが
幸いなことに 14時前には 雨があがり 日もさしてきました

今後の予報も 降っても少しだけ…のようで 本当に助かりました
県内各地に 避難勧告が出たようですが 多分 大きな被害はなかったのでは…?


午後 畑に行って 汐止晩生ネギを 1株抜きました
雨が降った後なので ズルっと 簡単に抜けました
1本が5本に 分げつしていました



本当は もっと生長してから採るのでしょうが 買い物に行けなかったので 薬味用に採りました


畑は 気をつけないと ズボッと 長靴が 泥に埋まってしまいそうです
土が乾いたら 第2期大根の畝を 完成させたいです

トレイに蒔いた 葉物の芽も 徒長していましたが
なんとか 間引いて 1ヶ所2~3本にしておきました
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蚕の病気と富岡製糸場の関係

2015-09-09 | つぶやき
富岡製糸場は 官営の製糸場として 明治5年に操業を始めていますが
そもそも なぜ日本の生糸が そんなに海外に 輸出されたのか…? 

学校で習った歴史では 日本は明治初期から 軽工業(繊維工業など)が盛んになった
富岡製糸場も 明治政府の殖産興業政策の一環として 造られた官営工場であることも習いました

昨日 富岡製糸場の有料ガイドさんの話で すごく納得できたことがあります
それは 日本の生糸生産が ヨーロッパで どうしても必要だった事情があったということなんです



フランスの王妃マリー・アントワネットは、次から次にドレスを作り贅沢をしていたが、
そのドレスの材料といえば「絹」である。

「絹」は、蚕の繭からとった天然繊維で、「蚕」が欠かせない。

だが、フランスの蚕に1854、55年頃(明治維新の10年ちょっと前あたり?)に
疫病が流行し壊滅的状態
となった。

この状態を救ったのが、「日本の蚕」だった。



そもそも、養蚕と絹は、中国からヨーロッパへ、シルクロードを経由して伝来したといわれ、イタリアがヨーロッパの養蚕業発生の地で、ローマ時代にはすでに養蚕業が行われていたという。

フランスにはイタリアから伝わり、16世紀半ば頃リヨンで絹織物の生産が始まったが、
早くも16世紀後半からは宗教戦争の影響で衰退した。
しかし、17世紀に入ると回復し、生産の拡大を続け、1720年頃に繁栄期を迎えた。
1760、70年代から伸び悩み、1780年代には需要の減退により生産量が低下した。

その後、19世紀半ばのナポレオン3世の頃には、リヨンは絹織物の世界的中心地となっている。
再び繁栄期を迎えたにもかかわらず、1854、55年頃に蚕の疫病が蔓延してしまい、
イタリアでも同様な状況だったため、1854年に開国したばかりの日本から蚕種紙(蚕の卵が産み付けられた紙)を輸入した。
中国からも生糸を輸入したが、中国では太平天国の乱(1851~64年)が起こっていたため、貿易においては日本が有利だった

 


上記は ネットで探した記述ですが ガイドさんの話を補足するために調べたのです


明治初期に 日本の生糸が ヨーロッパで必要とされた理由が よく分かりました
富岡製糸場に 指導者として招へいされたブリュナさんが フランス人だったことも これで納得!
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