フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月2日(月) 小雨

2008-06-03 03:00:28 | Weblog
  午後、昼食をとりにがてら散歩に出る。いつもであれば「鈴文」へ行くところだが、すぐ側で建物を取り壊すブルドーザーの騒音がひどく、暖簾をくぐる気になれなかった。昼間はもう限界かもしれない。「テラス・ドルチェ」で豚肉生姜焼き定食を食べる。最近、喫茶店の「○○定食」というものに心ひかれるようになった。少し前までスパゲティ(とくにナポリタン)ばかり注文していたが、いまは「○○定食」である。先日、梅屋敷商店街の「亜胡」という喫茶店で食べたハンバーグ定食には蜆の味噌汁と冷奴が付いていたが、洋食屋のハンバーグ定食ではなく、定食屋のそれに近い感覚である。しかも、定食屋とは違って、食後にちゃんとした珈琲が出る。喫茶店で食事をすることの利点の1つは、珈琲が単品で注文するより割安になることである。「テラス・ドルチェ」の豚肉生姜焼き定食にもちゃんとサイホンで淹れた珈琲が付いて、千円札でお釣りが来る。「鈴文」のとんかつ定食(950円)とほぼ同じ値段だから、とんかつ定食を食べてから食後の珈琲(とんかつの後は珈琲である)をここで飲むよりも珈琲一杯分が浮く計算になる。もちろんこういう計算は喫茶店の食事が不味ければ意味のないものなのだが、昔ながらの喫茶店は食事もちゃんとしたものを出す。そうでなければサラリーマンやOLの支持を得ることができず、今日までやってこれなかったろう。先週のTVドラマ「チェンジ」で総裁候補の木村拓哉が現代のサラリーマンの平均的昼食代が600円であると言っていたが、そうだとすると(そうなのだろう)、現代のサラリーマンは食後の珈琲を飲まなくなったのであろうか。それは明らかに食文化の質の低下ではなかろうか。時間がないのか、お金がないのか、その両方なのか。「昼食=食事+食後の珈琲」という公式が崩れ始めたのは一体いつ頃からなのであろうか。
  しばらく喫茶店で読書をしてから(これが喫茶店で食事をすることのもう一つの利点である)、ジムへ行く。60分のウォーキング&ランニングで640キロカロリーを消費。ディスプレーに「焼肉弁当一個分」に相当という表示が出ていた。焼肉定食と焼肉弁当は同じとはいえないが、気分的に、昼食で摂取したカロリーを全部燃焼した感じがしないこともない。今日のランニングの速度は時速9キロから初めてラスト3分は時速10キロで頑張った。このぐらいの速度になると汗の量も増えるので走行中の水分補給が必要になってくる。次回からはマラソン選手がレース中の水分補給に使うようなストロー付きの水筒を持参することにしよう。
  ジムの後、「ルノアール」で読書。くまざわ書店で、橋口譲二の写真集『17歳 2001-2006』(岩波書店)を購入。20年前、当時の全国の17歳を撮った写真集『十七歳の地図』(文藝春秋)を出版した橋口が、再び17歳を撮ろうと思ったのは、「僕ら人間をとり巻く環境が様変わりしてしまった」と感じたからである。

  「前作の「17歳」の撮影の際、声をかけて断られた人の数は確か3、4人だった。だが今回は、何人に断られたか分からないぐらい断られてしまった。「時間が無いです」「目立ちたくないから」「自分は遠慮します」「バイトがあるから」・・・少年少女の暮らしの中から自由で余剰な時間が消えていた。何がそんなに少年たちを忙しくさせてしまっているのだろうかと、不思議でしかたがなかった。(中略)ただ、「17歳」の少年少女たちが撮影を断る時の理由を注意深く考察すると、少年少女たちが置かれている状況を推し量ることができた。そして同じようなことを、撮影を受け入れてくれた少年少女のモノローグにくみ取ることができた。友達同士で顔を見合わせて「僕はいいです」と断る彼らを見ていると、友達と一緒にいながらもたえず周りを気遣い、突出することを恐れているかのようだった。」

  来年度からのゼミでは、ライフストーリー・インタビューが重要な位置を占める。相手は誰でもいい。あなたがその人の話を聞いてみたいと思った他人にインタビューを申し込んで、ライフストーリーを話してもらいなさいという課題を出すつもりだ。しかし、橋口の観察が正しければ、ある年齢以下の人へのインタビューは難しいことになるだろう。写真を撮られるのも断るのだから、身の上話なんてなおさらだろう。見知らぬ他人同士が話をするための新たな作法から開発していかなくてはならない。