昼過ぎに自宅を出て、川崎経由で、南武線の武蔵溝の口へ。8月10日に清水幾太郎の没後20年ということで学習院時代の清水の教え子たちが偲ぶ会が開くのだが、そのときに講演をしてほしいと頼まれていて、今日は幹事のM氏・T氏のお二人と食事をしながら打ち合わせ。ゲストスピーカーとして田中健五氏(元文藝春秋社長)と森田実氏(政治評論家)もいらっしゃると聞いて、びっくりする。田中氏は雑誌『諸君』が創刊(1969年)されたときの編集長で、学習院を辞めた清水が論壇にカンバックする後押しをした人である。森田氏は1950年代後半の東京砂川の米軍基地反対闘争のときの全学連の幹部で、清水とはそのとき以来の同志的(というよりは親分子分的)関係にある人である。どちらも生前の清水を知ること私の数百倍、いや数千倍で、とてもじゃないがお二人を目の前にして講演(清水幾太郎論!)ができるほど私の心臓は毛むくじゃらではない。釈迦に説法、マックス・ウェーバーに社会学講義とはこのことだ。だが、この場に及んで(もう案内状も準備されているのだ)辞退はできないから、私の講演をお二人のスピーチの前に(前座として)もってきてもらうことで、折り合いをつけた。パーティーでお二人とお話ができるのを楽しみに、講演の準備をしよう。
帰りにラゾーナ川崎の丸善に立ち寄り、本や文房具を見て回る。結局、1時間半ほど滞在して、購入したのはノート一冊。本屋と文房具屋は私にはアミューズメントパークのようなものであるから、散々楽しんで、何も買わずに出てきては申し訳ないような気がするのである。蒲田に着いて、電車の中で読んでいた有島武郎の「お末の死」という小説を「ルノアール」で最後まで読む。私のそばのテーブルで、占い師と思しき年配の女性とお客の若い女性とが熱心に話をしていて、ついつい耳がそちらの方へ向いてしまう。
「好きな人がいるでしょ?」
「ええ。好きというよりも憧れている方が」
「どんな方?」
「学校の先生なんです」
「小説家になりたいのですが、いつデビューしたらいいでしょう?」
「それは簡単に実現する夢ではないわ。地道に努力することね。10年。10年は努力しなさい。」
「はい、わかりました」
札幌の貧民窟に住む14歳の少女が自殺をするまでの話も興味深いが、こちらの話も興味深かった。あんなこと、占い師の人に話したり、まじめに尋ねたりするもんなんだ、と思った。そういえば、私はこれまでの人生で進路について他人に相談したことが一度もないな、とも思った。
帰りにラゾーナ川崎の丸善に立ち寄り、本や文房具を見て回る。結局、1時間半ほど滞在して、購入したのはノート一冊。本屋と文房具屋は私にはアミューズメントパークのようなものであるから、散々楽しんで、何も買わずに出てきては申し訳ないような気がするのである。蒲田に着いて、電車の中で読んでいた有島武郎の「お末の死」という小説を「ルノアール」で最後まで読む。私のそばのテーブルで、占い師と思しき年配の女性とお客の若い女性とが熱心に話をしていて、ついつい耳がそちらの方へ向いてしまう。
「好きな人がいるでしょ?」
「ええ。好きというよりも憧れている方が」
「どんな方?」
「学校の先生なんです」
「小説家になりたいのですが、いつデビューしたらいいでしょう?」
「それは簡単に実現する夢ではないわ。地道に努力することね。10年。10年は努力しなさい。」
「はい、わかりました」
札幌の貧民窟に住む14歳の少女が自殺をするまでの話も興味深いが、こちらの話も興味深かった。あんなこと、占い師の人に話したり、まじめに尋ねたりするもんなんだ、と思った。そういえば、私はこれまでの人生で進路について他人に相談したことが一度もないな、とも思った。