フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月12日(木) 雨のち晴れ

2008-06-13 11:47:06 | Weblog
  朝方、かなりの雨が降り、夕方、青空が広がった。よいパターンだ(少なくとも逆よりはいい)、と私が思うのは、たぶん、自宅を出る時刻が遅いからであろう。昼前に私が家を出るときは、雨はもう止んでいた。
  3限の大学院の演習は、3週でワンセットで、1週目に『編年体大正文学全集』の所定の巻の「解説」を参考に各人が考察の対象とする作品を定め、2週目と3週目に各人の報告というサイクルになっている。今日は「大正3年」の1週目だが、今回の「解説」は、当時の社会状況と作品の関連性の説明が大雑把であったり、女性を主人公とした作品群の分析がジェンダー論としては浅薄だったり、フロイト理論の場当たり的な適用が鼻についたりと、社会学をやっている学生たちにはあまり評判がよろしくなかった。もっとも私はそんなには気にならなかった。美術館のガイドさんの説明が通りいっぺんで退屈なときは、適当に相槌を打って、自分の目で作品そのものをながめていればいい。初めて出会う作品も多く、そうした作品の前に自分をつれていってくれたことに感謝しながら。
  授業の後、遅い昼食を「シャノアール」でとる。たまごトーストと珈琲を注文。禁煙席は満席だったので、窓際近くの喫煙席に座った。喫煙席は空いており、そして喫煙席に座っている客がみんな煙草を吸っているわけではないから(現に私がそうだ)、混雑した禁煙席よりかえって快適なこともある。来週の大学院の演習で取り上げる作品の一つに決まった志賀直哉「児を盗む話」を読む。ずいぶん昔に読んだはずだが、内容はほとんど覚えていない。改めて読んでとても面白かった。志賀直哉にしては珍しいフィクション(女児誘拐犯が主人公)で、ナボコフの『ロリータ』に通じるところがある。もっとも、女児誘拐はフィクションでも、舞台となっているのは直哉には縁のある尾道であることは明らかで、主人公の青年の閉塞感や孤独感は当時の直哉の心理を反映していると思われる。

         

  大学からの帰り、「飯田橋ギンレイホール」に寄って、会員権の更新を手続きをしたついでに(あまり期待せずに)、上映中の『やわらかな手』を観た。60代くらいの未亡人が、難病の孫の治療に必要な費用を捻出するために、風俗の店で働き始めるという話だ。生真面目さと滑稽なところが入り混じった味わいのある作品だった。彼女の人生のこの時期に、こんな凛とした瞬間が訪れようとは、誰も(本人も)思わなかったはずで、それはまさに「マジックアワー」というべきものだろう。