フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月1日(金) 晴れ

2009-05-02 12:56:46 | Weblog
  8時半、起床。ブログの更新をしてから、ベーコン&エッグ、トースト、アイスティーの朝食。ワセオケのアーリー・サマー・コンサート(6月7日、於.新宿文化センター)のチケットをネットで申し込む。今回の演目は以下の通り。

  モーツァルト/歌劇「魔笛」序曲
  ハイドン/交響曲103番変ホ長調「太鼓連打」
  スメタナ/連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」
  ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調「英雄」

  会員資格が2月で切れてしまっているので、更新を先に行わないと申し込みができないかもしれないと、事務所に電話をして確認したが、更新をしていただけるなら後からでも大丈夫と言われたので、その旨を書き添えて申し込んだ。
  昨夜、ネットで注文した『剣客商売全集』の代金(先払い)を振り込みに郵便局に行き、その足で銀行にも行ってワセオケの会費を振り込む(更新完了)。
  東口のイタリアンレストラン「あづき」で昼食をとる。たらこと水菜の冷製パスタを注文。麺の量を普通(200グラム)、大盛り(250グラム)、特盛り(400グラム)のどれにするか聞かれ(料金は同じ)、普通を頼んだのだが、この普通は女性客を基準にしているようで、大盛りにすべきだった。 サラダが付いてくるのだが、それがかなりの量で、これだったらパスタの水菜は必要なかった。野菜がメインの食事をしているようだった(草食系だろうか)。料理の味も店内の雰囲気も悪くないので、次回はナポリタンを大盛りで頼むとしよう。珈琲が付いて850円は安い。

         
                    両方ともサラダみたいだ

  今日は東急大井町線の上野毛へ散歩の足を伸ばす。蒲田から多摩川線に乗って多摩川(終点)まで行き、東横線に乗り換えて2つ隣の自由が丘まで行き、そこからさらに大手町線(二子玉川方面)に乗り換えて4つ目だ。直接の目的は五島美術館で毎年この時期だけ展示される「源氏物語絵巻」(国宝)を観ることだが、より包括的な目的は評論家加藤周一(昨年末死去。享年89歳)の住んでいた上野毛の街を歩いてみたいということであった。一度、大井町線の車内から上野毛駅のホームのベンチに座っている加藤周一を見かけたことがある。傍らには奥様(矢島翠)がいらした。足腰がいくらか弱っていたような印象が受けたが、眼光は鋭かった。彼の目に上野毛の街はどのよう写っていたのか。『加藤周一著作集』第15巻「上野毛雑文」の「あとがき」の一部を引く。

  「上野毛は、多摩川東岸の低い台地にあって、今では環状八号線がその真中を
通っている。私が移り住んだ頃には、郊外電車の駅を中心にしていくつかの商店がならび、近所に学校や寺や修道院があって、建ちはじめたばかりの平屋の住宅の間に、まだ広く畠が残っていた。もとより格別の名所でもなく、風光明媚の地でもない。爆撃で焼き払われた渋谷の土地を売って、安く買える土地がたまたまそこにあったから、そこに来たのである。
  しかし住めば都である。私の家の近くには五島美術館があって、焼物の逸品を備えるばかりでなく、また名古屋の徳川美術館と共に現存する『源氏物語絵巻』を二分して蔵することは、人の知る通りである。駅前にパン屋があり、「モンテ・ヤマサキ」という。「モンテ」はすでに「ヤマ」だから、いささかくどい名まえにはちがいないが、その店に坐る太ったおかみさんには、泰然と迫らない一種の風格がある。また酒屋のおかみさんとは、ブルガリア産の赤ぶどう酒の安くてコクのあるやつを、値切って買ったときから知合いになった。「こういうのは、なかなか出ないねえ」とおかみさんはいった。「何が出るかね」。「そりゃ、フランスやドイツものさ。名まえが通ってなけりゃダメなんだよ」。「これは全く掘出しものだね。まとめて買うやつは他にいないのかな」。「いや、一人だけ、修道院のイタリア人の神父さんが買ってった。素人向きじゃないのさ」。というわけで、ぶどう酒の味を知るのは、まだ会ったことのないイタリア人の神父さんとおかみさんと私と、上野毛では三人だろうということになった。
  また大きな通りに面して、よほど注意してみないと見過ごしてしまうほどの小屋があり、そこで、中年の男がただひとり時計と眼鏡の店をやっていた。男は店の前の道路を、誰にも頼まれないのに、ときどき掃いて、「道は綺麗にしておいた方が気持がいいですよ」といっていた。散歩か買物で駅の方へ出かけたついでに、私はよくその男の店へ入って―相客がいたことは一度もない―、一服して雑談し、上野毛の商店街の噂話などをした。私が旅先から帰ると、「しばらくお見かけしなかったが、今度はどちらでしたか」と男はいった。その話題は決して一身上のことに触れず、私は相手の名まえさえも知らなかったが、彼もまた私の名前を知らなかったろう。しかしわれわれの話題が尽きるということはなかった。思うに私事に触れることなくして会話を愉しむことができるのは、文明の習慣の一つである。それが上野毛の時計屋の店頭であろうと、パリはラテン区のカフェーのテラスであろうと、そのことに変わりはない。しかしあるとき私が旅先から戻ってみると、時計屋の小屋はかき消すように消えて、男が何処へ行ったのか、もはや知る術もなかった。」

  ここには、パン屋のおかみさん、酒屋のおかみさん、時計屋の主人という3人の他者との交流を通して、加藤周一と地域社会とのかかわり方が端的に描かれている。「私事に触れることなくして会話を愉しむ」―それは一言でいえば「社交」ということである。「社交」は村落共同体のような強い眼差しの交錯する場所では育たないし、反対に他者への眼差しが微弱な場所でも育たない。
  「あとがき」が書かれたのは1979年である。いまから30年も昔のことである。駅前に「モンテ・ヤマサキ」というパン屋を見つけることはできなかった。「駅前」の範囲はおのずから限られているから、私が見落としたわけではなかろう。時計屋はすでに30年前の時点で消失していた。あとは酒屋だが、たぶんこれだろうという店があった。ワイン中心の洒落た雰囲気の店で、奥のカウンターでは試飲ができるようになっている。女主人は私と同じくらいの年配に見え、30年前に加藤周一と会話を交わしたおかみさん本人ではなく、その娘さんではないかという気がする。もちろん私の勘以外のなにものでもなく、もしこれが古本屋であれば、躊躇することなく店内に入っていって、「ここに加藤周一さんがときどきいらしていましたか?」と社交的な会話を試みることができるのだが、酒屋ではね・・・、下戸の私はワインに関する知識は皆無で、話を聞かせていただいたお礼にワインを買って帰るということもできない。

         
              私の直感に間違いがなければ・・・ここです。

  五島美術館は環八を渡った先の閑静な住宅街(というよりもお屋敷街)の中にある。展示室は1つだが、庭園が広大で、「源氏物語絵巻」をじっくり鑑賞してから、庭園の一角にある休憩所(こぶし亭)で『剣客商売』を読んた。物語の時代にタイムスリップして、峠の茶屋で、一服しているような気分がした。

         

         

         

  小腹が空いてきたので、上野毛駅に戻る途中の「アンクルサム」という店に入って(美術館でもらった「周辺お食事マップ」に載っていた)、グリルドチキンのホットサンドウィッチと珈琲を注文した。これがすこぶる美味しかった。

         
              岩塩と胡椒をたっぷり振りかけていただく

  ちょうとよい時刻だったので、多摩川で途中下車して、丸子橋の上から沈む夕日をしばらく眺めた。鉄橋の上を東横線の電車が何度も行き交っていた。