フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月29日(金) 雨

2009-05-30 11:40:09 | Weblog
  今日は村上春樹『1Q84』(新潮社)上下巻が出る日だ。本当は昨日の夜には大きな書店では並んでいたのだろうが、購入してもすぐには読めない(授業の準備がある)ので、今日、3限の講義を終えてから、生協で購入し、それをもって食事に出た。「天や」で小天丼とうどんのセット。いま読み始めても、5~7限と授業なので、中断されてしまうのだが、我慢できずに1章だけ読む。

         

  アマゾンからのお知らせメールで『1Q84』が出ることは数ヶ月前から知っていたが、そのときは『1Q84』の「1」をローマ字の「I」と見誤って、知能指数84の(でも純な心をもった)少年が主人公の冒険譚かと勝手に想像していたのだが、「1984」だったのね・・・。ジョージ・オーエルが1948年に発表した小説と同じタイトルではないか(「9」を「Q」と表示することで著作権問題は回避されている)。もっとも『1984』が近未来小説であるのに対して『1Q84』は近過去小説だ。しかも実際の1984年とは微妙に(?)ズレた世界、もう一つのありえたかもしれない世界が描かれているらしい。主人公は2人いて、1人は青豆という姓の女性だ。変わった姓だが本名だという。3限の講義のテーマが「名前」だったので、もし一日早く読んでいたら、次の箇所など教材として使えたのになと思った。

  「名前を名乗るのがいつもおっくうだった。自分の名前を口にするたびに、相手は不思議そうな目で、あるいは戸惑った目で彼女の顔を見た。青豆さん? そうです。青い豆と書いて、アオマメです。会社に勤めているときは名刺をもたなくてはならなかったので、そのぶん煩わしいことが多かった。名刺を渡すと相手はそれをしばし凝視した。まるで出し抜けに不幸の手紙でも渡されたみたいに。電話口で名前を告げると、くすくす笑われることもあった。役所や病院の待合室で名前を呼ばれると、人々は頭を上げて彼女を見た。「青豆」なんていう名前のついて人間はいったいどんな顔をしているんだろうと。
  ときどき間違えて「枝豆さん」と呼ぶ人もいた。「空豆さん」といわれることもある。そのたびに「いいえ、枝豆(空豆)ではなく、青豆です。まあ似たようなものですが」と言う。三十年間の人生でいったい何度、同じ台詞を聞かされただろう、どれだけこの名前のことで、みんなにつまらない冗談を言われただろう。こんな姓に生まれていなかったら、私の人生は今とは違うかたちをとっていたかもしれない。たとえば佐藤だとか、田中だとか、鈴木だとか、そんなありふれた名前だったら、私はもう少しリラックスした人生を送り、もう少し寛容な目で世間を眺めていたかもしれない。」(13-14頁)

  「こんな姓に生まれていなかったら、私の人生は今とは違うかたちをとっていたかもしれない」という部分は、何かの伏線なのだろうか。
  5限は基礎演習。3人の報告を聴く。消化不良や説明の不手際の部分はあるものの、3人とも「語り」として成立していた。聞き手を引き込む力をもった「語り」だった。言い換えれば、自分の勉強したこと、インタビューしたこと、考えたことを、何とか聞き手に理解してもらおう、聞き手にちゃんと届けようという強いモチベーションに支えられた報告だった。これは先週の4人にもあてはまる。先頭打者から7人が連続でヒットを打ったような感じ。いや、大したものである。
  6限はゼミ。途中に休憩を挟んで9時25分(7限の終わり)までびっしりやる。無理に引き伸ばしたわけではなく、むしろ私が「今日はもう終わりにしよう」と終了宣言をして終らせたのである。心理学系と社会学系の2冊のテキストを同時並行で読んでいるのだが、社会学系のテキストは難易度が高く、しかし報告者たちには、難しいところを飛ばして読むようではいけないと事前に言っておいたので、悪戦苦闘した感じが報告からよく伝わってきた。これは今後の報告者たちによい刺激となったはずである。

         
             今日のスイーツは日本橋「うさぎや」のどら焼き。

  帰りの地下鉄で安藤先生と一緒になる。安藤先生は昨日『1Q84』を入手されて、しかし、私同様、まだ最初の章しか読んでいなくて、いまは奥様が先に読んでいるとのことだった。安藤先生は明日も授業がおありだから、本格的に読み始めるのは明日の夜からということになるのだろう。安藤先生からは絶対にフィールドノートでネタバレみたいなことを書かないでくださいねと釘をさされた。
  大手町で乗り換え、京浜東北線の車内で『1Q84』の第2章を読む。もう一人の主人公は天吾という名前(姓?)の男性である。奇数章は青豆、偶数章は天吾。村上春樹の小説の読者にはお馴染みのパラレルワールドであるが、この先、二人の主人公はどこかで出会うのだろうか。2章を読み終わって、膝の上で本を閉じたとき、隣の見知らぬご婦人から「面白いですか?」と声をかけられる。まだ最初の2つの章を読み終えたばかりなので、断定はできませんが、面白いと思いますと答える。電車の中で見知らぬ乗客同士が会話を交わすというのはめったにないことである。村上春樹が新刊の小説を出すということが一種の社会的事件となっていることを示すものだろう。