7時半、起床。朝食抜きで書斎で仕事をしていると、雨の音がしだいに大きくなり、雷まで鳴り出した。この中を出て行くのはいやなだなあと思っていると、ピークの時期は短く、再び小降りに戻った。10時に家を出て、大学へ。今日は午前中に1つ会合があるのだ。会合は本部キャンパスであり、普段私のいる戸山キャンパスとは5分ほどの距離だが、たまに来ると、「都心」に来たという気がする。建物も多いが、緑も多い。雨に濡れた緑のグラデーションが美しい。本部キャンパスに比べると、戸山キャンパスは閉じられた空間で、都市近郊の「戸山村」という感じがする。


3限は講義「日常生活の社会学」、4限は空き時間で授業の準備、5限は基礎演習、6限と7限はゼミ(9時までやった)。午前中に会合があった分、いつもよりハードな一日だった。授業は一日2つというのが理想で、3つを越えると疲れが出てくる。それは学生の場合にもいえると思うが、ゼミの時間に、「今日いくつ目の授業ですか」と尋ねたら、「4つ目です」という学生が数人いた。4つ目がゼミというのはかなりきびしいのではないだろうか。疲労は、報告者よりも、聞き手の学生の側に表れる。リアクションが弱くなるのだ(斉藤孝の言葉を使えば「コメント力」の低下ということ)。これはゼミを一律に6限に置いている以上、宿命的な問題だが、一番の処方箋は、聞き手となる学生たちが事前にコメントを準備してくることである。事前にテキストを読んでくることは当然で、事実、全員それはやっているわけだが、報告者として読むのと聞き手として読むのとでは読書の能動性において大きな開きがある。聞き手ではなく、ワンランク上の、コメンテーターという役割意識でテキストを読むこと。テキストを理解するだけでなく、それを素材にして自分なりの思考をめぐらし、それを言葉にすること。それを毎回やっていると、自分が報告者であるか聞き手であるかは、大した違いではなくなってくる。ゼミの中核はディスカッションであり、報告者はその口火を切る人でしかない。

今日の甘味はシュークリーム(これも有効な処方箋)
10時、帰宅。「スマイル」を観ながら、カレーライスを食べる。ウースターソースをかけて食べる。懐かしい味がした。今日で一週間の授業が終ったが、明日は研究会、明後日は法事の予定が入っている。週末に休息をしっかりとらないと次の一週間がつらいものになる。火曜日の「現代人間論系総合講座1」が前回で私の担当シリーズが終わり(次回からは安藤先生)、月曜日にその準備をしなくてもよくなったのが、せめてもの救いである。今週は「月曜日の週末」だ。


3限は講義「日常生活の社会学」、4限は空き時間で授業の準備、5限は基礎演習、6限と7限はゼミ(9時までやった)。午前中に会合があった分、いつもよりハードな一日だった。授業は一日2つというのが理想で、3つを越えると疲れが出てくる。それは学生の場合にもいえると思うが、ゼミの時間に、「今日いくつ目の授業ですか」と尋ねたら、「4つ目です」という学生が数人いた。4つ目がゼミというのはかなりきびしいのではないだろうか。疲労は、報告者よりも、聞き手の学生の側に表れる。リアクションが弱くなるのだ(斉藤孝の言葉を使えば「コメント力」の低下ということ)。これはゼミを一律に6限に置いている以上、宿命的な問題だが、一番の処方箋は、聞き手となる学生たちが事前にコメントを準備してくることである。事前にテキストを読んでくることは当然で、事実、全員それはやっているわけだが、報告者として読むのと聞き手として読むのとでは読書の能動性において大きな開きがある。聞き手ではなく、ワンランク上の、コメンテーターという役割意識でテキストを読むこと。テキストを理解するだけでなく、それを素材にして自分なりの思考をめぐらし、それを言葉にすること。それを毎回やっていると、自分が報告者であるか聞き手であるかは、大した違いではなくなってくる。ゼミの中核はディスカッションであり、報告者はその口火を切る人でしかない。

今日の甘味はシュークリーム(これも有効な処方箋)
10時、帰宅。「スマイル」を観ながら、カレーライスを食べる。ウースターソースをかけて食べる。懐かしい味がした。今日で一週間の授業が終ったが、明日は研究会、明後日は法事の予定が入っている。週末に休息をしっかりとらないと次の一週間がつらいものになる。火曜日の「現代人間論系総合講座1」が前回で私の担当シリーズが終わり(次回からは安藤先生)、月曜日にその準備をしなくてもよくなったのが、せめてもの救いである。今週は「月曜日の週末」だ。