フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月6日(水) 雨

2009-05-07 01:17:20 | Weblog
  9時半、起床。今日も雨が降っている。書斎で朝飯前の一仕事をしていると、机上の電話が鳴った。出ると蒲田警察からだった。一瞬ドキッとしたが、家族は全員、まだ家の中にいるから家族に何かあったわけではない。たぶん、自転車のことかなと思ったが、やはりそうだった。実は、昨日、娘が私の自転車に乗って(娘の自転車は後輪がパンクしているのだ)、大田区民センターへ芝居の練習に出かけたのだが、練習が終わって帰るときに、区民センターの駐輪場にとめておいた自転車がなくなったいた。盗難かもしれないし、あるいは、一台だけ黒い自転車が残っていたので、もしかしたらその自転車の持ち主が自転車を間違えて乗って帰ってしまった可能性もある。区民センターには老人の利用者も多いので、たまにそういうこともあるのだそうだ。とにかく区民センターの管理人さんに事情を話して、娘は歩いて帰ってきた。その黒い自転車には防犯登録がされていたので、そこから持ち主はわかるはずだ。今朝、管理人さんから連絡を受けた警察がその黒い自転車の持ち主に電話をかけたら、私が受話器を取ったのだ?! その黒い自転車は私の自転車だったのだ。つまり娘は自分が乗っていった私の自転車がどういう自転車だったかをちゃんと認識していなくて、自転車がなくなっていると勘違いしたというわけだった。やれやれ・・・。私は警察の方にお手間をとらせて申し訳ありませんでしたとお詫びを言い、ベーコン&エッグとトーストの朝食をとってから、娘と一緒に区民センターへ自転車を引き取りに行った。「黒い自転車」はやはり私の自転車だった。しかし、それはどう見ても「黒い自転車」という形容はふさわしくなく、「黒のシャフトにシルバーのハンドルと荷台、そしてグレーの泥除けの自転車」である。もっとも私もときどき駐輪場にとめておいた自分の自転車がどれだかすぐにはわからなくなることがあるので、娘の勘違いをあまり非難することはできない。それに、今回、私自身がビックリしたのは、防犯登録が池上警察の管轄になっていたことだ。私はてっきりこの自転車は市川に住んでいた頃に購入したもので、防犯登録も向こうでしたものだから、どこかで乗り捨てられていても、私の自転車であることはわからないであろうと思っていたのだった。そうか、こちらに引越してきてから、島忠家具センターあたりで購入したものだったか・・・。記憶というのはかくもあいまいなものである。

         

  夕方、傘をさして散歩に出る。「シャノアール」で珈琲を飲みながら、明後日の会合までに読んでおかなくてはならない書類に目を通す。授業とも研究とも関係ない第3のカテゴリーに属する仕事である。全部の書類に目を通すのに1時間かかった。二つ返事で引き受けた仕事であるが、予想していたよりもずっと難しい仕事だということがわかった。難所となるポイントがどこかということがはっきりしたので、今日はこれでよしとしよう。2ヶ月あればなんとかなるだろう。

         
                   GW最終日は雨の一日だった

  夜、NHKスペシャル「35歳を救え―あすの日本 未来からの提案」を観る。35歳の男女一万人を対象とした調査データと、20年後の日本社会のシミュレーションをもとに、若者層への支援策を提言している。現在の35歳は彼らの親世代が経験したような「普通の生活」「普通の人生」―安定した仕事に就き、結婚して、自分の家族を持つこと―が難しくなっている。戦後、長い間、「普通」という言葉は魅力に欠ける言葉だった。通信簿の5段階評価でいえば「3」のようなもの、それが「普通」だった。それは面白みのないもの、没個性的なもの、覇気に乏しいものだった。「普通」からいかにして脱出するか、それが若者文化の中心的テーマだったといってよい。それがいまは違ってきている。自分たちが子どもの頃にイメージしていた、そして馬鹿にしてきた、「普通の生活」「普通の人生」というものがいかに多くの恵まれた条件の下に成立し、維持されていたものであったかを知ることになったのである。従来の「普通の生活」「普通の人生」の普及度が低下しつつある一方で、しかし、新しい「普通の生活」「普通の人生」はまだ見えてきていない。従来の「普通」を取り戻すために努力すべきなのか、頭を切り替えて、新しい「普通」を構築するために努力すべきなのか、その覚悟がわれわれにはまだできていない。というのも、もし後者をめざすのであれば、そこには何かしらの希望がなければならないが、それがさっぱり見えないからである。秋期の「現代人間論系総合講座2」ではこの問題を取り上げることにしよう(宣伝か?)。