8時半、起床。ゴーヤチャンプル、トースト、紅茶の朝食。午前中に歯科に行く。前回に続いて今日は上の歯の掃除。詰めものをしていたところが二次カリエスになっているのが発見される。これで治療が1、2週間延びることになった。
治療を終えて、その足で大学へ。本部での会合は1時間ほどで終る。順調、順調。どうぞこのまま進行してくれますように。「西北の風」で昼食をとる。サラダ、ナポリタン、珈琲。ブログに食べたものの写真を載せるというのは一般的だが、なぜだろう。文章だけよりも写真もあった方が雑誌的な紙面構成になって読みやすいことはわかるが、なぜその写真が食べものなのかというのは、ブログ論(というものをいずれ書いてみたいと思っている)を構成する一項目として改めて考えてみたいテーマである。
研究室に戻って、雑誌『諸君!』6月号=最終号を読む。1969年7月に創刊された『諸君』(当初は「!」は付いていなかった)が40年の雑誌生命を終えることになった。1969年といえば、1月に東大安田講堂での全共闘と機動隊の攻防戦があった年である。政治の季節が終わった年(すでに国民的レベルでは60年安保で終わったいたのだろうが、若い世代の間でも終わった年)に、保守的知識人たちの言論空間として登場した『諸君』は、進歩的知識人たちの言論空間であった岩波書店の『世界』の対抗物として、70年代以後の論壇の力学に一定の均衡をもたらしてきた。『諸君!』の終刊の直接的な原因は、広告収入の減収であろうが(インターネット広告の拡大)、広告収入の減収は販売収入(発行部数)の減収と連関しているはずで、販売収入の減収は、活字人間(読者)の減少や、「保守と革新」「右と左」という言論の軸が現代社会の諸問題を考察していく上でのそれほど有効なものではなくなってきていることと結びついているだろう。
「思想家列伝 輝ける論壇の巨星たち」という特集が組まれていて、取り上げられた11名の思想家の1人に清水幾太郎も入っていた。誰が担当しているのかと思ったら、竹内洋さんだった。竹内さんはミネルヴァ書房から清水幾太郎の評伝を出すことがかなり前から予告されているのだが、なかなか出ない。ご多忙なのだとは思うが、早く出してもらわないと、一種の「後出しジャンケン」を狙っている私としては困ってしまう。まさかとは思うが、竹内さんも同じことを考えているのだろうか(笑)。
治療を終えて、その足で大学へ。本部での会合は1時間ほどで終る。順調、順調。どうぞこのまま進行してくれますように。「西北の風」で昼食をとる。サラダ、ナポリタン、珈琲。ブログに食べたものの写真を載せるというのは一般的だが、なぜだろう。文章だけよりも写真もあった方が雑誌的な紙面構成になって読みやすいことはわかるが、なぜその写真が食べものなのかというのは、ブログ論(というものをいずれ書いてみたいと思っている)を構成する一項目として改めて考えてみたいテーマである。
研究室に戻って、雑誌『諸君!』6月号=最終号を読む。1969年7月に創刊された『諸君』(当初は「!」は付いていなかった)が40年の雑誌生命を終えることになった。1969年といえば、1月に東大安田講堂での全共闘と機動隊の攻防戦があった年である。政治の季節が終わった年(すでに国民的レベルでは60年安保で終わったいたのだろうが、若い世代の間でも終わった年)に、保守的知識人たちの言論空間として登場した『諸君』は、進歩的知識人たちの言論空間であった岩波書店の『世界』の対抗物として、70年代以後の論壇の力学に一定の均衡をもたらしてきた。『諸君!』の終刊の直接的な原因は、広告収入の減収であろうが(インターネット広告の拡大)、広告収入の減収は販売収入(発行部数)の減収と連関しているはずで、販売収入の減収は、活字人間(読者)の減少や、「保守と革新」「右と左」という言論の軸が現代社会の諸問題を考察していく上でのそれほど有効なものではなくなってきていることと結びついているだろう。
「思想家列伝 輝ける論壇の巨星たち」という特集が組まれていて、取り上げられた11名の思想家の1人に清水幾太郎も入っていた。誰が担当しているのかと思ったら、竹内洋さんだった。竹内さんはミネルヴァ書房から清水幾太郎の評伝を出すことがかなり前から予告されているのだが、なかなか出ない。ご多忙なのだとは思うが、早く出してもらわないと、一種の「後出しジャンケン」を狙っている私としては困ってしまう。まさかとは思うが、竹内さんも同じことを考えているのだろうか(笑)。