9時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。ブログを更新し、メールを数本出し、授業のBBSをチェックし、昼前に家を出る。久しぶりの快晴だ。電車の中で藤田憲一『末期ガンになったIT社長からの手紙』(幻冬舎)を読む。
1時から研究室で学生の面談。3時からライフコースアーカイブ研究所の研究会。K氏とS氏の報告を聴く。
帰りの電車の中で『末期ガンになったIT社長からの手紙』の続きを読む。蒲田に着いて、「シャノアール」に寄って、最後の頁まで読んでから、帰宅。
人間はだれでもいつか死ぬ。それはみんな知っている。問題はその「いつか」が不確かであるということだ。死の確実性と死期の不確実性。そのためにわれわれは自分の死ということを当面の問題としては考えずに、先送りして、日々を生きている。例外は、この本の著者のように、短期の余命(三ヶ月)を宣告された人の場合だ。心臓発作や脳溢血や事故などで突然に亡くなるのとは違って、ガンによる死は、自分の死を強烈に意識して日々の生活を送るという特殊な状況を人にもたらす。そういう状況で書かれた手記、ライフストーリーを私はときどき読む。そこに共通しているのは、残された日々を充実したものにしようという切実な思いである。本書が単行本で出版されたのは2006年の6月だった。そしてその年の10月12日に著者は亡くなっている。享年36歳。これほど生きることを切望していた男がいまはもう死んでしまっているという非情な事実を知りつつ、私は本書を読んだわけだが、もし彼の存命中に本書を読んでいたら、また違った読後感をもったことだろう。
1時から研究室で学生の面談。3時からライフコースアーカイブ研究所の研究会。K氏とS氏の報告を聴く。
帰りの電車の中で『末期ガンになったIT社長からの手紙』の続きを読む。蒲田に着いて、「シャノアール」に寄って、最後の頁まで読んでから、帰宅。
人間はだれでもいつか死ぬ。それはみんな知っている。問題はその「いつか」が不確かであるということだ。死の確実性と死期の不確実性。そのためにわれわれは自分の死ということを当面の問題としては考えずに、先送りして、日々を生きている。例外は、この本の著者のように、短期の余命(三ヶ月)を宣告された人の場合だ。心臓発作や脳溢血や事故などで突然に亡くなるのとは違って、ガンによる死は、自分の死を強烈に意識して日々の生活を送るという特殊な状況を人にもたらす。そういう状況で書かれた手記、ライフストーリーを私はときどき読む。そこに共通しているのは、残された日々を充実したものにしようという切実な思いである。本書が単行本で出版されたのは2006年の6月だった。そしてその年の10月12日に著者は亡くなっている。享年36歳。これほど生きることを切望していた男がいまはもう死んでしまっているという非情な事実を知りつつ、私は本書を読んだわけだが、もし彼の存命中に本書を読んでいたら、また違った読後感をもったことだろう。