フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月21日(木) 晴れ

2009-05-22 02:21:17 | Weblog
  9時、起床。授業の準備をして、昼前に家を出る。電車の中を見渡して、心持ちマスクをしている人が増えたように見える。私は、最初はマスクをしてはいなかったのだが、途中から隣に座った男性がさかんにクシャミをするので(しかもマスクをかけていない!)、鞄からマスクを取り出してかけた。隣の人からすると感じ悪かったかもしれないが、うちには糖尿病の老人(母)がいるので、新型であれ従来型であれ軽々にウィルスを持ち帰るわけにはいかないのである。
  3限の大学院の演習は2人の報告者の1人が発熱のために休んだ。昨夜、メールがあったので、休むように(発熱相談センターに連絡するように)指示したのである。
  遅い昼食を「ぷらんたん」でとる。昔からある喫茶店だが、入るのは初めて。ペペロンチーノと珈琲のランチセットで680円は安いが、珈琲は作りおきであった。店内(1階)は、焙煎機がドーンと窓際に置かれていて、雑然とした印象。2階席の方がメインなのかもしれない。今度は2階へ上がってみよう。

         
                       レトロな外観

  5限は演習「現代社会とセラピー文化」。3番目のグループ報告。報告時間を30分でピシッとまとめたのはお見事。テキストの要旨に10分、自分たちの考察に20分という時間配分もよい。ただし、質疑応答が単発的な印象を受けたのは、問題提起の仕方がいまひとつ明快でないためである。フロアーをもっと巻き込んだディスカッションにもっていくためには、「この点について私たちはこうかんがえましたが、みなさんは、イエス、ノーどちらですか」というように、フロアーが二分(三分でもよいが)されるような問題提起の仕方を工夫することである。また、テキストの著者の見解を鵜呑みにしないで、「・・・と著者は述べていますが、この点は疑問です。私たちが考えるに・・・」と批判的な見解を述べてみるのもいい。その点をめぐって議論が起きるはずだ。もちろん、議論というものは報告者だけが張り切っても起こるものではなく、聞き手の側に議論をしようという気構えが必要だ。いまのところ報告者への質問が目立つ。そうするとAさんの質問に報告者が答え、B君の質問に報告者が答え・・・という具合にその都度完結してしまうやりとりになりやすい。Aさんが意見を述べ、B君がそれに反論をし・・・という具合に報告者を経由しないで、聞き手同士の直接のやりとりが発生すると俄然面白くなるのだが。
  授業のあと、TAのI君と「メルシー」で食事。2人とも麺類は注文せず(今日は蒸し暑かった)、私はオムライス、I君はドライカレー(大盛り)を食べた。食べながら来週の演習の進め方について相談する。机の配置を正方形にしてみようかという話になる。35名だから、一片が机3つで9人が坐る計算になる。I君には正方形の内側に入ってもらって発言者にワイヤレスマイクを渡す係をやってもらおうか・・・なんてことを考えていると、皮肉にも休校になったりするものである。