フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月9日(火) 曇り

2009-06-10 02:40:53 | Weblog
  9時、起床。ハンバーグ、トースト、牛乳の朝食。10時に家を出て、大学へ。
  11時から12時半まで研究室でゼミの学生3名(次回のグループ報告のメンバー)と事前相談。まずテキストで十分に理解できなかった点をあげてもらい、それについて私が解説をしてから、ディスカッションで取り上げる論点について相談する。次回のテーマは「メディア」なので、学生たちにとっては身近な存在で、話題には事欠かないはずだ。
  3限は現代人間論系総合講座1の長田先生担当の2回目。四国遍路をテーマにしたテレビ番組をデジタル録画して、それを編集したものを教材に使われていたが、編集の仕方がお上手なので、どういう編集ソフトをお使いなのか、授業が終ってから教えていただいた。
  4限は空き時間。昼食をとりに「フェニックス」へ。チキンカレー(サラダ付き)と珈琲。食後、そこでしばらく読書。研究室に戻って、昨日購入した「中原淳一・昭和の付録お宝セット」をケースから取り出して、テーブルの上に並べて眺める。

         
                        花言葉枝折

         
                        使用してみる

         
                        童話青い鳥双六

  青い鳥双六の「上り」はチルチルとミチルが自宅のソファーに坐っていて、彼らの腕の中に幸せの青い鳥がいる図が描かれている。本当の物語の結末は、青い鳥が籠から逃げ出して青い空の中に再び消えていくのだが、双六の「上り」はその1つ手前の場面になっている。私が基礎演習の教材論文に書いたように、ここには日本人の「青い鳥」の誤読的受容がはっきりと示されている(この双六は昭和8年1月号の付録)。あちこち捜し求めた幸せは実はお家の中にあった―これが日本人が「青い鳥」から受け取ったメッセージである。しかし、メーテルリンクのメッセージは、真の幸福はそうした小市民的なものではなくて、もっと公共的な(利他的な)ものだということである。

         
                      花占いのカード

         
      「この花は私です。やっと綺麗に咲いたのです。」(桜田淳子「花物語」)

  花占いのカードをうっとり眺めていると、卒論演習のFさんがやってきた。「前の授業が少し早く終ったので・・・」と言いながら、研究室のドアを開けたFさんは、テーブルに並べられたフラワーカードを見て、ただならぬ気配を感じたのか、「せ、先生、な、何をされているのですか?」と言った。「この花は私です」と桜田淳子が昔語った台詞を言ってみたが、そもそも桜田淳子を知らない世代のFさんには通じない冗談で、「どの花がですか?」と真顔で聞かれたので、成り行き上、中央の赤いケシのカードを指差して「これです」と答えた。いよいよ怪しげである。

         
                       啄木かるた

         
                       読み札と絵札