10時半、起床。ブログを更新し、自家製コロッケパンと牛乳の朝食をとりながら、NHKの将棋トーナメントを観戦。ゴキゲン中飛車の近藤6段が村田4段に快勝。勝負が終った後の近藤6段の柔和な表情は、欽ちゃんファミリーの見栄晴にそっくりだ。
仕事関連のメールを何本か書き終えて、昼食はテイクアウトの握り鮨。容器に「父の日」というシールが貼られている。世の中に「父の日」というものを楽しみにしている父親というのは一体どのくらいいるのだろうか。「○○の日」というのはおしなべて擬制的で居心地の悪いものだが、中でも「父の日」は自分が当時者であるだけに居心地の悪さはひとしおである。親子関係というものを子どもは選択することができない。実は、親にとってもそれは同じことで、子どもを持つことは選択の結果であるとしても、「その子」の親になることは選択の結果ではないのである。生まれてきた「その子」と親子になること、そこに選択の余地はない。近代社会と前近代社会の大きな違いの一つは、人生における選択の拡大であるが(配偶者選択の自由、職業選択の自由、地域移動の自由など)、親子関係に関しては前近代も近代も事情は同じである。しばしば小さな子どもは、自分の要求が通らないときに、「○○ちゃんちの子どもに生まれればよかった」という。売り言葉に買い言葉で、親の方も、「だったら今日から○○ちゃんちの子どもになりなさい」という。しかし、もし「その子」が「○○ちゃんちの子ども」として生まれていれば、「その子」は「その子」ではなく、別の誰かになっていたのであって、「その子」は消滅してしまう。「その子」は「その親」に育てられたから「その子」になったのである。親子関係の非選択性(宿命性)という重いテーマを、われわれは普段はあまり考えないようにしているが、「父の日」「母の日」「子どもの日」「敬老(≒老親)の日」には、どうしたって考えてしまう。近代社会において期待されてきたことは、夫婦関係という選択的関係と親子関係という非選択的関係の組み合わせからなる家族(近代家族)をあたたかな関係、あたたかな場所(家庭)としてイメージし、そのように振舞うことを通して、維持し受容することである。
昼食をとりながら観始めた映画『群青の夜の羽毛布』(2001)は、DVDのケースの本上まなみの美しさにひかれてレンタルした作品であったが、母と娘の共依存的関係(および精神を病み父親/夫であることをやめてしまった男)を描いた、見応えのある反「父の日」的物語であった。
DVDを返却しがてら傘を差して散歩に出る。くまざわ書店で以下の本を購入。「シャノアール」で読書。
柴田元幸編訳『いずれは死ぬ身』(河出書房新社)
ドン・デリーロ『堕ちてゆく男』(新潮社)
スティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ、西へ行く』(早川書房)
夕食は冷しゃぶ(胡麻だれ、ポン酢で食べる)
仕事関連のメールを何本か書き終えて、昼食はテイクアウトの握り鮨。容器に「父の日」というシールが貼られている。世の中に「父の日」というものを楽しみにしている父親というのは一体どのくらいいるのだろうか。「○○の日」というのはおしなべて擬制的で居心地の悪いものだが、中でも「父の日」は自分が当時者であるだけに居心地の悪さはひとしおである。親子関係というものを子どもは選択することができない。実は、親にとってもそれは同じことで、子どもを持つことは選択の結果であるとしても、「その子」の親になることは選択の結果ではないのである。生まれてきた「その子」と親子になること、そこに選択の余地はない。近代社会と前近代社会の大きな違いの一つは、人生における選択の拡大であるが(配偶者選択の自由、職業選択の自由、地域移動の自由など)、親子関係に関しては前近代も近代も事情は同じである。しばしば小さな子どもは、自分の要求が通らないときに、「○○ちゃんちの子どもに生まれればよかった」という。売り言葉に買い言葉で、親の方も、「だったら今日から○○ちゃんちの子どもになりなさい」という。しかし、もし「その子」が「○○ちゃんちの子ども」として生まれていれば、「その子」は「その子」ではなく、別の誰かになっていたのであって、「その子」は消滅してしまう。「その子」は「その親」に育てられたから「その子」になったのである。親子関係の非選択性(宿命性)という重いテーマを、われわれは普段はあまり考えないようにしているが、「父の日」「母の日」「子どもの日」「敬老(≒老親)の日」には、どうしたって考えてしまう。近代社会において期待されてきたことは、夫婦関係という選択的関係と親子関係という非選択的関係の組み合わせからなる家族(近代家族)をあたたかな関係、あたたかな場所(家庭)としてイメージし、そのように振舞うことを通して、維持し受容することである。
昼食をとりながら観始めた映画『群青の夜の羽毛布』(2001)は、DVDのケースの本上まなみの美しさにひかれてレンタルした作品であったが、母と娘の共依存的関係(および精神を病み父親/夫であることをやめてしまった男)を描いた、見応えのある反「父の日」的物語であった。
DVDを返却しがてら傘を差して散歩に出る。くまざわ書店で以下の本を購入。「シャノアール」で読書。
柴田元幸編訳『いずれは死ぬ身』(河出書房新社)
ドン・デリーロ『堕ちてゆく男』(新潮社)
スティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ、西へ行く』(早川書房)
夕食は冷しゃぶ(胡麻だれ、ポン酢で食べる)