フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月14日(日) 曇り一時小雨

2009-06-15 03:26:39 | Weblog
  9時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。今週の授業の下準備。
  午後、五反田のゆうぽうとへ東京バレエ団公演「ジゼル」を観に行く。池上線に乗る前に、キシフォトで一番安い双眼鏡を購入。今日は2階席なのであった方がよいかと。それと駅の売店で「まい泉」のヒレかつサンドを昼食用に購入。会場には開演(3時)の40分ほど前に着き、ロビーでヒレかつサンドと缶珈琲で腹ごしらえ。席は2階の最前列。普段は一階の前の方の席が多いのだが、今回はチケットの予約に出遅れて、一階の席は後方しか残っていなくて、それならば二階の最前列の方がよいのではないかと判断したのだが、たぶん正解だったと思う。舞台を30度ほどの角度で俯瞰できるので、奥行き観がある。オーケストラピットから音楽が湧き上がって来る感じも悪くない。ダンサーの表情をはっきり見たいときは双眼鏡を使えばよい。

         

 「ジゼル」のストーリーを手短に紹介すると、王子(アルブレヒト)が村の娘(ジゼル)に戯れの恋をして(婚約者がいるんだから戯れの恋なのだろう)、相手が王子だということを知らない娘(王子であることを王子は隠している)は彼のことを本気で好きになってしまうが、やがて事実が明らかになって、娘は狂乱のうちに死んでしまう(第一幕)。悔恨の情に苛まれる王子は森の中にある娘の墓に白百合の花束を抱えてやってくる。そこで王子を待ち構えていたのは愛する男と結ばれることなく(たぶん男に裏切られて)死んだ女たちの霊だった。霊たちは王子を息絶えるまで躍らせようとする。娘の霊は王子を助けてくれるよう哀願するが、聞き入れてもらえない。しかし、王子が息絶える前に夜が明けて、彼はかろうじて一命を取り留め、娘の霊は墓の中へ消えていく(第二幕)。
  第一幕の見所は、ジゼルが狂死するところ。ジゼルは元々心臓が弱かったという説明もあるようだが、上野水香のジゼルは元気溌剌、弾けるような踊りで、とてもそんなふうには見えない。男に裏切られての狂乱の末の死、狂死というのがぴったりだ。鬼気迫る感じで、観ている方もしだいに胸が苦しくなってきて、ついに彼女が息絶えたときは、ふぅと溜息が出た。私だけでなく、会場全体が溜息をついていた。
  第二幕の見所は、霊たちの群舞。ウェディングドレスのような白装束での群舞は、「白鳥の湖」の群舞のように美しく悲しいが、「白鳥の湖」の群舞にはない怖さがある。王子を休むことなく躍らせて、精気を吸い取り、死に至らしめようとするということは、「踊り」が「セックス」の暗喩であるということである。霊たちはたんに自分を裏切った男への恨みにまみれているだけでなく、未婚で(多くは処女のままで)死んだのであるから、性愛を渇望してもいるはずだ。もちろん紳士淑女や少女たちが読むプログラムのどこにもそんな説明はないが、そう解釈した方が怖さが倍化すると思う。最後も、ジゼルの愛が王子の命を救ったと考えるのはあまりにロマンチックで、王子はノックアウト寸前のボクサーがゴングに救われるように夜明けに救われたのである。しかし、夜は再びやってくるわけだから、あの結末は物語の終わりではなく、実は、第一夜の終わりに過ぎない。だから怖いのである。王子役のフリーデマン・フォーゲルは丹精で育ちの良い青年を見事に演じていた。戯れの恋の代償のあまりの大きさに茫然とする表情がよかった。