8時半、起床。ブロッコリーと挽肉のピリ辛炒め、トースト、牛乳の朝食。授業の準備をして、11時に家を出て大学へ。梅雨に入ったとはいえ、朝出かけるときに雨が降っているということは少ないので助かる。雨に濡れた傘は電車の中で本を読むときにやっかいなのだ。
昼休みの時間に、専門演習「現代社会とセラピー文化」のグループ発表の事前相談。ゼミや専門演習で同じ本をみんなで読むことの意味は、第一に、それが難解な本の場合、一人で読むよりも難易度が低くなることであり(三人寄れば文殊の知恵)、第二に、それほど難解な本でない場合でも、読んだ感想を語り合うことで考察が広がることである。そして、第三に、読書を媒介とした集団としての人間関係が形成されることである。
3限は大学院の演習。今日からテキストが替わった。一冊の本を頭から通しで読むことから、全6巻の論文集から単発の論文を選択して読むことへと変わった。
4限は空き時間。遅い昼食を食べに出る。腹ペコだったので、「ごんべえ」でカツ丼を食べる。たまたまなのだろうか、カツが小さくなった気がした。これだとご飯は少なめで注文しないと、カツとご飯のバランスが悪い。よっぽどご飯を残そうかと思ったが、それは子どもの頃から出来ない質なので、沢庵やうどんの汁を動員して全部食べきった。
5限は専門演習「現代社会とセラピー文化」。今日から『不可能性の時代』をテキストにしたグループ発表が始まる。第1章と第2章は私がそれを元に前回講義をしたので、第3章「オタクという謎」からスタート。「虚構の時代」(1970-1995)と大澤が呼ぶ時期に登場した新しい人間類型としての「オタク」について考察した章である。「第三の審級」や「アイロニカルな没入」や「普遍性の特殊性への反転」といった大澤独特の用語や論法をめぐってディスカッションがなされた。A4で7枚という通常の発表よりもずいぶんと多い枚数のレジュメにグループの苦闘ぶりが感じられた。お疲れ様でした。
授業の後、研究室で仕事をしていたら、教育学研究科の助手のM君がやってきて、『教育学研究』の最新号に掲載された彼の論文の抜き刷りを渡された。「ビジネス誌が啓発する「力」に関する一考察」というタイトルの論文で、構想中の(来年には書き上げる予定の)博士論文の一部となるものである。このところ年間に2、3本のペースで論文を発表しているが、大したものである。博士論文を書き上げたら、次は就職だ。健闘を祈る。

夕食は冷麦と野菜の天ぷら(満月)
昼休みの時間に、専門演習「現代社会とセラピー文化」のグループ発表の事前相談。ゼミや専門演習で同じ本をみんなで読むことの意味は、第一に、それが難解な本の場合、一人で読むよりも難易度が低くなることであり(三人寄れば文殊の知恵)、第二に、それほど難解な本でない場合でも、読んだ感想を語り合うことで考察が広がることである。そして、第三に、読書を媒介とした集団としての人間関係が形成されることである。
3限は大学院の演習。今日からテキストが替わった。一冊の本を頭から通しで読むことから、全6巻の論文集から単発の論文を選択して読むことへと変わった。
4限は空き時間。遅い昼食を食べに出る。腹ペコだったので、「ごんべえ」でカツ丼を食べる。たまたまなのだろうか、カツが小さくなった気がした。これだとご飯は少なめで注文しないと、カツとご飯のバランスが悪い。よっぽどご飯を残そうかと思ったが、それは子どもの頃から出来ない質なので、沢庵やうどんの汁を動員して全部食べきった。
5限は専門演習「現代社会とセラピー文化」。今日から『不可能性の時代』をテキストにしたグループ発表が始まる。第1章と第2章は私がそれを元に前回講義をしたので、第3章「オタクという謎」からスタート。「虚構の時代」(1970-1995)と大澤が呼ぶ時期に登場した新しい人間類型としての「オタク」について考察した章である。「第三の審級」や「アイロニカルな没入」や「普遍性の特殊性への反転」といった大澤独特の用語や論法をめぐってディスカッションがなされた。A4で7枚という通常の発表よりもずいぶんと多い枚数のレジュメにグループの苦闘ぶりが感じられた。お疲れ様でした。
授業の後、研究室で仕事をしていたら、教育学研究科の助手のM君がやってきて、『教育学研究』の最新号に掲載された彼の論文の抜き刷りを渡された。「ビジネス誌が啓発する「力」に関する一考察」というタイトルの論文で、構想中の(来年には書き上げる予定の)博士論文の一部となるものである。このところ年間に2、3本のペースで論文を発表しているが、大したものである。博士論文を書き上げたら、次は就職だ。健闘を祈る。

夕食は冷麦と野菜の天ぷら(満月)