9時、起床。昨夜の残りのカレー、トースト、牛乳の朝食。先日の挽肉のそぼろも同様、カレーもトーストによく合う。カレーパンというと揚げパンのイメージがあり、確かにあれは大した発明だと思うが(昭和2年に深川のパン屋「名花堂」が考案したとされている)、トーストにカレーをのせて(スープ状のカレーの場合はトーストと交互に口に運んで)食べる方が私は好きである。そしてカレートーストには牛乳である。
昼食は、焼き茄子(醤油で)、もつ焼き(レバー)、ぜんまいと竹輪の煮物、葱の味噌汁、ご飯。昼寝をしてからジムへ行こうと思っていたら、目が覚めたのが4時で(1時間のつもりが2時間寝てしまった)、予定を変更して原稿書きをする。おかげで今日は5枚書けた。
夕食は「鈴文」に食べに行くつもりでいたら、急に空が暗くなって、激しい雨が降り出した。一旦は諦めたが、1時間ほどで雨は上がったので、妻と子どもたちと出かけた。満席だったので、4人であることを告げて、しばらく店の外で待った。カウンター席で4人並んで座ることは難しいだろうと思っていたら、店の人が気を利かせてくれて、奥のテーブル席にいた二人客にカウンター席に移ってもらって、私たちがテーブル席に座れるようにしてくれた。すみませんね。ただしテーブル席には若い男性客が一人残っているので、われわれ4人が後から来たにもかかわらず、家族連れの客の中に混じった他人1名というふうになってしまった。なんだか申し訳ない。場の空気をなごませるために、私は対面の席の青年に話かけた。
「雨の後だから空いているかと思ったけれど、満席ですね」
「ええ、有名なお店ですから」と青年。
「前の店のときはテーブル席が3つあって、グループで来ても入りやすかったけど、いまはテーブル席は1つだけになっちゃった。前の店は広くてよかったんだけど。でも、あのまま閉店ということにならずによかった」と私。
「そうですね。前の前の店はいまの店と同じくらいの広さで、カウンター中心の店でしたから、そのときに戻ったような」と青年。
前の前の店? そのことは知らなかった。それは前の店のすぐ近くにあったそうで、青年が初めて「鈴文」に来た8年くらい前のことだそうだ。8年前といえば、私たち一家が市川から蒲田に引っ越してきて私の両親と一緒に住み始めた頃のことだ。青年はずいぶん前からの常連客なのだ。これは後から娘に言われたことだが、「自分が先輩のつもりで話かけたら相手の方が先輩だったわね。私、笑いたいのを必死でこらえていたわ」。確かに人は見かけによらぬものである。「できるな、おぬし」の世界である。ただ、これは別に悔しくていうのではないが、青年がとんかつ(ロース)を食べているのを見ていたら、半分を醤油、半分をソースで食べていた。いきなり全体にソースをかけてしまう私の息子に比べたら、上級者であることは間違いないが、最初の一切れは塩で食べてほしかった。それでこそ「おお、同志よ」の世界である。これだけが玉に瑕で、一粒のご飯、一切れのキャベツも残さず、きれいに平らげた作法は見事であった。今後も研鑽を積んで「とんかつ検定一級」をめざしてほしいと思った。とんかつの道は長く遠い。