フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月22日(土) 晴れ

2009-08-23 03:51:44 | Weblog

  8時、起床。ハムとレタスのサンドウィッチ、牛乳の朝食。昨日、ペットショップで購入した鳥かごに子雀を入れて、ベランダの軒下に吊るす。子雀の鳴き声を親雀に聞かせて、あわよくば、餌を運んできてもらおうというというわけである。ほどなくしてベランダの近くの電線に5、6羽の雀が集まってきた。なんだかヒッチコックの映画「鳥」みたいだ。そして鳥かごの周りを飛翔したり、鳥かごに止ったりした。しかし金網越しに餌を与えるところまではいかなかった。30分ほどで鳥かごを室内に取り込み、子雀に餌を与える。親鳥へのアピールはこれから毎日続ける予定。子雀を自然に戻すには欠かせないワークだ。
  子雀は人に馴れる。最初から警戒していないのだ。エリクソンの自我の発達理論の用語を使えば、人間に対する基本的信頼がまず最初にあるのだ。成鳥になると人間を警戒するようになるが、あれは人間に痛い目にあってのことではなく、たんに親鳥の行動を模倣する結果であろう。諺に「雀百まで踊り忘れず」というのがある。チーちゃんの場合、親鳥たちの元への復帰が遅れると、成鳥になっても人間を警戒しない雀になるのだろうか。


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  昼食(キムチ炒飯の目玉焼きのせ)の後、大田区民ホール(アプリコ)へ早慶ジョイント・マンドリン・コンサートを聴きに行く。ゼミの学生のSさんが早稲田マンドリン楽部の部員で、彼女からチケットをいただいたのだ。マンドリンの演奏は聴いたことはあるが、マンドリンオーケストラの演奏を聴いたのは初めてである。最初、私は誤解をしていて、オール・マンドリンの演奏なのだと思っていたが、そうではなくて、マンドリンを中心として編成されたオーケストラの演奏なのであった。具体的には、第一マンドリン、第二マンドリン、マンドラ(マンドリンよりもちょと大き目)、マンドロンチェロ(マンドラよりもさらに大き目)、ギター、コントラバスの弦楽6部編成を基本として、管楽器(フルート、クラリネット)と打楽器が加わっている。今日の演目はたまたまなのか、一般にマンドリンオーケストラの作品はそうなのか、エキゾチックな曲が多かった。シベリウスの「カレリア組曲」、ケテルビー「ペルシアの市場にて」、ハチャトリアン「仮面舞踏会」、ファリャ「恋は魔術師」「三角帽子」・・・。通常のオーケストラでバイオリンが占める位置をマンドリンオーケストラではマンドリンが占めているわけだが、バイオリンとマンドリンの決定的な違いは、バイオリンは弓で玄を弾(ひ)き、マンドリンはピックで玄を弾(はじ)くので、バイオリンは持続音が出せるが、マンドリンは出せないということである。マンドリンで持続音を表現しようとする場合には、同じ音を連続して小刻みに弾(はじ)くトレモロ奏法を使う。バイオリンの持続音が海のうねりであるとすれば、マンドリンのトレモロ奏法は小川のせせらぎである。波動と粒子。ちょうど3ヶ月前に、場所も同じ大田区民ホールで、早稲田大学フィルハーモニー管弦楽団が演奏する「仮面舞踏会」を聴いていたので、比較がしやすかった。マンドリンの軽快で清冽、それゆえにはかなさを漂わせた演奏が、エキゾチックな曲に合うのかもしれない。
  演奏会の後、「カフェ・ド・クリエ」でホットドックと珈琲。ゼミの合宿用の文献を読む。これで6本の文献全部に目を通し終えた。
  くまざわ書店に寄って、面白そうな小説がないか、チェックする。けっこうある。でも、購入するのは、原稿を書き終えてからだ。


もう少し待って