フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月8日(土) 晴れたり曇ったり

2009-08-09 02:51:25 | Weblog

  8時半、起床。昨夜、「鈴文」のとんかつをたくさん食べたせいで(妻や娘は一人前を食べきれないので私と息子が一人前半を食べた)、今朝はお腹が空いていない。フィールドノートの更新をすませてから、朝食兼昼食をとる。金目(切身)とオクラの煮付け、葱と若布の味噌汁、ご飯、冷麦茶。ご飯はお代わりをして、金目の煮汁をかけて食べる。これが旨いのだ。金目そのものよりも煮汁の方が好きかもしれない。


一汁一菜

  一階の居間でTVを観ていたら、芸能人の覚醒剤事件のニュースでやっていて、それを観て母が「私も昔、覚醒剤をやっていた」という衝撃の告白をした。な、なんですと。実は、戦前戦中の日本では、覚醒剤の一種であるメタンフェタミンを主成分とする「ヒロポン」という薬が普通に薬局で売られていて、女学生だった母は試験の前などにこれを飲んでいたそうだ。「ヒロポン」という名前は「疲労をポンととる」から来ているという説もあるが、これは俗説で、ギリシャ語のフィロポヌス(労働を愛する)に由来するというのが正しいのだろう。「ヒロポン」の新聞広告には「最新除倦覚醒剤」というコピーが書かれている。いまでいえば疲労回復の栄養ドリンクみたいな感覚で飲まれていたのであろう(錠剤だけでなくアンプルもあったそうだ)。母に「で、効果はあった?」と尋ねたことろ、「さあ、どうだったかしら」という答えが返って来た。効果覿面というわけではなかったようだ。終戦直後、ヒロポン中毒者が社会問題となり、1951年に覚醒剤取締法が出来て、「ヒロポン」は禁止薬物となった。母が私を産んだのはその3年後である。


「ヒロポン」の新聞広告

  夕方、散歩に出る。7月末で、唐揚げの「奈加川」と珈琲の「アイチ」が店を閉じた。私が子どもの頃からあった店である。商店街の中でも文化財的な価値のある店であった。日本工学院のキャンパス再開発で、最後の最後まで残っていたいくつかの建物もいよいよ完全撤去される。


閉店の挨拶が貼ってある