フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月15日(土) 晴れ

2009-08-16 04:15:59 | Weblog

  8時、起床。64回目の終戦記念日。あの日も今日のように晴れていた。

   「今や私の世界は明るく光にみちていた。夏の雲も、白樺の葉も、山も、町も、すべてはよろこびにあふれ、希望に輝いていた。私はそのときが来るのをながい間のぞんでいた、しかしまさかそのときが来ようとは信じていなかった。すべての美しいものを踏みにじった軍靴、すべての理性を愚弄した権力、すべての自由を圧殺した軍国主義は、突然、悪夢のように消え、崩れ去ってしまった―とそのとき私は思った。これから私は生きはじめるだろう、もし生きるよろこびがあるとすれば、これからそれを知るだろう。私は歌い出したかった。」(加藤周一『羊の歌』より)

   私の人生では55回目の終戦記念日だが、これから先も、一生、「戦後」を生きていきたい。娘や息子たちもそうであってほしい。いつか生まれるかもしれない孫たちもそうであってほしい。「自分が死んだ後のことなんて知ったことか」とは絶対に思わない。私は近い未来の戦争だけでなく遠い未来の戦争にも断固として反対する。昨日と同じコロッケパンと牛乳の朝食。ただし今日はキャベツではなくレタスを使ってみた。

  午前中に原稿を6枚書いたので、昼食(そうめん)の後、散歩に出ることにした。昨日みたいに「あら、散歩にも出ずに頑張っているなんて、えらいわ」とまた妻に誉められたら、男の沽券にかかわる。頑張っても頑張っている姿を人に見せないのがダンディズムというものである。
  自転車に乗って、「甘味あらい」へ行って(お盆も休まず営業しているのだ)、宇治金時ミルクを食べる。絶品である。至福である。「日光を見ずして結構と言うな」という言葉があるが、「宇治金時ミルクを食べずしてうじうじ言うな」と言いたい。これを口にすれば、うじうじ言いいながら生きている自分が恥ずかしくなるであろう。羽衣のような氷は口に入れた瞬間に解けて消えてゆく。涼味。


森に初雪が降りました、みたいな。

  階段の下に自転車をおいて、しばらく本門寺の境内を散歩する。

  夜、自宅の3階のベランダから六郷の花火が見えた。

  夕食の後、原稿6枚書く。今日も合計12枚書いた。午後の時間は使わず、午前と夜だけで12枚である。もし午後も机に向っていたら18枚書けたかもしれない。でも、それはダンディズムに反することなのさ。