9時、起床。昨夜の残りのカレーライスの朝食。今日はチリの地震による津波警報がずっとTVの画面に出ていた。NHKの将棋対局(羽生名人VS山崎7段)で、実際の盤面を上からTVカメラが映すのだが、先手陣の右下隅と駒台が隠れてしまう。これは一種の目隠し将棋のようなもので、対局者のつもりになって指し手を読んでいる私のような視聴者にとってはかなりのハンデである(とくに歩の枚数が不確か)。
午後、青空が出てきたので、散歩に出る。「天味」で昼食。天丼(かき揚げ付)を注文。甘めのタレが美味しい。食べ終わってから、口直しに、たらの芽を一つ揚げてもらい、塩で食べる。春の香りがして、口の中がさっぱりする。天ぷらは天つゆよりも塩で食べる方が好きである。一度、天丼も塩で食べてみたいものだ。ご飯は塩をかけて食べても美味しいから、塩天丼というのがあっても不思議ではないと思うし、実際、メニューに塩天丼のある天ぷら屋もあると聞くが、いまだお目にかかったことがない。さすがに今日で二度目の「天味」のご主人に、天丼のタレ抜きを注文する度胸は私にはない。天丼を食べ終えてから、旬の野菜を1つ2つお好みで揚げてもらって、塩で食べて〆るのが、一番よい方法かと思う。
「天味」の昼の時間は2時までだが、2時の3分くらい前に、店の電話が鳴った。いまから行くので2時5分くらいになるがいいですかという客からの問い合わせだった。電話に出た店員が主人にそのことを告げると、主人は黙って首を横に振り、店員は「申し訳ありません」と受話器に向って謝っていた。これはとんかつの「鈴文」の主人もまったく同じで、2時直前に店に入ってきた客はOKだが、2時を少しでも過ぎるとアウトである。私だったら、「はい、どうぞ、いいですよ」と言ってしまいそうであるが、たぶんそれではけじめがなくなるからだめなのだろう。
腹ごなしの散歩の後、食後の珈琲は「テラス・ドルチェ」で、瀬尾まいこ『僕の明日を照らして』を読みながら。半分ほど読む。主人公の神田隼太(しゅんた)は中学2年生。これまでの瀬尾まいこの小説の主人公とは違って、少々、性格に問題がある。たとえば、授業中に生徒たちになめられて泣き出してしまった女の英語教師に向って、「ねえ、やるならやるでさっさと授業したら? 泣くんだったら自習にするとかさ」と言って、同級生に、「神田って小学校のときからズバリ人を刺すこと言うね」と言われる。また、たとえば、校内陸上競技会の選手決め(全員がなんらかの種目にエントリーする)のHRのとき、最後まで残ってしまった二人の同級生、西野と市田に対して、「どうせ、西野も市田も何に出ても一緒だよ。短距離だって遅いんだし。だったら市田が1500mで西野が3000mでいいじゃん。どう?」と言って、「だけど・・・」と二人が逡巡していると、「他に方法ないだろう。別に遅くても誰も文句言わないから。いいよな? それでエントリーするよ」とエントリー用紙に書き込んでしまう。そして図書委員の関下に「神田君って、勧善懲悪のつもりででもいるの?」と言われてしまう。そんなクールなところのある隼太だが、母の再婚相手の優ちゃんにときどき暴力を振るわれている。優ちゃんは歯科医で、いい人なのだが、ときどき自分で自分をコントロールできなくなってしまうのだ。そのことで優ちゃんは苦しんでいる。隼太は「一緒に治そう」と優ちゃんに言う。
「僕だって、殴られるのは嫌だ。ただただ痛い。突然豹変して、止らなくなる優ちゃんもただただ恐ろしい。
だけど僕はもっと怖いものを知っている。優ちゃんが「出て行く」という言葉を発するときに、いつも頭に浮かぶのは一人で過ごしていた夜だ。
僕が持っている最初の記憶は、泣いている夜だ。部屋じゅう必死で誰かを探しながら、泣き叫んでいた真っ暗な夜。
泣き叫んでも家じゅう歩き回っても、誰も僕に手を差し伸べてくれない、全てから切り離された深い夜。僕が物心付いたときから、お母さんは夜も働きに出た。寝かしつけられたはずの僕の目は、お母さんが出て行くと同時に覚めた。目覚めてからお母さんが戻る朝方まで、僕はたった一人で夜が終るのを待った。最初は怖くてひたすら泣いた。だけど、お母さんは帰ってはこなかったし、静まり返った夜は何も変わらなかった。解決策なんて一つもない。ただ延々と闇が続くだけだ。明け方がやってきて、救われるのもつかの間、また、同じ夜が必ずやってくる。優ちゃんが来るまで、僕はそんな夜を何年も何年も過ごしてきたのだ。」(9頁)
何らかのトラウマで自分の暴力をコントロールできない気の弱い男と、女手ひとつで育てられた孤独な夜が怖い少年の物語だ。2年ぶりの小説で瀬尾まいこは新しい土地へと足を踏み入れた。
4時頃、帰宅。小雀を籠から出してやる。遭難するといけないので、散歩に出るときは、小雀は籠の中に入れておくのだ。籠の中はそんなに嫌いではないようだが、出入り口を開けると、ちょっと考えてから、出てくる。人のそばが好きなのである。