7時、起床。朝食を「Kaga」で。最初、フルーツサンドイッチ・セットを注文したら、おばさんが「甘いけどいいですか? クリームが入っていて・・・」と考え直したほうがいいですよという口調で言った。私を一体誰だと思っているのかと思いつつ、おばさんの(余計な)お世話を無にしてはいけないと思い、「そうですか。では、サンドイッチ・セットにします」と変更した。
ホテルに戻り、ロビーのPCでフィールドノートの更新をすませてから、浅野川線に乗って内灘へ。一昨日の雪はすっかり消えていた。海岸で写真を撮っていると、私と同じように写真を撮っていた若い女性が近づいてきて、話しかけられる(誤解のないように言っておくが、私から近づいて話しかけたのではない)。「よくここで写真を撮られるのですか?」と聞かれたので、「一年に一度、東京から来ます」と答えると、ちょっと驚いたような表情をして、自分は金沢の人間で、ときどきここに写真を撮りにくるのだと言った。「写真をお撮りしましょうか?」と聞かれたので、「いえ、自分の写真はいいです。それより、あなたの写真を撮らせてもらってもいいですか。風景の一部になっていただきたいのです」とお願いすると、「はい、いいですよ」と言った。
彼女の下の名前は「まりな」という(上の名前はあえて尋ねなかった)。「ウチナダのまりな」・・・・、「グラナダのマリア」に似ているなと思ったが、口にはしなかった。「昨日、21歳の誕生日だったんです」と彼女は唐突に言った。そう、それはよかった、これで不純異性交遊の心配はないわけだ、と言おうかと思ったが、都会的ジョークは通じないといけないので、「それはおめでとう」とだけ言うと、「今年、通信制の高校を卒業したんです。来年は大学を受験しようと思っています」と彼女は続けた。21歳で通信制の高校を卒業か・・・。天真爛漫な印象とは違って、平坦とはいえない人生を歩いてきたのだなと思った。しかし、彼女の次の言葉はもっと私を驚かせた。「母があっちの車の中で待っているんです」。母?ああ、さっき彼女が波打ち際で写真を撮っているときに、少し離れた場所から彼女のことを見ていた女性がいたが、彼女の友達じゃなくて、お母さんだったのか・・・。「じゃあ、娘が怪しげなおじさんと話したり、写真を撮られたりしているのを見て、きっと心配しているね」と言うと、「いえ、全然、怪しげなおじさんなんかじゃないです」と彼女がややむきになって言ったのが可笑しかった。「じゃあ、大学受験がんばってね」と言って、彼女に車に戻るように促すと、「また、いつか」と彼女が言ったので、「たぶんもう会うことはないでしょう」と冷静な返事をする。「どうしてですか?」と聞かれたので、「確率論的に考えてです」と答える。海岸から内灘の駅に戻る道を歩いていると、彼女と彼女の母親の乗った青い車に追い越される。車の中から二人が私に向かって会釈をしたので、私も会釈を返した。母親が笑顔だったので、ほっとする。
昼食は海岸の近くにあるレストラン「ア・シュビ・ドゥビ」でとる。去年、偶然見つけたイタリアン・レストランで、1年ぶりの再訪である。お客が多いのにびっくりした。きっと評判がいいのだろう。スペシャル・パスタを注文する。一年前と同じく、なかなかいける。
レストランを出て、駅への道を歩いていると、小奇麗な喫茶店がある。この道は何度も通っているが、いつも閉まっているような印象があったが、今日は開いている。電車の時刻にはまだ間があるし(1時間に2本なのだ)、レストランではグレープフルーツジュースを飲んだので、ここで珈琲を飲むことにした。ドアを開けると2人の女性と一匹の小さな犬に迎えられる。女性の方は笑顔で迎えてくれたが、犬は私に対してあまり友好的ではなく、足元で盛んに吠えている。「すみません。男の方に人見知りをするんです」と細い方の女性が言った。「いえ、大丈夫。犬は苦手ではありませんから」と言って、頭を撫でてやると、おとなしくなった。名前は「クーちゃん」というのだそうだ。ここはペットOKの店で、入り口の横に犬を放しておける庭がある。店の名前は「NSH」と書いて「ナッシュ」と読ませる。
客は私ひとりで、細い方の女性が何かの催しにでかけていったので、ぽっちゃりした方の女性とカウンター越しに話をすることになった。テーブル席はなく、スナックみたいだ。実は、先月の23日にオープンしたばかりなのだそうだ。通りで店内に花がたくさんあるはずだ。彼女がオーナーで、細い方の女性は彼女の学生時代からの友人で、カフェの店長なのだそうだ。エステサロン&カフェということで、オーナーはエステシシャンを兼ねているとのこと。二人とも内灘の人ではなく、富山の氷見の出身だそうだ。年齢は32歳。「内灘のまりな」もそうだったが、なぜ聞いてもいなのに自分から年齢を言うのだろうか。これはもしかして土地の習慣なのか。「こちらへはお仕事か何かで?」と聞かれたので、「旅行です。年に一度、この季節に東京から来ます」と答える。「どうして内灘なんですか?」と不思議そうな顔をするので(内灘は夏の海水浴が観光シーズンで、冬場に来る観光客などいない)、話が少々堅くなるのは覚悟で、1950年代前半の内灘の米軍基地(砲弾試射場)反対運動にことを調べているのですと説明する。32歳の富山出身の女性はもちろんそんな昔のことは知らない。店の前の道路がかつて「鉄板道路」と呼ばれていたことも知らないので、由来を話すとびっくりしていた(海岸の試射上へ小松の工場で作られた砲弾を満載した米軍のトラックが行くのに砂地でタイヤが空回りするので鉄板を敷いて舗装したのだ)。
しばらくして私と同年輩の女性客が入ってきた。オーナーの女性が「鉄板道路って知ってます?」と聞いたら、「何それ?」と答えていた。私が東京から来ている人間で、「鉄板道路」のことに詳しいのだと紹介される(ちょっと違うがままいいか)。その方はここに住み始めて35年だという。1970年代か。それでは知らなくても無理もない。堅い話はやめて雑談に切り替える。オーナー曰く、内灘はセレブが多いのだそうだ。確かに、海岸際の高台(かつては砂丘だったが、造成して宅地にしたのだ)には明るいショートケーキのような家々が立ち並んでいる。金沢駅から車を飛ばせば15分ほどの土地である。地元出身でないオーナーがここにエステ&カフェの店を開いたのにはしっかりしたリサーチがあるのだろう。「私もエステをすれば、あなたみたいにきれいになれるかしら?」と客の女性がオーナーに尋ねていた。
長居になったので、ここで追加オーダー(ミネストローネスープ)
女性客と入れ替わりに今度は年配の(私よりも年長であることは間違いない)男性が入ってきた。オーナーが「鉄板道路」について質問すると、ちゃんと知っていた。「地元の者で知らないものはいないよ」と言った。さきほどの女性客のように他所からやってきた住民は、たとえ35年住んでいても、地元の者とはみなされない。これは日本中のどこの土地でも同じだ。先祖代々住んでいる人間が地元の者なのだ。その男性と私が昔の話をするのをオーナーは面白そうに聞いていた。そのうち、二組の客(セレブっぽい)が入ってきたのを潮時に、店を出ることにした。店の写真を撮ってもいいですかと断って、撮影させてもらう。「何年も続けられるよう頑張ります」とオーナは言った。大丈夫、ここはしっかりと定着する店だと私は思った。
日が暮れるのにはまだ時間があったので、大野川沿いに向粟ヶ崎の集落のあたりを散歩する。金沢港へ続く川で、岸辺にはたくさんの漁船がつながれている。
ホテルに帰り、カーテンを開けると、日没直後の暮れなずむ空が美しかった。私は一人旅を好むが、決して人間嫌いなわけでない。むしろ旅先では人とよく話をする方である。それは一人旅の楽しみの重要な一部でもある。