フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月12日(金)晴れ

2010-03-13 11:48:14 | Weblog

  8時、起床。フィールドノートを更新をすませて、遅い朝食をとりに「Kaga」へ。野菜トーストサンド・セット。店内にはいつもクラシックの曲がかかっているのだが、店外から大きな音量でロックの曲が聞こえてくる。どこの店だろうと思ったら、ポルテ館内(廊下)に流れている音楽だった。音楽は個々の店に任せておけばよいものを・・・。少々寝不足気味のせいか、過剰な音楽が神経にさわる。サウンド・スケープ(音風景)という言葉があるけれども、とにかく何か音楽を流しておけという発想はやめてもらいたいものである。いままでこの雑音に気づかなかったのはポルテの開店時間が11時だからだ(「Koga」だけが例外的に8時開店)。明日は絶対に10時には来よう。
  今日の昼食は鮨屋「小松弥助」に予約を入れてある。一ヶ月前に東京から電話で予約を入れたのである。食事に関しては今回の金沢旅行のメイン・イベントである。1時の予約だが、1時間前には店のある片町に着いて、犀川の岸辺や竪町通り商店街を歩いて時間をつぶす。開店したばかりのような(実際そうだった)古本屋「オヨヨ書林」で、種村季弘『書物漫遊記』(筑摩書房)と清岡智比古『東京詩』(左右社)を購入。店内の写真を撮らせてもらう。東京からこちらに移ってきたそうだ。


オヨヨ書林の店長さんのブログこちら

  1時15分ほど前に「弥助」の暖簾をくぐる。予約の名前を告げると、10席ほどあるカウンター席のひとつが空いていて、そこに案内される。「弥助」の営業は昼間のみで、11時半から、1時から、2時半からの3回の区切りがある。区切りがあるのは基本的にメニューはお任せであるからだ。いまカウンター席にいる客たちはみな、私以外は、11時半からの客たちで、この店の看板メニューともいえる「ネギトロ巻き」を待っているところだった。ご主人が箱の中からトロのブロックを取り出し、スライスし、白髪ネギをのせ、包丁でトントンとリズミカルに叩いていく。客たちの目がその動きに釘付けになる。「待っといてね。」ご主人がニコリとして言う。客たちの間に笑いが起こる。ロングランを続けてきた舞台の名場面を観ているようである(たとえば『放浪記』での森光子のでんぐり返しみたいな)。海苔で手巻きにされたネギトロが客たち一人一人に手渡される。もしかしたら私ももらえるのだろうかと期待したが、お預けだった。やっぱりネギトロからのスタートはありえないのだろう(私はそれでも一向に構わなかったのだが)。手持ち無沙汰だったので、隣の女性客2人に話しかける。「どちらからいらしたんですか?」「東京です」「私もです」(ここでニッコリ)「このお店の予約がとれたので、旅行の日程が決まったみたいな・・・(笑)」「普通は逆ですよね(笑)」。ここで、ご主人が「お待たせしました。一人前をご用意させていただきます」と私に語りかけた。「何か苦手なものはありますか」「何もありません。お願いします」。さあ、幕開きだ。
  おそらく読者は鮨の写真を期待されていると思うが、「弥助」では一枚の写真も撮っていない。撮影を禁止されていたわけではない(隣の女性客はネギトロの写真を撮っていた)。カウンターで鮨を食べる場合、一貫一貫出てくるたびに写真を撮っていたのでは、食事という行為が寸断されてしまうのでよろしくないのだ。それに私は鮨は箸を使わず手で食べるので(そうでないと鮨を食べている気がしない)、写真を撮ろとすると、その度に指をきれいに拭かなくてはならない。なので、ご主人の握る工芸品のような鮨の写真はなし(でも、ネットにはきっとたくさん載っていると思うので、そちらを参照してください)。
  メモもとってはいないので、記憶だけが頼りなのだが、最初の一貫はイカだった。「このまま召し上がってください」と主人は言った。醤油をつけないで、という意味だ。コースの中で、この言葉は何度も出てきた。醤油を使ったのは一度か二度しかなかったように思う。ほとんどは、「漬け」であったり、「たれ」が塗られていたり、塩やカボスがかけられて出てきた。醤油で食べる場合も、「ちょっとだけ醤油をつけて召上ってください」と言われた。甘エビが出されたとき、箸を使っていた客は「どうぞ手で食べてみて」と言われていた。甘エビのヌルリとしてプリプリした感触を指先で感じてほしかったのだろう。鮨というのは官能的な食べ物なのだ。しかし、お任せの上に、食べ方まで一貫一貫指示されるわけで、これに反発を覚える人もいるであろう。好きなだけ醤油をつけて食わせろと。そういう人には不向きな鮨屋である。新婚初夜の処女のように(いまや絶滅危惧種だと思うが)、主人にすべてを委ねるという気持ちでカウンター席に座るのが「弥助」の客の心得である。幸い私にはそういう初心な部分があるので、80歳の老優の演技(パフォーマンス)を心から楽しむことができた。ちなみにご主人は「人生は七掛け」をモットーにされていて自称56歳である(私と同い年だ)。
  コースが終わったことを告げられ、後は何かお好みでと言われ、ご主人お勧めの、平目、漬け(鮪)、蒸しアワビ、ネギトロ巻きをもらい、最後にもう一貫、今日一番美味しいと思った漬けを握ってもらって終わりにした。お勘定は一万円で百円玉数個のお釣りがきた。決して安くはないが、銀座の名店ならこの倍はするだろう。国内のバレエ団の公演のS席と同じ値段であるが、そう考えると、老優の名演技が美味しい鮨を食べながら観られたわけで、とても得をしたような気分になる。
  食後の腹ごなしに住宅街を歩いていたら、どこを歩いているのかわからなくなり(京都のように碁盤の目のような道ではないのだ)、気がつくと、急な坂道を登って、歴史博物館の裏手に出ていた。ここまで来たら兼六園に寄らない手はないだろう。ちょうど梅の見ごろであった。


上手く撮れた?


記念撮影の裏側


展望台から

  ずいぶんと歩いたので、名曲喫茶「ぱるてぃーた」で一休み。最初、誰かの交響曲が流れていたが、その後に、バッハの「パルティータ」になった。店名が由来する曲をかけてくれたわけで(客はそのときは私一人だった)、もしかして再来の客を歓迎してくれているのかもしれないと思った。1時間ほど古本屋で購入した本を読む。


雑音のない世界

  「ぱるてぃーた」を出て、中央公園前の通りを香林坊の交差点の方へ少し歩き、漆器の店「能作」の4階の茶房「漆の実」で本日の甘味タイムとする。「弥助」の後の甘味は洋ではなく和でなくてはならない。レンガ造りの石川近代文学館を見下ろす窓際の席に座り、抹茶クリームぜんざい(白玉入り)をいただく。白玉がほのかにあたたかくやわらかいのは「甘味あらい」と同様である。ちゃんと客の注文を受けてから作っている証拠である。おそらく金沢にはここと同レベルの甘味の店がたくさんあるのだろう。文化の厚みを感じる。メニューの中の「いそまき」や「小倉トースト」にもかなり惹かれたが、夕食のことを考えて、かろうじて思いとどまった。

  ホテルに戻ったのは5時半ごろ。夕食の前に風呂に入り、夕食はホテル内のレストランですませることにした。ありふれたサイコロステーキだが、「弥助」の鮨の記憶を今日は大切にしたかった。


ホテルの窓から