フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

3月27日(土) 晴れ

2010-03-28 02:39:48 | Weblog

  9時、起床。久しぶりに何も用事の入っていない一日。仕事がらみの用事はもちろんだが、墓参りに行くとか、歯医者さんに行くとか、コンサートに行くとかであっても、何か用事のある一日というのは、その用事を核として、一日が編成されるようなところがある。何の用事も入っていない一日は、その核になるものがない。解放感があるといえばあるし、締りがないといえばない。だらだらと過ごしたいような、そうしてはいけないような、新学期の最初の授業まであと10日というのは、そんな時期だ。
  遅めの朝食はベーコン&エッグ、トースト、紅茶。それから大して間をおかない昼食は朝からバーゲンで出かけていた妻が買って帰ってきた握り寿司。


妻が書斎でネットを始めると必ず小雀がそばに来る

  3時を過ぎた頃に散歩に出る。晴れてはいるが、風は思いのほか冷たい。「シャノアール」に入って、小沼先生からちょうだいした春秋社の宣伝雑誌「春秋」2009年12月号に載っている神谷信行という弁護士が書いた「「影」を切り捨てた男―『砂の器』―」(星の時間の読書会6)を読む。松本清張の原作を野村芳太郎監督が映画にした『砂の器』(1974年)を取り上げて、主人公=殺人犯の和賀英良の殺人の動機を理解しようとする。

  「この映画を観る人の多くは、和賀英良の過去について、「同情」はできても、人を殺すことは許されないという思い抱き、彼に共感することは少ないと思われる。」
  「和賀英良が、自分の成功のために他人を道具とすることに共感できないため、自分の素性を知っている元巡査を殺したことについて弁護の余地はないと短絡する人が多いことであろう。この事件がもし「裁判員制度」による裁判にかけられたとしたら、おそらく裁判員たちも、そう感じるのではないかと思われる。
  しかし、公正な審理のためには、裁判員は「和賀英良」の少年期・本浦秀夫の立場にわが身をおいて、「自分が秀夫だったらどうだったであろうか」という問いを自らに投げかけてみなくてはならない。自分の父がハンセン病に罹り、母を離縁して実家に帰し、父と一緒に巡礼乞食の旅に出、学校を行き過ぎる時に楽しく遊んでいる同年の子どもを羨ましげに見やり、食物の喜捨を求めて戸口に立ち、雨や雪の降る中を父と歩き、一腕の粥を父と分けあって食べ、村の悪童から石を投げられ、意地悪な駐在には村を追われ、そして、純朴な駐在によって父と別れさせられたとしたら、「自分」は、どのような行動をとったであろうか。父と別れて「巡査の子」になることができたか。父を追って巡査の家を出はしなかったか。「ハンセン病は遺伝する」という誤解がまかり通っていた時代、この病気は完治するものであることを知らず、自分の過去を隠して生きることを選ばなかっただろうか。
  このような問いを自分に投げかける時、生まれてこの方の全人生を秀夫少年の人生と付き合わせ、検討することが求められる。」
  「差別される体験を共にした父と別れる時の秀夫の辛さは、言語に絶するものであったろう。秀夫はその辛さを噛みしめたうえ、父と別れて「別の人間」として行きようとしたのである。しかし、“父を断念する”ことの痛みは、あの純朴な巡査に伝わっていなかった。秀夫に食事を勧め、盥で秀夫の体を洗っている時の楽しそうな巡査の顔に、秀夫の痛みへの共感はない。
  秀夫は、父を忘れるのにどれかけの努力をしてきたことだろう。『宿命』という曲は、秘かに父を思って作った曲である。その創作中に、年老いたあの純朴な巡査が突然現れ、「父と会え」と言いに来た。「お前に会いたがっている。頸に縄を付けてでも連れていく」と、年老いた元巡査は鬼のような形相で秀夫に迫った。
  ここで秀夫はどのように思ったか。私は、このように考える。(あの時、父と自分を引き裂いておきながら、今度は「父と会え」と強く迫る。自分がこれまでどのような思いをして父を諦めたのか、この人は何もわかっていない。自分は過去の自分を捨て去り、自分でここまで成功してきた。今ここで、俺の「仮面」を剥ごうというのか。善意の押し売りもいい加減にしろ!!)
  こうして「本浦秀夫」としての憤怒がこみ上げ、「和賀英良」は純朴な元巡査を殺したのだと思われる。
  彼の動機は、このように了解できるのであり、私は十分に和賀英良の弁護は可能であると考える。」

  映画では、純朴な元巡査を緒方拳が演じていた。確かに、神谷が指摘しているように、その純朴な元巡査は、かつて本浦秀夫=和賀英良とその父親を無理矢理に引き離した人であり(それが少年の将来のためだという判断の下に)、いま和賀英良=本浦秀夫とその父親を無理矢理に再会させようとしている人である(それが余命いくばくもない父親のためだという判断の下に)。元巡査が善意の人であることは間違いないが、その善意には独善的な面があり、いや、すべての善意は独善的なものを本質的に含んでいるといってよく、そのことに本人が気づいていないとき(それがほとんどであろう)、善意は脅迫的な力となる。その脅迫的な力からわが身を守ろうとして和賀英良は元巡査を殺害したのであると。なるほど、そう考えると、情状酌量の余地のある殺人である。
  弁護士の神谷がこの文章を書いたのは「裁判員制度」を意識してのことであるが、私が神谷の文章を取り上げたのは、ゼミの学生たちが取り組むライフストーリー・インタビューを意識してのことである。他者が語る人生の物語を「わかる」「わからない」というとき、どれだけ相手の人生の文脈に身をおいて考えているのかということを自問してみなくてはならない。それは「わからない」場合だけではなく、「わかる」場合にも必要な自問である。なぜなら、自分がわかるような仕方で安易に相手をわかってしまっている可能性があるからだ。「簡単に私のことを理解してほしくない」と相手は思っているかもしれない。

  「シャノアール」を出て、「ベルフォセット」にケーキを買いに行く。明日は母の誕生日(83歳)で、全員がそろって夕食を食べられる今夜、一日早い誕生祝をしようということになったのである。


前列左から、タルト・オ・デコポン、抹茶の雫、レアチーズ
後列左から、春のめぐみ、テ・ショコラ、ゆずづくし、フランブラン

  夕食は「オレンチーノ」に食べに行く。私以外は全員初めて。娘が味噌煮込みうどん、あとの者は醤油煮込みうどん。その他に一品料理で、出汁巻き玉子、鶏の唐揚げ、枝豆、塩辛を注文。娘は日本酒の冷やをグラスで。店からのサービスでカボチャと切干大根のおやき。

  今日、妻がケータイを紛失した。auに連絡して、ケータイを使用できないようにしてもらったが、データのバックアップをとっていなかったので、知り合いのケータイの番号やメルアドがわからず、このことを連絡できない。中には私のブログを見ている方もいるようなので、ここでお知らせしておきます。