8時、起床。卵かけご飯、しらす干し、なめこの味噌汁の朝食。明後日の論系進級科目登録ガイダンスの資料の作成(途中まで)。10時半に家を出て、鶯谷の菩提寺に墓参りに出かける。母、妻、息子と私。現地で妹夫婦、甥と合流。総勢7名。
墓参りを済ませて、いつもの「錦華楼」で食事。昨日の予想どおり、母はレバニラ炒め定食を注文した。同じレバニラ炒めでも見た目はずいぶんと違うものである。私の注文した油淋鶏もよく行く「秀永」のものとは見た目がずいぶんと違った(油淋鶏については「秀永」の方がずっと美味しい)。妹の注文した蟹玉定食がなかなか運ばれて来ず、ずいぶんと長居をした。
母一人では食べきらない量で、私も手伝った。
夕方、サントリーホールで行われる早稲田交響楽団のコンサートに出かける。今回の作品は以下の3つ。
ブラームス 悲劇的序曲 作品81
R.シュトラウス 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」作品28
ブラームス 交響曲第1番 ハ長調作品68
前半の2曲はゴチャゴチャした印象を受けた。とくに2番目の曲は、元来がおもちゃ箱をひっくり返したような曲なのだが、そのおもちゃ箱をひっくり返したような感じが表現されたものなのか、オケの素の部分が出ているのか、わからないところがあった。しかし、休憩後のブラームスはとてもよかった。曲自体がいいということもあるだろうが、弦楽器の作る安定した土台の上で、管楽器がのびのびと歌っていた。とくに一場えりかのオーボエがよかった。楽器によって、あるいは同じ楽器でも奏者によって、身体を大きく動かす人とあまり動かさない人がいる。一場は大きく動かす人である。どちらかといえば小柄な彼女が、音楽に合わせて、大きく身体を動かしながら演奏する姿は、音楽に没入しているというのか、見ていて清々しい。音楽にとって重要なのは聴覚であって視覚ではないという意見もあろうが、コンサート会場へ足を運んで音楽を聴く者にとっては視覚もまた音楽を楽しむための重要なファクターである。
アンコール曲の奏者として安田真理奈が登場したときは驚いた。ブラームスの交響曲1番を聴きながら、彼女はいまどこでこの演奏を聴いているのだろう、舞台の袖か、楽屋か、あるいは客席かと考えていたので、彼女の登場には本当に驚いた。思わず、口の中で小さく「おぉ」と言ってしまった。周りの人たちはあまり驚いていないようなので、もしかして、みんなことのことを事前に知っていて、サプライズ気分を味わっているのは私だけなのかと疑った。曲はモンティのチャルダッシュ。マンドリンのための独奏曲をヴァイオリン用に編曲したものだが、今回はヴォイオリン独奏でなくて、オケが付いて小さいながらヴァイオリン協奏曲になっている。4年生の安田は2月のコンサートでチャイコフスキーのヴァオリン協奏曲を弾くはずであったが、体調を大きく崩して断念したという経緯がある。その安田が最後の最後で「ヴァイオリン協奏曲」を弾いた。粋な計らいである。本当によかった。彼女の回復を祝して、CDを購入して帰る。
昨年のヨーロッパ公演のCD(2500円)