8時、起床。朝食のパンを買いに行くと、清水電気の前の街路樹から雀の子が私の頭をかすめて降りてきた。人間に対する警戒心がまるでなく、触っても逃げない。そのうちに親雀が、さすがに心配したのだろう、子雀を呼びに来て、子雀も木の上に戻って行った。もう少し遊んでいたかったが、親のいる雀ではそういうわけにもいかない。
カレー、トースト、冷麦茶の朝食。一度、夕食にカレーを作ると、数日、カレーの朝食が続く。
答案の採点作業。全部で250枚あるが、半分ほど終わらせたところで、散歩に出る。夏の青空が広がっている。
遅い昼食を「香港府」でとる。初めて入る店である。蒲田には飲食店がとても多い。新規開拓はやろうと思えばいくらでもできる。しかし、その一方で、馴染みの店から足が遠のいてしまうのもよろしくない。このあたりのバランスがけっこう難しいのである。
「香港府」の店先には料理長の写真が出ていて、本場の中華料理のコンクルールで優勝だか入賞だかをしたことが書かれている。自己宣伝は話半分に聞いておこうと思ったが、注文した台湾ラーメンのスープを一口すすって、「これはいける!」と思った。麺もいい感じだ。「当り」と私は心の中で呟いた。
セットで付いてきた餃子は蒲田名物の羽付きのやつ。醤油、ラー油、酢、3つとも使う。子供の頃は醤油だけだった。大人になってからラー油も使うようになり、その後、さらに酢も使うようになった。多くの人はこの順序ではないかと思うが、醤油だけの段階に留まっている人や、醤油+ラー油の段階で留まっている人も少なくないようだ。考えてみると、ここには一種の発達史観のようなものがあり、「3種混合派」は醤油だけの人や醤油とラー油だけの人を下に見るというか、憐れむようなところがある。「この美味しさがわからないとは・・・」と。同様のことは、山葵や生姜を使わずに醤油だけで刺身を食べる人や、山椒を振らずに鰻の蒲焼を食べる人や、大根おろしを排して出汁巻卵や秋刀魚の塩焼きを食べる人に対してもいえる。薬味を使わないことが、人生の深い味わいを知らないことであるかのように思われてしまうのだ(そこまでは思わないか)。しかし、最近、そういう人たちと何度か食事をする機会があって、私は少しばかり考えを改めた。それはそれでいいんじゃないかと。薬味は料理の味を引き立てるが、同時に、料理の味を隠してしまっているともいえる。薬味を使わないことで、料理本来の味、素材そのものの味を、味わっているのだと。ただし、この解釈に多少無理があるのは、そういう人たちも醤油だけは使っているという点である。もし醤油も使わずに刺身を食べる人がいたら、素材主義者として徹底しているが、でも、やっぱり醤油はつけた方が絶対に美味しいよね。
腹ごしらえができたので、五反田のゆうぽうとに松山バレエ学校の発表会を観に行く。私のゼミ4年生のIさんが出演するので、観に行く約束をしたのだ。発表会そのものは早い時間から始まっているのだが、小さな子供からだんだんと学年や年齢が上がっていくので、Iさんたちの出番は終わりから二番目(最後は講師の先生方の出番なので、アマチュアとしては最後)で、午後6時45分頃とのことだった。ゆうぽうとに着いたのはその1時間前で、Iさんたちの出番の前の何組かの発表を見た。それでIさんたちの発表も似たようなレベルのものだろうと予想していたのだが、それはとんだ勘違いで、「ライモンダ」の舞台(一部)をプロと同じ舞台装置や衣装で踊る本格的なものだった。ブラボー!それにしてもこれは大変な練習量であったろう。この数ヶ月、就活やゼミの合間を縫って、練習を続けてきたわけだ。あるいは、練習の合間を縫って、就活やゼミに出てきてたわけだ。よく頑張ったな、Iさん。
事前にメールで舞台が終ったらお渡ししたいものがあるので、座席で待っていてくださいと言われていたので、Iさんがやってくるものと思っていたら、Iさんのお母様がやってこられて、「大久保先生でいらっしゃいますか。娘がお世話になっております」と挨拶をされたので、面食らった。しかもお土産(洋菓子)までいただいてしまった。ああ、こんなに素晴らしい舞台を観られるとわかっていたら、花束を用意してきたのに・・・。ゼミ4年生のHさんや、ゼミ二期生のTさんも観に来ていて、お母様からお土産をいただいていた。しかも二人ともIさんへのプレゼントを用意していた。ああ、学生がちゃんとやっているのに教師が手ぶらとは情けない。これでは餃子を「3種混合」で食べていても大人とはいえない。
9時過ぎに帰宅。コーヒーを飲みながら、いただいたお菓子(マドレーヌ)を食べる。素晴らしかった舞台を振り返る。