朝9時から始まった告別式は午後1時にはすべて終り、若い二人の運転する車で東武伊勢崎線の赤城駅まで送ってもらった。女性は18才で、10年前、彼女が小学生のときに会って以来である。男性は19才。初対面。高校を中退し、いまは親戚の土木会社で働いている。二人の間にはすでに子供がいる。男の子だそうだ。これまでのことについては、今日、女性の母親から聞いた。母親はわれわれに話そうかどうしようか迷った末、いつまでも隠しておけることではないと覚悟を決めて、話してくれたのである。駅に着いて、車を降りるとき、「送ってくれてありがとう。これから二人で力を合わせて頑張ってね」と言うと、二人は嬉しそうにうなづいた。あどけなさの残る笑顔だった。おばさんの葬儀がなければ、二人のことは知らないままだったろう。そう考えたら、亡くなったおばさんの遺志が働いているように思えた。二人のために具体的に何かをしてあげられるわけではないが、二人が、いや、三人が、幸せな家族になれるように祈っている。
列車の窓から見る風景は、水田と里山、日本のどこにでもある平凡な風景である。しかし、平凡な風景の中で日々を送っている人の人生は必ずしも平凡とは限らない。都会で暮らす人間はときに田舎の生活に憧れるが、田舎の生活が穏やかなものであるというのは勝手な思い込みである。人生問題は都会にも田舎にもある。生きていく限り、われわれは人生問題から逃れることはできない。逃れることが出来ない以上、われわれは、それに正面から対峙したり、適当にやり過ごしたりして、やっていくしかない。
終点(浅草)の一つ手前はとうきょうスカイツリー駅である(旧名:業平橋駅)。東京スカイツリーの根元を初めて見た。