フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月5日(火) 小雨のち曇り

2014-05-06 12:48:41 | Weblog

     明け方にちょっと大きめな地震があり、目が覚める。家の中を点検し、しばらく余震に備えて起きていたが、大丈夫そうなので、もう一度寝る。

     筍ご飯、卵焼き、サラダ、味噌汁の朝食。

     午後、散歩に出る。小雨が降っている。

     駅に行く途中、「そば新」で昼食をとる。うどん+コロッケ+ちくわ天。

     今日は立夏だ。歳時記で「立夏」の句を調べる。

        街角のいま静かなる立夏かな  千葉皓史

        家中の音のしづまり夏に入る  井越芳子

        おそるべき君等の乳房夏来る  西東三鬼

        子に母にましろき花の夏来る  三橋鷹女

     私も作ってみた。

        立ち食いの蕎麦屋は雨の立夏かな  たかじ 

     東京ステーションギャラリーで開催中(明日まで)の「光風会100回展記念 洋画家たちの青春―白馬会から光風会へ」を観に行く。

     アカデミズムにおける洋画のリーダーだった黒田清輝が白馬会を立ち上げたのは明治29年であるが、文部省美術展覧会(文展)が創設(明治40年)されたのをきっかけに、その創設に尽力した黒田はこれからは団体展は文展ひとつあればいいと、明治44年、白馬会の解散を宣言した。しかし、既存の団体展の多くはそうした一極集中志向に反発して存続したので、白馬会に所属していた洋画家たちだけが作品の自由な発表の場を失うことになった。そうした状況を踏まえて、白馬会解散の翌年(明治45年)、白馬会の若手7名が光風会を立ち上げた。事実上の白馬会の後継団体である。以後、さまざまな分派を生みながら、光風会は現在まで存続している。今回の展覧会は、明治から昭和にかけての日本の洋画をとりまく状況を光風会の視点からとらえ直すというものである。

     展示されている作品は67人の画家の80余点。それぞれの画家が光風会とどのような関係にあるかが作品の横のパネルに生真面目に説明されているが、途中からそうした説明を読むのはわずらわしくなり、作品だけを鑑賞した。思わず立ち止まってしばらく眺めた作品は少なくない。

     風景画としては、以下の作品が素晴らしいと思った。

        白瀧幾之助 「ロンドンテームズ河の霧」(1910)

        山本森之助 「波」(1918)

        跡見泰 「石川島」(1930)

        辻永 「ハルピンの朝」(1917)

        小絲源太郎 「山村春闌(安茂里)」(1943)

        牧野虎雄 「白き岩」(1913)

        田村一男 「きたのくに」(1982)

     人物画としては、以下の作品が素晴らしいと思った。

        藤島武二 「うつつ」(1913)

        岡田三郎助 「五葉蔦」(1909)

        中澤弘光 「カフェの女」(1917)

        寺内萬治郎 「裸婦」(1953)

        伊勢正義 「赤い上衣の女」(1937)

        鬼頭鍋三郎 「黒椅子の少女」(1963)

        高光一也 「黒衣の像」(1963)

        須田剋太 「老人像」(1941)

        渡邉武夫 「診察室の宮崎先生」(1943)

     絵画ではないが、杉浦非水の「図案」は素晴らしと思った。

     東京ステーションギャライーは作品以外にも見所がある。「階段」である。ここは写真撮影OKなので、アップしておく。

     「橋」や「扉」について社会学的な考察をしたのはジンメルだが、「階段」についても何か書いていないだろうか。

     「橋」は「わたる」ものであり「つなぐ」ものである。「扉」は「開ける/「閉じる」「入る/出る」ものである。「階段」は「昇る/降りる」ものであるが、東京ステーションギャラリーの階段は「降りる」ことが主である(最初にエレベーターで3階まで行く)。ぐるぐる回りながら「降りる」のである。地下に「潜る」わけではない。3階から1階(地表)に「戻る」ような「降りる」である。

 

     今日、年間パスポートを購入した(4000円)。東京ステーションギャラリーは、東京駅丸の内北口改札の横にあって、文字通り通勤途中に立ち寄れるギャラリーなので、年間パスポートのようなものがあるといいなと思っていたが、ようやくこの3月に発売されたのである。

     手続きのとき、「ここに一番決まっているお顔の写真を貼ってください」と受付の女性が言った。「一番決まっているお顔の写真」ね・・・。面白い言い方をするものである。真面目に頷いてしまったが、笑った方がよかったのだろうか。

     蒲田に戻り、「phono kafe」にちょっと顔を出す。(閉店30分前)

     先客は二人だったが、私の後に、3人組の客と、女性の1人客が入ってきて、奥の和室とカウンターまでが客で埋まった。閉店15分前の満席である。大原さんが私のことを「福の神みたいです」と言った。

     リンゴジュースと赤高菜の胡麻味噌和えを注文。最初は閉店までいるつもりでいたが、カウンターの女性が食事を注文したので、それが運ばれて来る前に私は席を立った。食事はゆったりとテーブルで食べた方がいい。

     我が家の夕食の献立はキャベツと挽肉の味噌炒め。