フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月9日(金) 晴れ

2014-05-10 10:25:12 | Weblog

     7時半、起床。

     ハムカツサンド、サラダ、牛乳の朝食。

     10時半に家を出て、大学へ。

     昼休みと3限の一部を使ってIさんのゼミ論個別指導。一般的に本を読んで勉強することと、論文を書くことの違いについて説明する。何かについて知りたくて本を読むというのが一般的な勉強であるが、論文を書く場合は、具体的な問いを立てて、その問いを解くために本や資料を読むのである。だから論文の構造は、問い→探究のプロセス→解(知見)という三層構造になっている。漠然となにかについて知りたくて本を読んで、その蓄積をまとめたものは、読書(勉強)ノートであって、それは論文を書くための大切な資料ではあるが、論文そのものではない。

     指導を終えて、昼食は「メーヤウ」で。久しぶりである。今週のカリーであるキーマカリーを注文する。ここの基準では☆印1つの辛さであるが、久しぶりなせいかけっこう辛く感じた。これで☆印1つ? もしかして店全体の基準が底上げされたのではないだろうか。私が一番よく注文するのは☆印3つのポークカリーなのだが、今日それを食べたら、きっと悶絶したであろう。

     2時に卒業生(1997年卒)のNさんがお子さんをつれてやってくる。R君はあと数日で満3歳になる。

     お土産にいただいたドーナツをさっそくいただく。

     研究室でしばらく話をした後、3人で構内を散歩する。R君にとっては初めての場所であるが、Nさんにとっては学生時代にタイムトリップしたよう気分であったろう。

     事務所の前の休講掲示板を懐かしそうに眺めるNさん。1限の語学の授業に出るために登校して、それが休講であることを知ったときはガックリしたそうである(いまでは休講情報はネットで知ることができる)。

     空き教室に入ってみる。空間は同じだが、机が新しいものになっている。木の机の頃は、表面に落書きがいっぱい書かれていて、ときに試験のカンニングのための書き込みをする学生もいて、それが試験中に見つかって、先生に「出て行きなさい!」と言われて、すごすごと教室を出て行きましたというエピソードをNさんは語った。そういわれてみると、確かに、白い机の上板は落書きもなく、きれいなものである。

     カフェテリアに行ってみる。雨が降ってきたせいもあるだろうが、学生でいっぱいである。Nさんが在学していた頃より、テーブルの数も増えている。

     生協の職員の方だろうか、「お孫さんですか?」と声をかけられる。「血のつながりはありませんが、教え子の子どもですから、孫のようなものです」と答える。「ずいぶんと小さなお子さんがいらっしゃるのですね?」と聞いてほしかった。

     歩き疲れたのだろう、最後は、R君はNさんに抱っこされて、帰って行った。

     5限・6限はゼミ。GWも明け、本格的なゼミの授業が始まる。

     5限は3・4年生合同ゼミで、春学期は街をフィールドにした3年生のグループ報告が中心となる。報告自体は来週からで、今日はそのイントロ。

     休憩時間のスイーツは4年生のMさんが用意してくれたミルフィーユ。

     6限は学年別のゼミ。4年生は7階の論形室に移動して、ゼミ論中間報告会。先週、個別指導をしたMさんとTくんが今日の報告者。今朝、二人からはメールでレジュメが届いたが、本番の発表の出来はわからない。不出来だった場合は(自己申告)、そういう学生を集めて、夏休みに「ドラゴン桜」ばりの特訓をしようかと考えている。

     私は3年生のゼミに出る。テキストを読んできてのディスカッションというオーソドックスなスタイル。みんなよく発言した。時間を15分ほど延長して行ったが、順番にあてたわけではないのに、結果的に全員(18名)が発言をした。なかなかこうはいかないものである。次回からもこの調子で。

     ゼミを終えて、研究室に戻る途中、33号館のロビーのガラスに映る自分の姿が「007」のジェームズボンドのように見えた。