フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月21日(水) 雨のち曇り

2014-05-22 10:48:34 | Weblog

     8時、起床。雨が降っている。 信州から東京に戻ってき途端の雨である。非日常と日常との間にくっきりと線が引かれたような感覚。

     海老フライ、ポタージュスープ、パン、サラダの朝食。

     1997卒のSさんと2000年卒のMさんが昨日、「SKIPA」で食事をして、初対面にもかかわらず、あっと言う間に打ち解けておしゃべりを楽しみましたという報告のメールが、Sさん、Mさんそれぞれから届いた。そもそもの事の始まりは、私がブログで、Sさんのウェッブサイトを紹介したことにある(4月22日)。それを読んだMさんは、自分が日頃愛読しているウェッブマガジンのライターがSさんであることを知ってびっくりし、Sさんにメールを出したいと思うというメールを私に送ってきた。Sさんが研究室にやってきたとき(4月25日)、Sさんにそのことをお伝えすると、自分のメールアドレスをMさんに教えて差し上げてくださいと言われた。こうしてMさんがSさんにメールを出し(一種のファンレターである)、昨日、二人は初めてリアル空間で会うことになったわけである。

     二人からのメールには「あっという間に打ち解けた」ということが書かれていた。同じ第一文学部の同じ社会学専修の卒業生であること、年齢が近いこと、同じような年齢のお子さんがいること、住んでいる場所が近いこと、そうした共通点や類似点があることに加えて、MさんがSさんの文章の愛読者であること(つまりスタート時点から好意的な感情が存在していること)が大きく作用していることは間違いないが、しかし、それだけではないだろう。もし同じような設定であったとしても、これが男性同士であったら、カフェで会って食事をして「あっという間に打ち解ける」というプロセスを経ることは難しいのではないかと私には思えるのである。ここには「女子的な」人間関係のメカニズムが作用しているように思えてならないのである。私はSさんへの返信のメールでこの点について言及し、このあたりのことを考察した文章をウェッブマガジンか彼女自身のブログに書いていただけないかとお願いした。

     ところで、SさんとMさんがリアル空間で会うことになったそもそもの事の始まりはSさんのウェッブサイトを私がブログで紹介したことにあると書いたが、なぜそういうことを私がしたかといえば、卒業から17年、その間一度も連絡を取り合ったとのないSさんから「突然のメール失礼いたします」というメールが届いたからである。電話や、手紙や、メールは、「突然の連絡」をするのに便利なメディアであるが、Sさんが突然のメールを送ってよこした直接のきっかけは「maruharu」閉店の記事を私のブログを読んだことにある(私のブログはある時期から読んでくださっていたのだが、もちろん私はそのことは知らない)。しかし、Sさんは言及していなかったが、その背景には、Mさんたち2000年卒の教え子たちが私の還暦を祝う会を開いてくれて(4月5日)、その後、彼らとの個別的な社交(研究室訪問)の様子がブログに頻繁に紹介されるようになったことがあるのではないだろうか。それまでは、比較的最近の卒業生(文化構想学部のゼミの卒業生)が登場することが多かったのだが、4月は現在30代半ばから40代にかけての昔の卒業生が次々に登場するようになったのである。Mさんもその一人、というか、最初に登場した人である(4月14日)。こうした状況がSさんが「突然のメール」を出しやすくしたのではないかと思う。

     このブログは私の日常生活が舞台で、卒業生との社交は主要なテーマの一つである。それを読んだ卒業生の間に社交が派生していくというのは予想し期待もしていたことであるが、それは旧知の卒業生同士の間の社交(久しぶりに会わない?)で、今回のSさんとMさんのようなケース、直接の面識のない卒業生同士の間で社交が生まれることまでは考えていなかった。1997年卒のNさんと2007年卒のTさんのように、私が2人のブログを私のブログで紹介し、お互いが敬意をもって相手のブログの読者になっているというケースはあるのだが、まだ、リアル空間で2人が対面するまでには至っていない(対面するときは「モスラ対ゴジラ」的状況ではないか私は想像している)。だから今回のケースは「社交空間としてのブログ」(書き手と読者だけでなく、読者同士の社交を産み出す場所)というものを考えて行く上で貴重なものだろうと思うのである。

     お昼に家を出て、大学へ。

     3限は研究室で読書会。弁当(崎陽軒のシューマイ弁当)を食べながら(学生にスイーツを振る舞う)。

     4限はCさんの卒業研究指導。

     5限はA君のゼミ論個別相談。A君が手土産にもってきた「梅花亭」の麦羽二重餅(むぎはぶたえもち)。小豆餡を求肥の皮で包み、少し焦がした麦の粉をまぶしたものである。口にしようとする瞬間に香ばしい麦の薫りがするという繊細なお菓子でである。「梅花亭で買い物をするときお店に人に大久保先生のことを尋ねたのですが、ご存じありませんでした」とA君が意外そうに言った。私は「梅花亭」では、ときどきやってくる甘いもの好きのおじさんで、店の方は私の名前も職業も知りません。

     6時半頃、大学を出る。

     夕食は鶏肉とアスパラと茄子とインゲン豆の炒めもの。

     信州旅行の記事を読んで何人かの方からメールをいただきました。事実関係にかかわることでひとつだけ紹介しておきます。長野の映画館「相生座」、築100年というのは本当でした。すごいな。(弘前大学の高瀬君からのご指摘。彼は私が長野に行く3日前まで当地に滞在していたそうである。びっくり。)


5月20日(火) 晴れのち曇り

2014-05-22 02:18:53 | Weblog

     6時、起床。旅行中の身体が日常の身体に戻っていないのだろう、早く目が覚めてしまう。体は疲れているはずなのに・・・。

     朝食兼昼食を「越前屋」に食べに行く。信州(長野)から帰って休む間もなく越中(富山)に行くわけだ。信州では、蕎麦、カレーライス、洋食だった。純和風の食事がしたくなったのだ。 

  

     ししゃも(200円)。

     小女子(こうなご)の天ぷら(250円)。

     納豆(70円)。

     ほうれん草のおひたし(150円)。

     とうふ汁(100円)。

     ご飯普通盛り(170円)。

     「お冷をください」と言うと、冷水の入った瓶とコップが出てくる。これは無料。

     〆て940円。朝食としては豪勢である。

     食後のコーヒーを「あるす」(しばらく顔を出していない)に飲みに行くことをチラリと考えたが、ブログの更新とか、たまっていることがあるので、まっすぐ帰宅する。

     やはり旅の疲れはある。なのに早起きしてしまって眠い。早々に昼寝。

     昼寝から目覚めて妻が買ってきた「白くまくん」のいちごミルクを食べる。かき氷は冷やし中華と並んで初夏の風物詩である。あっ、そうだ、6月の句会では「赤」という字を入れた句を一つ作るという兼題があるのだが、イチゴのかき氷で作ってみようかしら。人それぞれだと思うが、私にとってのかき氷はイチゴに代表されるのである。

        かき氷少女は赤き舌を出す  たかじ

     夕食はフライの盛り合わせ。

     フライはウィインナー、新玉ねぎ、海老の三種(これ、好きな順です)。