フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月29日(木) 晴れ

2014-05-30 11:33:18 | Weblog

     8時、起床。

     マフィン、サラダ、蜂蜜、紅茶の朝食。

     蜂蜜は信州旅行のときに購入したもの。トーストしたマフィンに蜂蜜を塗って食べる。紅茶によく合う。

     11時半に家を出て、大学へ。

     早稲田に着いて、「五郎八」で昼食。

     天せいろを注文。天ぷらは海老(2本)、茄子、人参、舞茸、獅子唐辛子(あと何か一品あった気がする)。

     今日は気温が高く、湿度もけっこうある。街は東南アジア的真夏の気配。

 

     3限は大学院の演習。今日は大学での用事はこれだけ。昨日とは打って変わって半ドン的気分。

     演習を時間通りに終えて、校舎の裏手を回って教員ロビーに行って資料をコピーしてから、大学を出る。

     「カフェ・ゴトー」で1時間ほど読書。今日は(も)「カフェゴト―」は満員で、窓際の大きなテーブルで合席となる。 

     7時から「キネカ大森」で映画を観る予定なのだが、映画の前に食事をとると眠くなってしまいそうなので、「まやんち」で甘味の補給だけに留める。時間は5時を回っていたので、もうキャラメルタルトはないだろうと思っていたら、まだあった。望外の喜び。キャラメルタルトは5月限定メニュー。土曜日にキャラメルタルトを食べたいという卒業生を連れて来る予定なので、今日のは「最後から二番目のキャラメルタルト」だ。紅茶は春摘みのダージリン。

     新しいスタッフさんが今日からフロアーに出ている。「あっちゃん」という。頑張って下さい。

     「キネカ大森」で『そこのみにて光輝く』を観る。シニア割デビューをした。シニア割=1000円だと思い込んでいたが、消費税アップのせいだろう、1100円だった。カウンターで、「一般でよろしいですか?」と聞かれたので、「シニア割でお願いします」と言って健康保険証を提示しよとしたら(私は車の免許証は持っていない)、ちらっと見ただけで(とくに生年月日のチェックはしないで)、半券を渡された。そういうものなのね。

     『そこのみにて光輝く』は『海炭市叙景』と同じ佐藤泰志の小説が原作。1990年、41歳で自ら命を絶った不遇な作家が死の前年に発表した唯一の長編小説だ(三島由紀夫賞の候補作になった)。監督は呉美保。

     函館の夏らしくない夏の一瞬のきらめきを描いたやさぐれた青春映画である。「シニア割」デビューの作品としては申し分ない。採石現場でのダイナマイト事故で仲間を失い、パチンコと酒に溺れる日々を送る青年(綾野剛)が、パチンコ屋で知り合った若者(菅田将暉)の家に行くと、そこには社会の吹き溜まりのような場所で暮らす一家がいた。脳こうそくで寝たきりの(しかし性欲は旺盛で床からさかんに妻の名を呼ぶ)父親(田村泰二郎)、愚痴ばかりこぼしている母親(伊佐山ひろ子)、売春で一家の生計を支えている姉(池脇千鶴)、仮出所中の弟。青年は若者の姉と恋に落ちる。二人は結婚してそれぞれの境遇から抜け出そうとする。しかしもちろん話はそう簡単にはいかない。家族は希望であり、同時に、希望に向かって歩み出そうとする者の足枷でもある。女の不倫相手の中年男(高橋和也)に向かって、青年が「家族大事にしたらどうですか」と言うと、男は「大事にしてっからおかしくなるんだべや」と答える。

     何もかもが台無しになるような出来事が起こって、しかし、かろうじて青年と女は破滅の淵で踏みとどまる。夜明けの浜辺でのラストシーンは、たしかに、タイトルにふさわしい映像になっていた。

     映画を観終わって、「レ・フレール」という洋食屋で食事をする。大森在住の卒業生Cさんから教えてもらった店だ。名前の通り、3人兄弟がやっている。営業時間は朝の5時までで、これから混んでくるのだろうか、先客は一組だけで、彼らが出て行ってからは私ひとりになった。

     カウンターに案内される。目の前の酒瓶たち。「食事だけの注文なんですが・・・」と言いながら、ハンバーグ(ご飯で)を注文する。

     美味しいハンバーグだった。ペロリと平らげる。

     食後にコーヒーを注文し、映画のプログラムに目を通す。

     「キネカ大森」→「レ・フレール」というのは定番的コースになるかもしれない。

     10時過ぎに帰宅。風呂を浴びてから、『続・最後から二番目の恋』(第7話)を観る。長倉家と独り者の千晶(小泉今日子)という構図は、一家団欒と中年の独身女性の孤独と読み替え変えられがちだが、『そこのみにて光輝く』で描かれているように、家族は希望でもあり足枷でもあるのだ。それを端的に表しているのは水谷典子(飯島直子)の夫・広行(浅野和之)である。彼は若い女性に入れあげて、家を飛出し(追い出されて)、ホームレス同然の生活をしている。コミカルに描かれてはいるが、かなり悲惨な生活である。長倉家と水谷家は家族というものの明るい面と暗い面を表している。その長倉家の長男和平(中井貴一)にしても、明るくコミカルなキャラの下に、鬱々とした思いは持続的に存在しているのである。明るくコミカルな演出を排して、暗く深刻に描こうとすればいくらでもそのように描けるテーマである。