フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月22日(木) 曇りのち雨

2014-05-23 11:10:18 | Weblog

     9時、起床。

     アサリと山椒の佃煮、サラダ、ご飯、冷麦茶の朝食。

     佃煮はお茶漬けで。

     11時過ぎに家を出る。雨がパラパラと降り始めた。引き返して二階のベランダの洗濯物を取り込むべきか。でも、西の空は明るいし、天気予報では雨は夕方から降ると言っていた。だからこれはすぐに止むパラパラ雨だろうと考えて、そのまま駅に向かった。この判断は間違っていたことがやがて明らかになるのだが、今日の東京はおかしな天気だった。 

     昼休みの時間にゼミ3年生のグループ発表の事前指導。今年のゼミでは3つの新しい試みをしている。第一は、4年生のゼミ論個別相談のルーティン化。ゼミでの中間発表の一週間前に個別の指導を行い、それを踏まえて教室で(みんなの前で)中間発表を行うというもの。「相談があったら来なさい」ではなく、全員、発表の前の週に必ず個別相談を行うことにしたのである。第二は、3年生のグループ研究。最終的な成果物であるゼミ論は個人個人が書くものだが、ゼミがスタートしたばかりの3年生には、飲み会や合宿を通じてゼミ生同士が親しくなるというインフォーマルなルートだけでなく、グループワークを通して親しくなるというフォーマルなルートもあった方がよいと考えたのである。第三に、それと関連して、ゼミ論の中間発表と同様、本番のグループ発表の前に研究室で事前の指導をすること。事前指導なしで、私も他の学生と同様に初めて教室で発表を聞いて、コメントを述べるというのが普通の方法だが、これだと「後の祭り」的になりやすい。発表の後に改善点を指摘しても、それが生かされる「次の機会」はなかなかやってこない。要するに丁寧に指導するということだが、そのためには正規の授業時間外に指導の時間をとらなければならないわけで、昨年までのように週に8コマの授業を担当していてはそれは無理である。もちろん不可能ではないが、それをやると、ブラック企業で働くサラリーマンのようにサービス残業の時間が正規の就労時間と同じくらいになってしまう。コマ数をたくさん持つことは「超過勤務手当」としてペイされるが、1コマの授業で正規の時間外に学生指導をいくら行ってもそれはボランティアであってペイはされないのである。しかし、多忙を理由に丁寧な指導を行えずにいるというのは、教員として忸怩たるものがあった。

     今年度、特別研究期間をいただくにあたって、したいことの一つがこうした丁寧な指導であった。研究と教育を別のものと考えている人には理解できないことであろう。

     3限は大学院の演習。

     4限・5限に予定したことがキャンセルになったので、早めに大学を出る。

     東京駅から「まやんち」へ電話をして、例のキャラメルタルトはまだ残っていますかと尋ねたら、2つ残っていますとのことだったので、それを予約して(1つは店で私が食べ、もう1つは妻へのお土産)、4時頃、「まやんち」に到着。

     昼食がまだったので、野菜のサンドウィッチと紅茶(春摘みのダージリンが入荷していた)と木の実とドライフルーツ入りキャラメルタルトを注文。今日はデジカメを家に忘れてしまい、ガラケーのカメラで撮ったのだが、春摘みの紅茶は色が淡いのがわかるだろう。でも、味が薄いわけではない。とてもさわやかなスッキリとした味わい。

     タルトの写真はお土産で持ち帰ったものをデジカメで撮影。妻も「美味しいね」と言って食べた。キャラメルにほんの少し苦みがあって、甘々ではないところがいい。そのために一口一口の甘さが後を引かずに(蓄積しないで)、最後の一口まで美味しく味わえるとのこと。なるほどね。

     話は前後するが、「まやんち」を出て、「くまざわ書店」で文庫本と雑誌を購入。

        グレアム・グリーン『情事の終わり』(新潮文庫)  名作の新訳だ。

        藤堂志津子『ある女のプロフィール』(集英社文庫)  多元的自己論の教材になるのではないかと。

        忌野清志郎『エリーゼのために』(角川文庫)  忌野清志郎詩集。

      「NHK俳句」6月号。櫂未知子の選んだ「今月の一句」は富安風生(とみやすふうせい)の「一生の楽しきころのソーダ水」。いいなあ、これ。子どもがソーダ水を飲んでいる姿を傍らで見つめる大人(父親か?)のまなざし。あるいは、ソーダ水を飲んでいるのは小さな子どもではなく、若い娘たちかもしれない。楽しそうに笑いながらソーダ水を飲む夏服を来た女たち。一生で一番楽しい時期というのは、子ども時代か、青春時代か、少なくとも、中高年ではないだろう。あるいは、ソーダ水を飲んでいるのは作者自身で、子どもの頃に飲んだソーダ水の味を思い出しているのかもしれない。「失われし時を求めて」のソーダ水版だ。俳句というのはこちらの想像力を刺激してくれる。

     昨日、作った俳句、「かき氷少女は赤き舌を出し」だが、「少女」を「女」に変えると、意味合いはずいぶんと変わる。「かき氷女は赤き舌を出し」。こっちの方が面白いかも。ただし、R15指定。「よい子の俳句教室」の教材には使えません。

     なんだか鎌倉本が増えた気がするんですけど、『続・最後から二番目の恋』の放送に合わせたのだろうか。

     5時、帰宅。3階のベランダから撮った雨上がりの空の写真3枚。上から、東の空、南の空、西の空。どこか不安定で、案の定、この後、また雨が降った。

     夕食は鰹のタタキ。

     深夜、『続・最後から二番目の恋』第6話を録画で観る。ドラマが終わった後に流れる中井貴一と小泉今日子のデュエットがいい。