8時、起床。
二階の居間の雨戸を開けると、飼い猫のはるがベランダに飛び出す。でも、寒い日はすぐに戻ってきて、ガラス戸とカーテンの間のスペースで日向ぼっこに切り替える。
トーストと紅茶の朝食。
母の見舞いに行く前に「phono kafe」で昼食。今日は私と妻と娘の三人なので、予約をしておいた。
店の外に新品の黒板が置かれていた。
3人ともごはんセット。
ベジミートのカツレツ。「これ、肉じゃないの?」と娘が言った。食感は肉です。
里芋と蓮根のつまみ揚げ。生姜の風味がいい。
青パパイヤと人参のサラダ。 青パパイヤが爽やか。
セロリのクミン風。妻はセロリが苦手なので私と娘の二人でいただく。
ブロッコリーのタルタルサラダ。緑と白の彩りがきれい。
玄米と豆腐のタルト人参ソース添え。娘はこの人参ソースがお気に入り。
玄米と味噌汁。
食後に私と妻は穀物コーヒー。娘は紅茶。ごちそうさまでした。
呑川を渡る。
JRの線路を越える。
病院に到着。
母は鼻から腸(小腸)に入れていた管が取れていた。まだいくつかの管が体の中に入っているが、それらも徐々に取れていくだろう。解放の過程だ。
顔や手の指がいくらかふっくらしてきて本人は喜んでいたが、たぶんこれは体重が戻ってきたのではなく(そう急には戻るまい)、術後の一時的なむくみだろう。
看護師が付き添ってフロアーを2周した後、廊下のベンチで(デイルームは満席だった)、しばらくおしゃべりをする。
病院からの帰りに近くのパン屋「ブーランジェリー・ボヌール」に寄って、お八つに菓子パンを買っていく。
店内はパンで溢れている。通路が狭く、すれ違うのは大変。
洋梨とカスタードクリームのデニッシュ。
夕方、ジムに行く。クロストレーナーを50分漕いで、650キロカロリーを消費。
「くまざわ書店」で文庫本と雑誌を購入し、「テラス・ドルチェ」で読む。
『この人を見よ 小林秀雄全集月報集成』(新潮文庫)
小林秀雄の全集はこれまで何回が出ているが、初期の三種(昭和25年、昭和30年、昭和42年)の月報に載った小林秀雄についてのエッセイ75編が収められている。執筆陣がすごい。辰野隆、河盛好蔵、川端康成、林房雄、今日出美、井伏鱒二、永井龍男、坂口安吾、深田久弥、青山二郎、亀井勝一郎、本多秋五、白洲正子、吉田健一、草野心平、大岡昇平、宇野千代、武者小路実篤、安岡章太郎、吉田秀和、平野謙、山本健一、高橋義孝、保田與重郎、中島健蔵、円地文子、磯田光一・・・切りがない。文章の達人について文章の達人たちが書いたエッセイである。なんと贅沢なエッセイであることか。思わず舌なめずりをしてしまう。
『腹を抱える 丸谷才一エッセイ傑作選1』(文春文庫)
先日、『丸谷才一全集』全12巻(文藝春秋)が小説と評論で構成されて一番面白い彼のエッセイが除外されたことに文句を書いたが、たぶんこの件については文藝春秋も忸怩たるものがあったのだろう、全集の欠陥を補完するかのように、文春文庫で彼の「エッセイ傑作選」(2巻)を出した。たったの2巻かという思いはあるが、出さないよりははるかによい。丸谷才一のエッセイの面白さを知らない人にはかっこうの入門書となるだろう。エッセイにもいろいろなタイプがあるが、丸谷が得意としたのは、「薀蓄型」のエッセイであった。知識をただひけらかすだけなら(インテリであれば)誰にでもできる。丸谷がやったことは、知識をひけらかすことではなく、それを薬味に使って、愉快な文章を書くことである。
杏『杏のふむふむ』(ちくま文庫)
解説を村上春樹が書いている。二人は以前からの知り合いなのである。
『東京人1月増刊号 目黒品川を楽しむ』(都市出版)
原美術館に行ったとき、品川駅から八ツ山、御殿山という「山」の付く名前の場所を歩いたが、それに加えて、島津山、池田山、花房山を「城南五山」と呼ぶということを初めて知った。目黒駅から品川神社に至る辺りだ。東京は関東平野の一部でありながら、あきられるくらい凹凸に富んだ土地であることを改めて認識する。平坦な街よりも、坂道のある街の方が散歩していて面白いのは、風景に変化あるからだろう。
夕食は鮭をメインにいろいろ。
ジムでトレーニングした日は夜のランニング&ウォーキングはお休み。
『学校のカイダン』第二話と『流星ワゴン』第一話を録画で観る。二つのドラマには共通点がある。それは主人公がいまの自分の置かれた状況を根底から変えようと奮闘するということである。ただし、方法論はまったく違う。『学校のカイダン』の主人公は学校カーストの最底辺からトップに上り詰める(社会的上昇移動)ことで学校を変えようとする。つまり空間的な方法である。一方、『流星ワゴン』の主人公は、過去のいくつかの時点にタイムスリップして、間違った行動をやり直すことで、あるいは過去の出来事についての間違った認識を改めることで、現在を変えようとする。つまり時間的な方法である。空間的方法は革命であり、時間的方法はファンタジーである。