フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

1月29日(木) 晴れ

2015-01-30 09:31:23 | Weblog

7時半、起床。

目玉焼き、ソーセージ、トースト、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

大学に出る前に病院へ母の見舞いに行く。たぶん今日が退院前の最後の見舞い。

病院の昼食はハンバーガーとサラダと紅茶だった。お粥に飽きている母はハンバーガーを美味しそうに平らげた。紅茶は私が飲む。

病室のあるフロアーを母と一緒に歩く。午後にはご近所の人がお見舞いに来るだろう。

1時前に病院を出る。近所のパン屋で私の昼食とゼミ論集の編集作業のときのお八つを買っていく。

病院から蒲田駅まで歩く道(医大通り)にある永島金属。「非鉄金属商」という言葉に引かれる。鉄以外の金属とは、たとえばアルミニウムとか、真鍮とか、銅とかだろうか。金属商だけど、鉄は扱わないというところが、「へぇ」と思う。近代社会の特徴の一つである「分業」というものの見本である。

2時前に大学に到着。

学生たちが来る前に研究室で昼食。コロッケパンとドーナツと紅茶。食べ終わる前に学生たちがやってきた。

今日がゼミ論集編集作業の最終日。今日の担当は、Hさん、N君、Kさん、Mさん。もう一人のMさんは担当ではなかったが、自分のゼミ論の校正のためにやってくる(呼び出されたのである)。

そのもう一人のMさんが撮った写真。

今日の作業は6時前に終わった。

N君、Hさんと「五郎八」へ。二人とも二度目になる。

4日間の作業の打ち上げだから、蕎麦を食べる前につまみをいくつか注文。

薩摩揚げ。

田楽。

卵焼き。

N君はかき揚げ蕎麦、Hさんは山海そばを注文。

 

私は天ざる。いつのまにかつけ汁の器が蕎麦用と天ぷら用の二種用意されるようになった。これが正しいあり方です。器が一つだけだったときは、私はつけ汁が天ぷらの油で汚れるのがいやで、天ぷらは全部塩を食べていた。

「五郎八」を出て、「カフェゴト―」に食後のお茶を飲み行く。

二人はココア、私はアイスココアを注文。

ゼミ論集の「編集後記」はこの二人に依頼した。

卒業までの2か月をみんなはどんなふうに過ごすのだろう。旅行に行く人、アルバイトに精を出す人、ひたすらだらだらと過ごす人、それはそれでよいと思うが、一つ提案は、親に感謝の言葉(手紙、メール)を書くということである。卒業・就職という出来事は、本人の人生にとってだけでなく、親子関係の歴史においても大きな節目の出来事である。親離れ、親からの自立の過程におけるターニングポイントである。あなたが学校的世界の中で今日まで生活してこられたのは、家庭的世界というものが存在したからである。いま、学校的世界から職業的世界へ移行するにあたって、親に対して感謝の気持ちを述べておくのは悪いことではない。結婚式の前に(あるいは結婚披露宴の場で)娘が親に感謝の言葉を述べるというのは慣習化されているが、卒業式の前に息子も娘も親に感謝の言葉を述べるということはもっと行われれていいことではないかと思う。仲のいい親子も、そうでない親子もいるだろうが、照れや反抗とは別の次元のことである。一人前の人間として(一人前の人間となるべく)筋を通すということである。

学生生活最後のよい春休みを!

9時、帰宅。

深夜、ランニング&ウォーキング。明日は雪が降るらしい。