8時半、起床。
トーストと紅茶の朝食。
10時に家を出て、大学へ。今日は大学院の入学式がある。
桜はまだ見頃を過ぎてはいない。
満開の八重桜と桜のコラボが見られる。
入学式を終えたSさん(修士1年)と0さん(博士1年)が研究室にやってくる。二人は今日が初対面である。これから毎週、木曜日に顔を合わせることになる。しっかりやってください。
スロープの桜の前で記念撮影。ようやくこの場所で記念写真が撮れるようになった。
その足で「たかはし」に行く。
私とSさんは豚肉生姜焼き定食、Oさんは肉豆腐定食を注文。2人ともしっかり食べるタイプのようである。いいですね、勉強には体力が必要ですから。
食後のコーヒーはカフェゴト―で。
「ケーキはどうします?」と聞いたら、さすがに二人ともお腹いっぱいのようである。これまで「たかはし」でがっつり食べた後に「カフェゴト―」でケーキを食べられたのは、論系ゼミ3期生のIさんだけである。(その日の記事はこちら→★)
私はアイスココア、Sさんはブレンドコーヒー、Oさんはストレートティーを注文。
ここで2人とは別れて、私は31号館205教室で開かれる教員対象の教室AV機器操作説明会に出る。31号館のリニューアルに伴って、教室のAV機器も新しくなったので、その使い方をマスターしておかねばならない。
1時間ほどの説明会であったが、いろいろと勉強になった。私が知らなかっただけかもしれないが、教室のAV機器の収納されたボックスを開けるには教員ロビーで鍵を借りる必要はなく、教員証を読み取り装置の前にかざすだけでよいと知って驚いた。
説明会の後、火曜3限の講義「現代人のライフスタイル」と木曜5限の講義「日常生活の社会学」で使用する34号館453教室のカギを開けてもらって、初回の授業に備えて予行演習をする。1年間、大教室での講義からは遠ざかっていたのと、大教室では38号館AV教室と36号館AV教室を使うことが多く、453教室は久しぶりなので、AV機器の操作を練習しておく必要があるのである(AV機器のシステム構成は教室によって微妙に異なるのだ)。
教卓からの光景。教卓には備え付けのマイクがなく、AV機器の操作机の有線のマイクは教卓まで届かないので、教員ロビーからワイヤレスマイクを借りてくる必要がある。
教室後方からの光景。ホワイトボードに文字を書く場合、どの程度の大きさ(小ささ)まで大丈夫かをチェックする。
教室前方にあるAV機器の操作机。
操作パネルの構成は38号館AV教室や36号館AV教室よりもシンプルである(教室の照明の操作ボタンが別になっているため)。
ボックスの中のAV機器。DVD・VHFの装置が二台(別機種)であるのは、複数のメディアをいちいち入れ替えの作業なしで使いたいという要望があるためらしい。どちらも試してみたが、製造時期が違うためだろうか、下の方の装置で再生した方が映像が鮮明なように思う。原則として下の装置を使うことにしよう。
38号館AV教室や36号館AV教室には備わっているMDの再生装置がここにはない。MD音源のデータを使いたいときは(私はよく使うのだが)、教員ロビーでポータブルのMD再生装置を借りて来るか、音源データをCDにダビングする必要がある。
ちなみにリニューアルされた31号館の教室にはMD再生装置だけでなくVHFの再生装置もない。要するに古いメディアのデータはCDやブルーレイディスクにダビングしなことには教材として使えないということである。3号館にある装置でダビングはできるらしいが、やってもらえるわけでないらしい(未確認)。時間のかかる作業だから自分でやらないとならないとなると少々手間である。時間を見て少しずつ進めるしかないか。あるいは外部の業者に依頼して、費用を個人研究費で落とせるならそうしてもよいが、可能だろうか(事務所で聞いてみよう)。
スクリーンにパワポの資料を映して室内の照明とのかねあいをチェックする。
映像を流して、照明との兼ね合いをチェックする。38号館AV教室や36号館AV教室ではスクリーンを下ろすと自動的に窓からの外光が遮断されるようになっているのだが、453教室(他の多くの教室も)は遮光カーテンを学生に指示して引いてもらわないとならないのである。
以上でチェックは終了。これで教室変更の通知が初回の授業の直前に来たりしたら、今日の作業は無駄になり、生協に発注しているテキストの冊数も大慌てで変更せねばならず、けっこう大変なのである。事務所の方このブログを見ているかもしれないので、一応、アピールしておきますね(笑)。でも、学期初めは事務所の方も大変なのはわかっておりますので、ダダはこねませんから。
夕暮れのキャンパスではサークルの新歓(「新入生歓迎」の略)コンパと思われるプラカードが林立している。
よい出会いがありますように。
今日は風がある。研究棟の入口の自動ドアから散った桜の花びらが入ってくる。
7時半を過ぎた頃、池袋での仕事を終えた俳句仲間の恵美子さんが、新しい俳句の書を持ってやってくる。
置き手紙の向こうで風光る君 恵美子の句愉咲
自身の新作の句を書にしたもの。季語は「風光る」。春の句である。「句またぎ」の技法が駆使され、「置き手紙」ー「の向こうで風」ー「光る君」、5-7-5の形になっている。恵美子さんはこの「句またぎ」の技法が好きなのである。句の解釈だが、「置き手紙」は別れの手紙かもしれないし、告白の手紙かもしれない。置き手紙を残して去っていく「君」の後ろ姿を(置き手紙を受け取る人が)見つめている情景である。風と共に去りぬ。そして光と共に去りぬ。「君」は男性で、見つめているのは女性だろう。私は「光る君」からこの男性に光源氏を重ねる。稀代のプレイボーイであるが、決して女性を弄ぶタイプの男ではない。川上弘美の小説『ニシノユキヒコの恋と冒険』の主人公みたいな男だ。だからこの「置き手紙」が別れの手紙であったとしても、女性は決して怨みのこもった眼差しで男を見送ってはいないはずである。
恵美子さんの眼差しがまさにそれである。
言語野があたたかくなる今日が好き 恵美子の句愉咲かく
先月の句会で入選した彼女の句である(選んだのは私である)。「言語野」というおよそ俳句には取り上げらそうにない言葉を使って兼題であった「野」に応じた冒険的な作品である。彼女曰く、「これはロックな句なんです」。言語野があたたかくなっている状態(マシンガントーク!)がロックなのか、それとも、そういう状態が「好き」ときっぱりと言い切ること(自己表出)がロックなのか、たぶん後者ではなかろうか。
最初、映画『少年メリケンサック』の宮崎あおいイメージでポーズを取ってもらった。
しかし、何枚か写真を撮っているうちに、喧嘩腰のポーズでなく、真剣に訴えかけてくるような表情(左側)や自由奔放な表情(右側)の方がこの句の「ロックな精神」にふさわしいように思えてきた。
それにしても恵美子さんの写真のモデルとしての才能は大したものである。「こんな感じで」と私が適当に注文を出すと、私がカメラのシャッターを押すタイミングに合わせて、いろいろな表情やポーズをしてくれるのである。
「言語野が」の書をさっそく研究室の壁に飾る。
撮影会(?)を終えて、食事に出る。
花が大好きな恵美子さんは満開の八重桜をカメラに収める。
焼肉「ホドリ」へ行く。
食事を終えて、恵美子さんは自転車で帰って行った。
帰宅途中、東京駅で通勤定期の継続購入をする。6か月で6万8千720円也。支払いをカードですればたくさんポイントが貯まったなと後から気づく。でも、この一年ほどは現金支払い主義でやっている。その方が財布の中身の減り具合がよくわかって、無駄遣いをしなくなるからである。いや、やっぱり無駄遣いはしてしまうのだが、少なくとも自分が無駄遣いをしているということは実感できるからよいのである。
蒲田に着いて、駅から自宅までの道の途中にある桜の木。ちょうど月が木のてっぺんに位置するようなアングルで写真に撮る。
月明かりに照らされた桜の白い花びらがまるで樹氷のようである。
月は秋だし、樹氷は冬だし、桜は春だし・・・この情景は句にしずらいです(笑)。