フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

4月13日(月) 雨

2015-04-14 03:40:33 | Weblog

6時、起床。

朝早く目が覚めてしまったので、紅茶とクッキーをもって書斎に行く。

3時間ほど経過してから、トースト、サラダ(ハム、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

11時半に予約してある近所の歯科医院へ行く。とくに歯が痛むとかではなく、前回の検診から1年が経過したので、定期検診の予約を入れておいたのである。受付の方が替わっていた。前の方は3月に辞めたそうだ。春休み中にくればごあいさつができたのにと思う。

虫歯は発見されなかったが、歯のクリーニングや歯石の除去などで何度か通うことになるだろう。

昼食は母が用意してくれたものをいただく。炊き込みご飯と茄子のみそ汁とおかずはいろいろ(卵焼き、ウィンナー炒め、蕗の薹の天ぷら、椎茸の煮物・・・)。

早起きをしてしまったせいで、食後に眠くなる。しばらく昼寝。

夕食は江戸菜(高菜)と豚肉の炒め。

味噌汁の具はゆで卵と玉ねぎ。私の好きな組み合わせである。

デザートはデコポン。

地元のタウン誌の春号に「『サード・プレイス』としてのカフェ」という原稿を書いたのだが、内容が硬いので、もっと柔らかいものにと編集者から注文がつき、「『隣町カフェ』のすすめ」という原稿に差し替えた。旧い方の原稿は行き場がなくなったので、ここに載せておこう。 

「サード・プレイス」としてのカフェ 

  「サード・プレイス」という言葉をご存知だろうか。アメリカの社会学者オルテンバーグが著書『グレート・グッド・プレイス』(邦題『サード・プレイス』)の中で用いて有名になった言葉である。家庭が「ファースト・プレイス」、職場が「セカンド・プレイス」、しかし、それだけでは不十分で、都市生活者には第三の場所「サード・プレイス」が必要であり、その典型はカフェであるとオルデンバーグは語っている。

  家庭と職場(子どもにとっては学校)は個人の生活の二大構成要素で、どちらも大きな重力を有している。職場は長時間個人を拘束しようとするが(残業や休日出勤)、それは家庭も同じである(小さな子どものいる母親の生活時間は子ども中心に展開しているし、父親も休日は家庭サービスに努めなければならない)。サラリーマンの生活は家庭と職場の往復運動に終始しがちで、主婦の生活は家庭の中に留まりがちである。

  「サード・プレイス」を持つことの第一の効用は、家庭と職場の大きな重力からの解放ということである。もちろんそれは一時的な解放に過ぎないわけだが、カフェで一人の時間を過ごすことで、人はリフレッシュすることができる。第二の効用は、カフェの店長や店員、常連客などと顔なじみになることで、人間関係が広がるということである。それは家庭や職場(子どもの学校)から派生したものとはまったく別の人間関係の鉱脈である。言い換えれば、カフェの第一の効用は自分と向き合うことであり、第二の効用は他者と出会うことである。

  アメリカの社会でも日本の社会でも、カフェは第一の効用を主として発展してきた。アメリカでは家庭の重力が大変強く、日本では職場の重力が大変強いので、そこからの解放の場所としてカフェが有効だったのである。しかし、カフェの本場であるヨーロッパではカフェは一人になる場所であるだけでなく、他者と出会う場所としても発展してきた。既知の者同士がカフェに入っておしゃべりをするということではなく、カフェで出会った者同士の社交ということである。

  いま、私たちの社会が探究すべきは、カフェの第二の効用であろう(第一の効用はすでに周知のものとなっている)。なぜなら私たちの社会はこれまでのように家庭や職場の重力が強くないからである。未婚者の増加や離婚率の上昇、離職率の上昇や非正規雇用者の増加がそのことを端的に示している。個人の社会的足場としての家庭や職場は以前より脆いものになっている。だから足場は多い方がいい。「サード・プレイス」としてのカフェが注目されるのはまさにそのためである。