8時、起床。
なつが粗相をした。ウンチではなくうオシッコ。畳の上ではなく、和室の座布団でしたので、その座布団をベランダに出して干す。いつもは深夜に一度外に出して(30分から1時間ほど)、その間にトイレをしてもらって、再度家の中に朝まで入れるということをしていたのだが、昨夜はとても寒かったので、本人(猫)が外に出たがらず、それを怠ったのが敗因である。監督(人間)の責任で、選手(猫)は悪くない。畳の上でしなかったことで被害が最小限に済んだとむしろ選手をほめてやりたい。
トースト、サラダ、紅茶の朝食。
11時に家を出て、大学へ。途中、神楽坂で途中下車して、卒業生のクミコさん(論系ゼミ5期生)と待ち合わせ、一緒に大学へ行く。日曜なので私と一緒でないとキャンパスに入れないのだ。
研究室で急ぎの作業を片づけてから、「SKIPA」へ。
クミコさんは「SKIPA」は初めて。宙太さん、のんちゃんに彼女を紹介する。
二人とも定食を注文。
食べ過ぎ気味の年末年始の胃に「SKIPA」の定食はやさしい。
食後に私はアイスチャイ、彼女はホットチャイ。
のんちゃんが知り合いからいただいというお菓子をいただく。
天気予報通り、雨がパラパラと落ちて来たが、まだ街歩きを妨げるほどではない。街歩きのスタートは「SKIPA」のお隣の白銀公園から。
「傘」をアクセントにしてポートレートを何枚か撮る。
ミュージカル風に。
世界の中心にしゃがみ込んで。
「龍の背中」に乗って。
色白の彼女を含めて、傘も、マフラーも、背景も、白を基調とした構図で、白銀公園らしい雪景色のような写真ではなかろうか。
年末年始、海外旅行をしていた彼女は、初詣がまだだという。ならば、赤城神社に行きましょう。
彼女が引いたおみくじは「末吉」だった。苦笑するクミコさん。
いやいや、「末吉」は悪くないですよ。大吉>中吉>小吉は吉の大きさを示しますが、「末吉」というのは時間軸を示すものなのです。「いまはパッとしないけど、これから、だんだんと(末広がりに)よくなっていく」という意味です。ほら、たとえば「願望」のところには「少し時がかかるが叶う」って書いてるでしょ。明るい未来を示すものなんです。小吉のさらに下(末端)という意味ではありません。
「そうだったんですね!」と喜ぶクミコさん。よかったね、学のある人と一緒に初詣をして(笑)。
ちなみに私はおみくじは引きません。
日曜日なので歩行者天国の神楽坂を坂下(飯田橋)まで歩き、「紀の善」に入る。待っている人は多かったが、案外、回転は速い。
私は田舎汁粉。母が亡くなってから正月にお汁粉を家で食べなくなったので、久しぶりのお汁粉である。暖かくて、甘い。冬の街歩きの途中の一服には最適である。
クミコさんは抹茶ババロア。
口直しに磯辺巻を注文して、シェアして食べる(私が二個食べました)。海苔が贅沢に使われている。
クミコさんは夕方から牛込神楽坂のあたりで開かれるる大学の茶道研究会のOB・OGの例会に出席する。
「末吉」=「明るい未来」を信じて、あなたらしく今年も毎日を真面目に生きて行って下さいね。次は暖かい季節に会いましょう。
「紀の善」の後は、丸の内の「丸善」に寄って、『父ちゃんは写真家ー平敷兼七遺作集』(未来社)を購入。
平敷兼七(へしき・けんしち)は沖縄の写真家である(1948-2009)。彼の作品を語るとき、「沖縄」というものを抜きには語れないのかもしれないが、彼の作品はそうした背景を忘れて(知らずに)見ても十分に魅力的だろうと思う。
それは人物の配置(構図)ということである。植田正治はそれを意図的に行った(演出)が、平敷兼七は、木村伊兵衛のように、偶然に生れた絶妙の構図を写真に撮った(のだと思う)。
夕食はほうれん草とベーコンと卵の炒めもの。
それと鶏肉団子スープ、サラダ(おから)、ご飯。
深夜、雨に加えて、強い風が吹く。かわいそうだが、心を鬼にして、すでに家の入っているなつを1時間ほど外に出してから(トイレをすませなさい)、再度、家の中に入れる。