フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月18日(日) 雨のち晴れ

2007-02-19 01:03:26 | Weblog
  8時起床。朝食はシチューとトースト。入試業務のため午前中から大学へ。日曜日なので電車は空いている。午前10時から、昼食(お弁当)をはさんで、午後4時まで作業。みんな今日は夜までやるものだと思っていたところに、思いもかけず、午後4時までに全部片付いてしまった。こういう誤算は嬉しい。朝から降っていた雨も上がり、青空がのぞいてきた。夕食となるはずだったお弁当とペットボトルのお茶をポリ袋に入れてもらって持ち帰る。桜の季節ならこのまま花見にでも行きたい気分だ。

          
       もうすぐ桜の花も咲く(31号館高層棟は夏休み中に解体される)

  蒲田に着いて、すぐに帰宅はせず、シャノアールでクリームソーダを注文して、30分ばかり読書(『日本の200年』上巻の続き)をしてから帰る。深夜、いささか気の重い用件の手紙を書き上げて、近所のポストに出しに行く。冬の星々が瞬いている。

2月17日(土) 晴れのち雨

2007-02-18 03:05:26 | Weblog
  7時半、起床。朝食はひしゃも、焼売、御飯。午前中は原稿書き。昼食は雑煮。午後から大学へ。午後9時頃まで入試関連の業務。右腕がだるくなる。夕食はお弁当(ちらし鮨)。
  帰りの車内で、アンドルー・ゴードン『日本の200年』上巻(みすず書房)を読み始める。それほど期待しないで読み始めたのだが、面白くて、危うく蒲田駅を乗り越すことろだった。この本の特色はその原題に端的に表れている。

  「本書のタイトル A Modern History of Japan(日本の近現代史)は、近現代性と相互関連性というふたつのテーマの重要性を表現している。本書のような作品には、Modern Japanese History(近代日本史)というタイトルをつけるのが普通だろう。そのようなタイトルをつけるということは、日本的特殊性が叙述の中心になることを示唆する、という意味をもつはずであり、「近代」と呼ばれている時代にたまたま生じた、特殊「日本的な」物語へと読者の目を向けさせる、というニュアンスをもつだろう。本書は、日本的であることと近代性とのあいだのそのようなバランスを転換したいという狙いから、A Modern History of Japan を採用した。ここでは、日本と呼ばれる場でたまたま展開した、特殊「近代的な」物語が語られることになる。
  言い換えると、日本の近現代史は、一貫して、より広範な世界の近現代史と不可分のものだったのであり、したがって、相互連関性が本書の中心的なテーマのひとつでなければならない。国外からもたらされた思想、できごと、製品やモノ、物的・人的資源は、あるときはプラスの方向に、あるときはマイナスの方向に向けて、日本におけるできごとに大きな影響をおよぼしてきたし、逆もまた真であった。このダイナミックな過程で、日本で暮らす人々は、他の地域で暮らす人々と多くを共有してきた。」(「まえがき」より)

  要するにグローバルな視点から書かれた日本の近現代史(19世紀と20世紀)である。10年ほど前に「新しい歴史教科書を作る会」が作成した英文のパンフレットに「それぞれの国は、他の国々とは異なる独自の歴史認識をもっている。さまざまな国が歴史認識を共有することは不可能である」と書かれていたそうだが、著者の立場はこれと真っ向から対立する。すなわち、「日本の近現代史が、全世界に共通の近現代史というテーマにかんする一連のバリエーションとして理解可能だという」立場である。かつてのマルクス主義的歴史学もそういう全世界に共通の近現代史というものを想定していたが(資本主義から社会主義へという物語)、本書が想定しているのはそれとはまた別の物語、「ますますグローバル化する世界」という物語である。
  「ますますグローバル化する世界」という物語の視点からすると、大学入試で、日本史と世界史のどちらかを選択させるのはあまりに旧態然としたやり方ということになろう。「歴史」という1つの科目にしてしまって、英語と国語と歴史の3科目で入試(私立文系の場合)ということにしたらどうか。
  社会学の演習での発表などを聞いていて感じることは、学生たちは最近10年間くらいのことしか知らないのではないかということである。なんでもかんでも近年の現象、傾向だと思い込んでいるところがある。彼らが「昔は…」と言うとき、10年前も、20年前も、高度成長期も、戦後復興期も、戦中も、戦前も、みんな一緒くたにして「昔は…」である。だから授業では、そうじゃないんだというところから話をしていかなくてはならず、けっこう骨が折れる。日本の近現代史についてのしっかりした知識の上に立って「いま」を論じてほしい。
  10時半、帰宅。風呂を浴びてから、録画しておいたNHKのTVドラマ「ハゲタカ」(全6回)の初回を観る。金融モノのドラマとしては、『華麗なる一族』よりも断然面白い。

2月16日(金) 晴れ

2007-02-17 01:14:26 | Weblog
  7時、起床。朝食は鰤の照り焼き、こ芋の煮っころがし、なめこの味噌汁、御飯。いつもより早く目が覚めてしまったので、午前中から眠い。昼食前に昼寝。昼寝から目覚めて昼食。挽肉のそぼろ、ぜんまいとコンニャクの煮物、明太子、ポテトサラダ、御飯。原稿の材料として「清水幾太郎の彼らの時代」(ブログ)の全部の記事(43件)をプリントアウトしたら、A4で86頁になった。塵も積もれば山となるである。最近はめったに更新していないが、それは来月刊行される『社会学年誌』48号に「清水幾太郎における『庶民』のゆくえ」という論文(学習院大学退職から晩年までの清水の思索の軌跡を追ったもの)を書いていたためである。研究ノートというのは論文執筆のための材料であるから、いったん論文を書きはじめたら研究ノートの更新はストップする。仕込みながら書くことはできない(他人の書いたものを丸写しにする場合以外は)。仕込みの時期と執筆の時期は別なのである。新年度の大学院のゼミで清水の主要な著作を読んでいくので、その準備を兼ねて、この春休みは清水の個々の著作ごとの研究ノートを付けていこうかと考えているが、原稿も書かねばならないので、できるかどうか…。
  印刷用紙が乏しくなってきたので、島忠ホームセンターに買い出しに行く。玄関を出るとき、半飼い猫の「なつ」が私に気づいて足下にやってきた。冷蔵庫からハムを一枚もってきて千切って与えた。この暖冬は野良猫たちには天の恵みであったろう。

          
                二度目の冬は暖かだった

  夕食は豚シャブ。さて、明日は文化構想学部の入試である。志願者は11,654名。定員は570名なので、単純倍率は20倍である。お天気は晴れのち雨とのことである。

2月15日(木) 晴れ

2007-02-16 10:54:05 | Weblog
  8時起床。朝食はおでん、明太子、御飯。9時に家を出て、10時から大学院博士課程の二次試験。今回の社会学専攻の受験生は2名と例年より少なめだ。1人40分ほどかけて面接を行う。
  昼食は「すず金」で鰻重と肝焼きを一串。肝焼きの苦味とタレの甘さが絶妙である。日本文学専攻の兼築先生もやってきた。彼は本当はダイエットに励まないとならないはずなのだが、「すず金」の常連である。高田馬場の「とん太」というトンカツ屋が安くて旨いという話をしてくれたので、今度行ってみようと思う。高くて旨いのは当たり前で、この「すず金」や「とん太」のように安くて旨いことが肝腎なのである(注:ここでいう「安い」というのは大人の世界の感覚なので、学生諸君は勘違いしてはいけません)。
  あゆみブックスでジャン=ルイ・ヴィエイヤール=バロン『ベルクソン』(白水社)を購入し、シャノアールで読む。昔からクセジュ文庫とはあまり相性がよくないのだが、この本は面白い。著者はフランス人だが、文章のタッチはイギリス人のようである。

  「彼は自分の字に自信をもっていた。それはきわめて入念な字で、洗練と読みやすさに意を用いて鍛錬されたものであった。ところが、ルイ・ラヴェル宛の、『自意識』(1933)を送ってもらったことへの礼状の下書きが残っていて、それはわれわれにまったく別種の筆跡を示している。このことは次のような考え(ゲオルグ・ジンメルがゲーテについていったことだが)を確認させる。すなわち、社会的に共有される諸習慣を尊重するところ大であるというのは、ひとりの偉大な精神にとっては、自分の個人的自由を保つための一手段であるかもしれないが、自分の力の否定などではけっしてない、ということである。」(24頁)

  一つの小さなエピソードから世間知と哲学知を兼ね備えたベルクソンという人物を浮き彫りにする手際は見事である。評伝はイギリス文学の伝統的ジャンルだが、著者はそこから多くを学んでいるように思われる。
  研究室に戻って『ベルクソン』の続きを読む。4時から大学院の委員会。1時間足らずで終了し、次の会議まで少々時間があるので、「フェニックス」に行ってチーズケーキと紅茶を注文し、文庫化されたばかりの齋藤孝『原稿用紙10枚を書く力』(大和書房)を読む。すでに単行本で一度読んでいる本なので、30分で読み終わる。新学部の基礎演習の副教材として使えると思う。5時半から新学部の論系・コースの運営準備委員長会議。これがなんと延々3時間もかかった。夕方から始める会議で食事抜きの3時間はしんどい。だんだんみんながイライラしてくるのがわかった。新しい制度に関する提案・検討の場としてははなはだ具合が悪かった。
  夕食は「秀永」の油淋鶏(鶏の唐揚げのネギソース掛け)定食。ここではいつもこれを注文する。鶏肉そのものも、揚げ方も、ネギソースの甘酸っぱさも、ネギソースのかかったレタスも、気に入っている。たまに「ごめんなさい。今日は油淋鶏終わっちゃいました」と言われることがあり、そのときはとても悲しい。「秀永」の油淋鶏に限らず、「○○○を食べよう」と思って店に入って、その○○○がなかったときの落胆というのは、人生で出会う数々の落胆の中のトップとはいかないまでも、かなり上位に来るのではないだろうか。
  10時、帰宅。昨年定年退職された正岡寛司先生から先生が今度訳されたジョナサン・H・ターナー『感情の起源』(明石書店)が送られてきた。「ジョナサン・ターナー 感情の社会学」シリーズ(全5冊)の最初の1冊であるが、今年中に『社会の檻』(7月刊)と『出会いの発達過程』(12月刊)の出版が予告されている。このお仕事ぶりには舌を巻くしかない。風呂から上がり、録画しておいた『拝啓、父上様』を観る。フィールドノートの更新は、眠くなったので、明日に回す。  

2月14日(水) 雨のち曇り、春一番吹く

2007-02-15 02:54:21 | Weblog
  午前中、かかりつけの大学病院で持病の尿管結石の定期検査。異常なし。中年になると、いろいろと身体のメンテナンスを心掛けねばならないので大変だが、健康に不安を抱えていては仕事や趣味に打ち込めない。今日は母も同じ病院で定期検査があり、持病の糖尿病の具合は先月より持ち直したようである。病院の近所の和菓子屋で苺大福を買って帰る。今日ぐらいは甘いものもいいだろう。甘いものと言えば、今日はバレンタインデーで、妻と母からチョコレートをもらう。娘はケーキを買ってきてくれた。
  小川洋子『物語の役割』を読み終える。実作者による物語論として面白く読めた。たくさん傍線を引いた中から、3箇所だけ引用しておこう。

  「たとえば、非常に受け入れがたい困難にぶつかったとき、人間はほとんど無意識のうちに自分の心の形に合うようにその現実をいろいろ変形させ、どうにかしてその現実を受け入れようとする。もうそこで一つの物語を作っているわけです。…(中略)…作家は特別な才能があるのではなく、誰もが日々の日常生活の中で作り出している物語を、意識的に言葉で表現しているだけのことだ。自分の役割はそいういうことなんじゃないのかと思うようになりました。」(22頁)

  「何かが起こる。それを表現する。紙の上に再現する。これが言葉の役割です。言葉が最初にあって、それに合わせて出来事が動くことは絶対にありえません。ですから過去を見つめることが、私は小説を書く原点だと思います。
  小説を書いているときに、ときどき自分は人類、人間たちのいちばん後方を歩いているなという感触を持つことがあります。人間は山登りをしているとすると、そのリーダーとなって先頭に立っている人がいて、作家という役割の人間は最後尾を歩いている。先を歩いている人たちが、人知れず落としていったもの、こぼれ落ちたもの、そんなものを拾い集めて、落とした本人さえ、そんなものを自分が持っていたと気づいていないようなものを拾い集めて、でもそれが確かにこの世に存在したんだという印を残すために小説を書いている。そういう気がします。」(75頁)

  「自分が死んだ後に、自分の書いた小説が誰かに読まれている場面を想像するのが、私の喜びです。そういう場面を想像していると、死ぬ怖さを忘れられます。
  だから今日もまた私は、小説を書くのです。」(122頁)

  私がいま取り組んでいる『清水幾太郎と彼らの時代』は、小説ではなく、評伝である。それも文学的評伝ではなく、社会学的評伝(ライフコースの事例研究)である。しかし、小川洋子の言っていることは、社会学的評伝についてもあてはまることが多い。清水幾太郎という一人の知識人の人生の物語と、この百年の日本人(庶民・大衆)の人生の物語のシンクロナイズ(そして反シンクロナイズ)を記述し、分析すること。健康チェックも終わったので、気合を入れて取りかかるとしよう。

  声散って春一番の雀たち 清水基吉