フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月25日(火) 晴れのち雨

2008-11-26 02:04:29 | Weblog
  8時、起床。2泊3日の学会出張から帰った翌日は休息に当てたいところだが、そうもいっていられない。2限の授業(現代社会とセラピー文化)に合わせて自宅を出る。昨日とは打って変わって快晴だ。工学院通り商店会へ出るところの角の土地が更地になった。中国人の夫婦がやっていた飲食店と、小さな不動産屋があった場所だ。向かいの唐揚げの「なか川」、珈琲の「アイチ」、「愛知不動産」は昭和20年代からある商店だが、ここもいずれ更地になるのか。

         

  2限の授業を終えて、昼食をとりに出るとき、キャンパス入口横の木立の下で立ち止まって青空を眺めていたら、去年の基礎演習の学生だったYさんが横を通って、「何をされているのですか?」と言ったので、「葉の落ちた枝越しに見る青空は美しい」と正直に答えたら、彼女は「なに?この人」みたいな表情で半歩退いた。引かれてしまったのである。教訓「純な心を無防備に人目にさらしてはならない」。昼食は「たはかし」の生姜焼き定食。

         

  5限の授業(質的調査法特論)を終えて、池袋駅前の東京芸術劇場にワセオケの定期演奏会を聴きに行く。昼間の天気はどこへやら、雨が降っている。今日の曲目は以下の通り。

  J.S.バッハ=シェーンベルグ プレリュード変ホ長調
  モーツァルト ピアノ協奏曲第21番ハ長調K.467
  R.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」作品40

  いずれも3ヶ月後に迫ったヨーロッパ公演で演奏する曲で、始めと終わりの曲は9月の定期演奏会でも聴いた。前回と比べてどこかどうと論評することは私にはできないが、指揮の山下一史さんの喜色満面の表情から判断するに、順調に仕上がっているのだろう。「英雄の生涯」のラスト、穏やかに広がる春の海のような調べがとても心地よかった。

         

11月24日(月) 晴れのち雨

2008-11-25 09:15:23 | Weblog
  大会二日目午前の部は院生のAさんが発表する部会に出る。Aさんがトップバッターであったが、途中で貧血を起こして倒れてしまった。元々体調がいまひとつだったところに強い緊張が加わったせいだろう。救護室でしばらく安静にしていたら回復したので、部会に戻り、最後の報告者として再登場し、発表を完結させた。思わぬアクシデントだったが、あとから振り返って印象深い思い出になることだろう。指導教授として悔いが残るのは、Aさんを救護室まで背負って行こうとして背負ったはいいが、立ち上がれなかったことだ。しばらくジムでの筋トレを怠っているツケが回ったきたのである。たぶん無理をして立ち上がろうとしたらぎっくり腰になっていたであろう。師弟がぎっくり腰と貧血で一緒に倒れたらギネスブックものだろう。危ないところだった。
  昼食はAさんと構内の生協食堂でとる。あれこれチョイスする方式だったので、鯖の味噌煮、肉野菜の中華炒め、けんちん汁、温泉卵、ポテトサラダ、ごはん。〆て750円は少々チョイスのし過ぎであったかもしれない。

         

  食堂には久しぶりに会う顔がたくさんあった。会釈をされ、誰だかよくわからないままに会釈を返し、あとから「あっ!」と思い出す人もいた。歳月は人の見た目を変える。もちろんこれはお互い様で、私を見て、確信のないままに会釈をする人もいたことだろう。
  午後は「若者」をテーマにしたシンポジウムに出る。ただし3時26分発の新幹線に乗らないとならないので、2人目の報告者が終る頃に退出する。仙台駅のホームで購入した牛肉弁当を大宮の手前で開き、上野に着くまでに食べ終わる。上野着は5時2分。京浜東北線に乗り換えて、王子まで行く。改札口で、待ち合わせたわけではないが、妻と母と合流する。同じ電車に乗っていたのだ。雨の中、北口から徒歩2分の場所にある劇場王子PIT北/区域で劇団獣の仕業第一回公演「群集と怪獣と選ばれなかった人生のための歌」を観る。定刻(6時)を5分ほど遅れて開演。
  舞台は日本工学院の新校舎建設のための地上げで見慣れた街の風景が消失しつつある蒲田。7年前に池上線の雪谷にある高校を卒業した仲間たちが集まって地上げに抗議するデモを企てる。とはいっても、そうした社会的なテーマがこの作品のメイン・テーマではない。それはいわば作品の額縁で、作品そのものは高校生→大学生→社会人という人生の風景が大きく変化する時期を生きる若者たちの心象風景を描いたものである。何かを選び取ることは何かを断念することである。何かを忘れようと努めることは、逆にその何かにこだわり続けることである。未来に向って進もうとする意志と、過去の記憶の中に引きこもろうとする身体。停滞した時間の中で反復されるエピソードは、出口のない迷路のようで、息苦しいが、それでも、地下のネジ工場にも一条の光は射し込み、地上のタイヤ公園にも小さな花は咲く。ハッピーエンドというのとは違うが、未来への祈りをもって作品は終る。正方形の舞台の二辺を客席に向けた配置、オープニングの多数の役者によるダンスと台詞のパフォーマンス(卒業式の「よびかけ」とモダンダンスを掛け合わせたような)が斬新だった。照明や音楽や衣装にも工夫が見られた。劇場を出る客たちを見送る役者たちの整列の中にK君がいたので、「がんばったな」と声をかけた。

11月23日(日) 晴れ

2008-11-24 00:12:25 | Weblog
 日本社会学会の大会が東北大学であり、昨日から仙台に来ている。昨夜は早寝をして、今朝はこれから午前の部(9時30分から)に間に合うようにホテルを出ないとならないので、更新はのちほど。

  東北大学で日本社会学会の大会が開催されるのは20年ぶりである(と思う)。当時、私は早稲田大学の助手をしていて、朝日新聞連載の「私の転機」を分析した「生活史における転機の研究」という発表をした。いまでも講義の中で取り上げる思い入れのある研究テーマだったので、質問者の顔や質問内容まで記憶に残っている。
  記憶に残っているといえば、その大会の最終日のある部会で、私の知り合いの研究者の発表に対してこれも私の知り合いの別の研究者が猛烈に批判的な(侮蔑的といってもいいような)コメントを述べ、しかも「新幹線の時刻に遅れそうだから」と発表者の返答も聞かずに教室を出て行ってしまった。批判された研究者は、部会が終わった後、「大久保さん、あれはないですよね」と憤懣やる方ないという表情で愚痴をごぼした。私はその研究者に深く同情し、「まったくだ」と相槌を打った。そのときの屈辱をバネにしてというわけではないかもしれないが、その研究者は見事に大成し、いまではある学会の未来の会長候補と誰もが認めるまでになった。今日の午前中、私は「現代日本における若者の市民性」という4人チームの発表を聴いたのだが、その発表が行われたB棟102教室が20年前に私がその出来事を目撃した教室だった。その教室に入ったとき、私には既視感があり、なぜなだろうと考えて、すぐに20年前の出来事をありありと思い出したのである。

  昼食は、弘前大学の高瀬君と、大学のすぐ近くの宮城県立美術館のレストランでとった。高瀬君とはその後別行動をとったが、夜、私の宿泊先のホテルのロビーで待ち合わせて、夕食も一緒にとった。私が少し風邪気味であることを知って、彼は「これは効きます」と言って、自分用に処方された漢方薬を3包みくれた。

         

         

         

         

         

11月21日(金) 晴れ

2008-11-22 02:17:10 | Weblog
  寒い。3限の授業(ライフストーリーの社会学)をしているとだんだん背中が寒くなってきた。今日は夕方から中学生作文コンクールの授賞式とパーティーがあるので、三つ揃いに皮のハーフコートで来たのだが、授業中はハーフコートを脱ぐので、セーターなしは寒い。セーターを一度着てしまうと、春になるまで脱げなくなる。
  授業の後、TAのI君と「メーヤウ」で昼食。先週と同じく今日も窓際のテーブル席に座り、タイ風レッドカリーとラッシーを注文した。しかし、今日は先週のように「一週間が終ったな」というくつろいだ気分にはなれない。いろいろと予定が入っているからだ。
  3時半に事務所に行き、新人研修のお相手をする。4人の新人職員の方(説明されるまでそういう風には見えなかった)が授業支援のためのヒアリングを教員に対して行うのだ。30分の予定がちょっと延びて40分になった。あれこれ喋りすぎたかもしれない。
  中学生作文コンクールの受賞式は市ヶ谷の私学会館で。私と日経新聞の論説委員のIさんが毎年交代で講評を述べる担当なのだが、今年の担当はIさん。私の役目はパーティーのときの乾杯の挨拶だけなので、気楽である。パーティーのとき、8名の受賞者(とそのご家族や先生)のところを回ってお話をする。今年は珍しく男女4人ずつだ(例年は女子生徒が圧倒的多数を占める)。秋田から来た女子生徒と話をしているとき、お母さんが「先生は明日から秋田へ行かれるのですね」と言った。受賞式の後の記念撮影のときに私が他の委員と雑談していたのが耳に入ったらしい。実は、秋田といったのは間違いで、本当は仙台なのだが、似たようなものなので(!)、訂正せずに話をしていたのだ。いまさら「いえ、仙台です」とは言いづらく、「ええ」と答えたら、秋田のことをいろいろ話してくださった。「はい」「そうですか」「へぇ」と相槌を打ちながら聞く。調子のいい男だ。おまえは植木等か。
  それにしても最高賞である文部科学大臣奨励賞を受賞した結城和也君の受賞の挨拶は立派だった。それ自体が一つの作品として何か賞をあげたくなったくらいだ。内閣総理大臣賞なんかどうだろうと思ったが、いまの総理大臣は日本語の能力に問題がある人のようなので、作文コンクールの賞としてはふさわしくないだろう。

11月20日(木) 晴れ

2008-11-21 09:53:59 | Weblog
  「鈴文」が復活した。3ヶ月前にご主人の体調不良で閉店し、建物も取り壊されたあの「鈴文」だ。
  午前中、大学に行く前に散髪を済ませようと、いつも駅に向うときとは別の道を歩いていたら、近日開店らしい店があって、「鈴文」と書いてあるではないか。驚いて店内を覗き込んだら、年配の女性が私に気づいて出てきた。以前、「鈴文」で働いていた方だ。「また始められるんですか」と尋ねると、「そうなんです、今度の日曜日から。従業員も同じ顔ぶれで」と嬉しそうに言われた。そこへ路上に止めてあるバンから運び出した荷物を持ってご主人の鈴木さんがやってきた。私の顔をみて笑顔で挨拶をされた。こんなに愛想のいいご主人の顔は初めて見た気がする。「お体の方はもうよろしいんですか」と尋ねると、「はい、お蔭様で」と言われた。それはよかった。本当によかった。もう二度とあのとんかつを口にすることはないものと思っていた。朗報とはこういうことを言うのだろう。新しい店は前の店のすぐ近くで、数軒先に「やぶ久」がある。

         

  散髪をしてもらっている間、「鈴文」のことを考えていたら、とんかつが食べたくなり、駅ビルの売店で「万世」のかつサンドを購入。3限の授業(大学院の演習)の前に暖房の利いた教員ロビーで昼食。

         

  5限は最後の卒論演習。いつもは金曜日の5限なのだが、明日は私が都合がわるいので今日にしたのだが、集まったのは目処のついている学生たちばかりで、発表をしなくてはならない学生たちはやって来ず、5時で終る(延長の可能性を考えて会議室は8時までおさえてあったのだが)。残り2週間。生活の中心に卒論執筆を据えて、没頭すること。それ以外のライフスタイルはありえない。それができるかどうかだ。
  妻には今日は遅くなる(夕食はすませて帰る)と言ってあったし、もしかしたら大幅に遅刻して卒論演習にやってきた学生からケータイに連絡が入るかもしれないので、「メルシー」で夕食(チャーシューメン)をとり、「シャノアール」で食後の珈琲とケーキを注文し1時間ほど読書をしてから帰宅。学生の一人からようやくケータイに連絡が入ったのは大手町駅から東京駅へ向って地下道を歩いているときだった。

         

  一部で話題騒然のK君シリーズの3回目。
  昨日のフィールドノートを読んだK君から、以下のようなメール(一部抜粋)が届いた。

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 実際に言った言葉は

 「タカジさん頑張ってんじゃん」

 でございます。ちなみに最後は語尾が上がります。

 呼び捨てにはしておりません。
 また、「頑張ってるな」などとも断じて申しておりません。
 天地神明に誓います。
 舞子さんは誤ったことをお伝えしております。

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  「K君はおまえが事実を正確に伝えていないと直訴してきたぞ」と娘に問い質したところ、「頑張ってんじゃん」はその通りだが、「タカジさん」とは言っていない。「タカジ頑張ってんじゃん」が事実だとのこと。たぶん、そんなところだろう。私は赤の他人のK君よりも自分の娘を信じる。そして私の言語感覚では、「頑張ってるな」よりも「頑張ってんじゃん」(語尾上がり)の方が軽佻浮薄なもの言いである。24日の公演でK君に会うのが益々楽しみになった。