フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月19日(水) 晴れ

2008-11-20 04:07:32 | Weblog
  午前11時から社会学専修の教室会議・・・と思っていたら、午前11時半からだった。いつも11時からなので、今日もそうだと思い込んで、通知のメールをよく読まずに行ってしまった。浮いた(というべきか)30分の時間でいくつか雑用を片付ける。会議は「たかはし」のお弁当を食べながら。
  午後1時から文化構想学部のゼミ担当者を対象にしたゼミ運営費の使途についての説明会。私は社会学の調査実習で実験実習費の使い方については慣れているが、そうでない先生の方がはるかに多く、あれこれ細かな質問が続いた。来年度はゼミ運営費の処理を担当する事務所のNさんは大変だろうなと思う。できるだけNさんのお手を煩わさないようにしないとなるまい。
  午後2時から教授会。今日は急ぎの用があるので、資料だけ受け取って失礼する。資料に目を通したら、来年度の基礎演習の担当教員の一覧が載っていて、私の名前もそこにあった。来年度はゼミも始まるし、半期の演習も2つ(今年度は1つ)担当するし、現代人間論系総合講座1だけでなく総合講座2のコーディネーターも担当することになったので、基礎演習の担当を降りたいと申し出ていたのだが、受け入れてもらえなかった。ふぅ。かなりの労働強化である。超過勤務手当てがたくさんいただけそうだ。誤算の原因は、総合講座の仕事量のカウントの仕方が私と事務サイドでは違ったということだ(予想されたことではあるのだが)。たとえば総合講座1は私を入れて4人の教員でする授業で、事務所サイドでは1コマを単純に4人で割って0.25としてカウントされる。しかし、実際には、コーディネーターである私は全部の回に出席するので、実働は1.0なのである。総合講座2についても同様。ああ、割の悪い役回りである。ぐれてやるからな(だから今日は教授会をサボった、というわけではありません)。
  現代人間論系室に顔を出して(ゼミの二次選考の件で学生が相談に来ているかもしれないと思って)、紅茶とチョコレートで一息入れてから、大学を出た。振り返ると、校舎の上の空には清々しく白い雲が広がっていた。ガラスの表面に張った薄霜のようである。今夜は冷え込みそうだ。

         

  夕食のとき、娘が告白したのだが、一昨日の話(K君が私のブログを見て「お父さん頑張ってるな」と言った)は正確ではなく、正しくは、「タカジ頑張ってるな」と言ったそうなのだ。タ、タカジ?! はぁ?! K君、ちょっとうちに来ないか。教育的指導というのをしてあげるから。

11月18日(火) 晴れ

2008-11-19 09:25:03 | Weblog
  2限の演習は毎回一定数(5、6人)の欠席者がいる。夜型のライフスタイルの学生には2限という時間帯は辛いのかもしれないが、私の感覚では、演習というのは大教室での講義と違って、毎回出席して課題をちゃんとこなしていかないと議論(これが演習の眼目である)について来れなくなると思うのだが・・・。明日(実際には今夜)、来年度のゼミの第一次選考の発表がある。演習は半期だからたまにさぼっても何とかなるかもしれないが、ゼミは2年間だから、途中で休みがちになると立て直しが難しい。そのままずるずるといってしまう可能性がある。とくに3年生の秋期あたり、就職活動のことが気になり始める頃に、そういう事態が生じやすいだろう。これからゼミの運営については考えなくてはならないことがたくさんある気がする。
  昼食は前から一度入ってみようと思っていた店で看板メニューの親子丼を注文したが、焼き鳥のタレでも使っているのか、ずいぶんと甘ったるい味付けであった。680円で味噌汁が付かないというのも不満である。今回限りでいいやという気がした。たまたま一緒になった同僚の田島先生も同じ意見であった。
  3限、4限の時間帯は研究室で雑用。足元が寒いので、暖房(エアコン)を入れたが、足元はあまり暖かくならない。寒がり屋の私には研究室は長時間滞在する場所ではない。5限の「質的調査法特論」は冒頭で少し講義をしてから、ライフストーリー・インタビューのケース報告を3件。このペースでいければと思う。
  帰りがけに事務所へ寄って、先日提出したゼミ一次選考の名簿にもう一度目を通し間違いのないことを確認する。夜、明日が締め切りの区民会議の報告書の原稿書き。深夜まで及ぶ。

11月17日(月) 晴れたり曇ったり

2008-11-18 02:34:11 | Weblog
  朝方は快晴だったが、すぐに曇ってきて、また晴れるという一日だった。午前中は暖かかったが、午後、二度目の晴れ間が広がったときは、いくらか冷え込み、もう小春日和とはいえなくなっていた。今週はこんな感じらしい。
  遅い昼食(わらびと竹輪の煮物、ご飯、葱の味噌汁)を自宅でとってから、ちょっと散歩に出る。玄関先に「なつ」がいた。玄関の外のマットの上は午後の陽射しがあたって暖かいのだが、「なつ」は最近よくここで妻が帰宅するのを待っていて、ニャアとなついて食べ物をねだるらしいのだ。私や息子に対しては多少警戒心があるようで、ニャアとは鳴くがこちらの足に体を擦り付けたりはしない。冬毛が体を覆ってきているのだろう、体が一回り大きくなったように見える。

         

 自宅にあるはずの社会学のテキストが見当たらないので、研究室に忘れてきてしまったかもしれない。しかし、そのつもりで明日大学へ行ってなかったら困るので、くまざわ書店でもう一冊購入しようと出かけたのだが、社会学の書架には置いてなかった(私の『日常生活の社会学』と嶋崎先生の『ライフコースの社会学』が並んで置いてあった)。ダメもとで有隣堂へもいってみたが、社会学の書架自体がなかった(政治・社会・国際関係で一つの書架にまとめられていて、社会学の書籍は棚一段分もない)。「10万冊を越える豊富な品揃え」を謳う大型書店といっても所詮この程度である。社会学の本を買って読もうなんて人はそんなにいないということだ。分ってはいるが、たまに忘れるのだ。妻にもちゃんといっておかないとな。私の本が売れないのは私のせいではない、少なくとも私だけのせいではないのだと。
  夕食のとき娘から聞いたのだが、娘の演劇関係の友人たち(大学の演劇研究会の仲間)が私のブログをよく読んでいて、娘は自分で読むよりも前に友人たちから私のブログの内容を知らされるらしい。私が毎日欠かさずブログを更新しているのことについて、K君が「お父さん頑張ってるな」と言ったそうだ。「頑張ってるな」だと?! ふ~む。K君、君こそ頑張りなさい。

11月16日(日) 曇り

2008-11-17 03:26:32 | Weblog
  午前中、テレビをつけたら、ちょうどNHK杯将棋トーナメント2回戦の1局、谷川浩司九段と橋本崇載七段戦をやっていた。興味深い対局だ。谷川九段は十七世名人の資格をもつ天才棋士だが、現在の棋界は羽生善治名人を中心とする後続の世代が支配しており、46歳の谷川は今年度のA級順位戦で2勝3敗と苦戦をしいられている。一方、橋本七段は順位戦はB級2組の所属だが、竜王戦では一組に所属する25歳の若手である。4年前にNHK杯将棋トーナメントに初登場したとき、金髪パンチパーマに紫色のシャツという盛り場のあんちゃんのような風体でマスコミの注目を浴びる。彼がそうした奇抜な行動に出たのには、地味というか、オタクっぽい棋士=将棋のイメージをなんとか変えたかったという理由があったらいしが、自己顕示は自己顕示でかまわない、もっともらいし理屈など言わない方がいいと私は思った。彼が将棋雑誌に書いている文章を読むと、そのエキセントリックな外見とは裏腹に、将棋に対して大変ひたむきな気持ちの持ち主であることがわかる。将棋だけ強い、ただの礼儀知らずの若造ではない。タイプとしては羽生世代で唯一のやんちゃ坊主、先崎学八段に似ていると思う。要するに、いろいろ言ったが、私は橋本七段には好感をもっている。だが、今日の対局は谷川九段に勝ってほしいと思った。やんちゃ坊主を「光速の寄せ」でスッパリと切り捨ててほしいと思った。昨日読んだジャック・ロンドンの短篇「一枚のステーキ」のように老いたボクサーが若いボクサーに負けるのは見たくなかった。谷川九段がそういう役回りを演じるのはまだ早い。そして、結果は、私の期待した通りになった。橋本七段の敗因は一直線の攻め合いに行ったことである。途中、一手だけ、自陣の歩の頭に飛車を打つ(飛車を守りに使う)手を指したが、谷川九段も相手の「と金」で取られてしまう場所にわざと桂馬を跳ねるという妙手でそれに応じ、これではっきりと谷川九段が良くなった。最後、橋本七段は一度だけ谷川九段の玉に王手をかけ、それを防がれると、自玉に王手がかかる前に投了した。一直線の攻め合いは谷川九段の強さを一番引き出す戦い方であり、橋本七段があえてそこに飛び込んだのは、天才谷川九段に対する畏敬の念が橋本七段の中にあったためだろうと思う。私はこの若者のことがまた少し好きになった。
  今日、家にいるのは私と息子だけである。将棋の番組が終った頃、息子が二階の部屋から降りてきたので、朝食兼昼食を食べに二人で外へ出る。東急プラザの「とん清」で私は牡蠣フライ定食、息子はロースかつ定食。食べながら、財布は持ってきたのかと息子に尋ねると、息子は「えっ、割り勘なの?」とびっくりしたような顔で答えたので、そうではなくて、いつも財布にどれくらい入れているのかを聞いてみたかっただけである。私はその月の小遣いの全額をいつも財布に入れている。だから毎月15日が財布の中身は最大値を示し、以後、右肩下がりで推移する。だんだん淋しい気持ちになっていく。息子はいつも一定額しか財布には入れておかないそうだ。財布を落とすといけないからというのが理由らしい。「財布を落としたことがあるのか?」と聞いたら、「まだない」という。転ばぬ先の杖というわけか。堅実な人生だ。ちなみに私は一度だけ財布を落としたことある。旅行先でのことで、現金数万円と家族全員の特急指定席券と映画の前売券が数枚入っていた。大変な損害だった。しかし、その事件によって私の財布観(?)が変化することはなかった。息子は私とは違う人生を歩こうとしている。それはたぶんいいことだろう。
  午後、NHKで全日本バドミントン選手権大会の女子ダブルス決勝の中継があった。これは例年のとことで、NHKはバドミントンに関しては女子優先である。試合が早めに終ると、すでに終っている男子シングルス決勝の模様を録画で見せてくれて、私にはこれが楽しみなのだが(男子の試合は迫力が全然違う)、今日は「オグシオVSスエマエ」という話題のカードだけに、女子ダブルス決勝も楽しみだった。その女子ダブルス決勝は一進一退の大接戦をオグシオ組が2-0で制して、大会5連覇を成し遂げ、有終の美を飾った。「一秒でも長くコートに立っていたい」と小椋選手は試合前に語っていたが、であれば、第2セットを逆転で取ったりせずに、第3セットまでいくべきだったのではないか。そうすればあと30分はコートに立っていられたはずである(笑)。表彰式のとき準優勝のスエマエ組の前田選手が遅刻したのはどうやらどこかで号泣していたからのようである。4人の中で一番若い前田選手だが、まだまだ強くなる選手だと思った。男子シングルス決勝は19歳の田児選手が同じNTT東日本の佐藤選手を2-0で破って、史上最年少チャンピオンになった。彼のジャンピング・スマッシュはたんに打点が高いだけでなく、手首の使い方が実に巧みで、打つ瞬間までコースがわからない。バドミントンをやったことのない人はわからないであろうが、あんなに速いシャトルを打ち返せるのは、打つ瞬間の相手の体勢からシャトルのコースをある程度予測できるからなのである。しかしこの試合では佐藤選手が一歩も動けないままスマッシュを見送る場面が何度かあった。これまで田児選手のような日本人選手を私は見たことがない。中国やインドネシアの一流選手とシングルで互角に渡り合える男子選手がついに現われたように思う。

11月15日(土) 曇り

2008-11-16 10:09:11 | Weblog
  明日は家に篭って報告書の原稿を書く予定なので、今日は外出することにする。9時半過ぎに家を出て、飯田橋ギンレイホールにロブ・ライナー監督作品『最高の人生の見つけ方』を観に行く。邦題は自己啓発本みたいだが、原題は「THE BUCKET LIST」。自分の余命が長くないことを知った人間が(あるいは自分がそのような立場におかれたと想定して)死ぬまでにやっておきたいことを書き記したメモのことである。イザベル・コイシュ監督作品『死ぬまでにしたい10のこと』(原題:My Life Without Me)で主人公の23歳の女性が作成したメモがまさにそれだった。彼女の場合は死ぬまでにしたいことは次のようなものだった。

  1 娘たちに毎日愛してると言う
  2 娘たちの気に入る新しいママを見つける
  3 娘たちが18才になるまで毎年贈る誕生日のメッセージを録音する
  4 家族とビーチへ行く
  5 好きなだけお酒と煙草を楽しむ
  6 思っていることを話す
  7 夫以外の男の人とつきあってみる
  8 誰かが私と恋におちるよう誘惑する
  9 頬の感触と好きな曲だけしか覚えてない刑務所のパパに会いに行く
  10 爪とヘアスタイルを変える

  少しの度胸といくらかのお金があればできることばかりだ。それに比べると、『最高の人生の見つけ方』の二人の主人公(モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンが演じている)のリストにはお金のかかりそうなことがたくさん書かれている。スカイダイビング、カーレース、ピラミッドのてっぺんに上る、アフリカでライオン狩り、パリのレストランでキャビアをたらふく食べる・・・それらがみんな実現できてしまうのは二人の老人の一人が大金持ちだからだ。やはりお金はないよりもあった方がいい。しかし、当然のことだが、映画の後半、二人の老人はお金では手に入れられないものに回帰していく。自動車整備工(フリーマン)は妻とたくさんの子どもが待つ家庭へ。大病院の経営者(ニコルソン)は離婚した妻(何人かいるのだが)との間に生まれた娘(ずっと音信不通になっている)に会いに行く。ポジティブで、ユーモアがあり、そして家族至上主義のハリウッドならではの作品だ。
  映画館を出て「紀の善」で昼食(赤飯弁当)。デザートに抹茶ババロアを注文して、ジャック・ロンドンの短編集『火を熾(おこ)す』の表題作を読む。極寒の雪原で焚き火を熾すのにしくじって死んでいく男の話だ。自然と人間の戦いの話といってもいい。自然への畏敬の念と与えられた条件の下でベストを尽くした人間への鎮魂。骨太できびきびした文体と相まって後味は悪くない。
  「紀の善」を出て、さてどこへ行こうかと、神楽坂下の交差点のところでしばしたたずむ。今日は同僚の大藪先生が会長をされている乳幼児の発達心理学のシンジウムが戸山キャンパスで開催されることを思い出し、会長講演を拝聴しに行くことにする。散歩がてら神楽坂の上まで歩き、そこから地下鉄に乗って、大学へ。キャンパスの落葉が浜辺の貝殻のように見える。

         

         

         

         

  会長講演のタイトルは「共同注視研究の現状と課題」。共同注視というのは、相手が見ているものを自分も見ることで、9ヶ月の乳児は、視線を交わしていた大人が何かに視線を向けるとその向けたものに自分も視線を向けることができる。視線の共有であると同時に、相手の意図を察する能力の芽生えでもある。これは乳児が間主観的な主体へと成長していく過程における画期的な出来事で、大藪先生はこの分野の研究の第一人者である。大藪先生の熱意を込めた語りは、現代人間論系総合講座1のときと同様である。やっぱり熱い人なんだ。来年度から立ち上がるゼミでは、私が人間発達論ゼミ1、大藪先生が人間発達論ゼミ2の担当である。同じプログラムのゼミ同士、何かジョイント企画を立てたいものである。合同合宿(研究発表)なんてどうだろう。熱い合宿になることだけは間違いない。
  帰路、丸の内のオアゾの地下の鞄屋でプライスオフの商品を購入。正札どおりだと高くて買う気になれないが、半値なら適正価格という気がする。靴と鞄は日常的に使うもので愛着のわきやすいものだが、どちらもボロボロになる一歩手前で買い換えないといけない(少なくとも大人は)。
  蒲田に着き、「シャノアール」で『火を熾す』の中の別の作品「一枚のステーキ」を最後まで読んでから、帰宅。歳をとったボクサーが家族を養う金を稼ぐために若いボクサーと対戦し、死闘の末に破れる話だ。

  「ポケットには小銭一枚なかた。三キロの道のりはひどく長く感じられた。俺はもう本当に歳だ、そう思った。ドメイン公園を抜ける最中、不意にベンチに腰を下ろした。試合の結果を聞こうと、妻が寝ずに待っていると思うとたまらなかった。そのことが、どんなノックアウトよりもつらかった。女房に合わせる顔がない、心底そう思った。
  体中から力が抜け、体中がひりひり痛んだ。砕けてしまった指関節の痛みを思えば、たとえ土方の仕事にありついても、つるはしやシャベルを握れるようになるには一週間かかるだろう。腹の底の空腹の震えが、彼を呪わしく苛んだ。みじめな気分に打ちのめされて、両目が濡れてきた。そんなことは初めてだった。キングは両手で顔を覆って泣いた。泣きながらストーシャー・ビルを思い出し、ずっと昔のあの夜にビルが自分に仕えたことを思い出した。哀れなストーシャー・ビル! 更衣室でビルが泣いたわけが、いまの彼にはわかった。」(179頁)

  「訳者あとがき」(柴田元幸)によると、本書に収められた9編は主人公が勝者になる場合と敗者になる場合の両方があるそうだから、私は今日たまたま敗者になる場合を2編続けて読んだことになる。きっと敗者を描いた作品の方が味わいがあるに違いない。「一枚のステーキ」は1909年に書かれたものだが、百年前のものとはとても思えない(「20ラウンド」という言葉以外は)。といよりも、百年前なんてついこの間のことなのだというべきだろう。ジャック・ロンドンは1916年に40歳で亡くなったが、同じ年、夏目漱石が49歳で亡くなっている。彼の人生に興味を持ったので、アマゾンで『ジャック・ロンドン放浪記』(小学館)を注文する。