フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月26日(火) 晴れ

2009-05-27 02:31:38 | Weblog
  11時半、起床。とにかくこのところずっと寝不足の日々だったので、今日は許されるギリギリまで蒲団の中にいた。ハムとチーズのサンドウィッチと牛乳の朝食をとって、お昼に家を出る。
  3限は「現代人間論系総合講座1」。安藤先生のシリーズの最終回。安藤先生が教員ロビーでAV機器の鍵とワイヤレスマイクを借りたときに、隣の教室のものを間違って借りてしまい、安藤先生の講義が隣の教室のスピーカーから流れるというアクシデントがあり、これには一堂笑った。ご愛嬌、ご愛嬌。今日の講義では三田誠広『僕って何』、村上春樹『ノルウェーの森』、田中康夫『なんとなく、クリスタル』、増田みず子『シングル・セル』、綿谷りさ『蹴りたい背中』の5作品を取り上げて、大学紛争以後の若者の「私」と集団、他者との関係性の変化について論じられた。途中で、安藤先生は家庭は必ずしもやすらぎの場所でないと正直に告白されて、「大久保先生はいかがですか?」と私に意見(というよりも同意)求めてこられた。流れから言って、同意しないわけにはいかず、「はい、自宅の中にいるときも自分だけの空間(書斎)は必要ですし、自宅の外にも自分だけの空間(たとえば行きつけの店)は必要ですね」と答える。自宅の外がさまざまな役割を演じる舞台で、自宅が楽屋というわけではなく、自宅もまたホームドラマの舞台なのである。授業の後、教員ロビーで安藤先生、途中から大藪先生も加わって、しばしの雑談。遅い昼食は「ごんべえ」の胡麻だれうどん(大盛り)。
  5限は卒論演習。前回に続いてK君が高熱でダウン。H君のケータイに届いたメールによると39度の高熱とのこと。すわ、新型インフルエンザか、と一堂色めき立ったが、そうではないらしい。今日の報告はFさん一人で90分やった。
  6限は次回のゼミで報告するグループの事前相談を研究室で。テキストの理解から始めて、ディスカッションの進め方(問題設定の仕方)まで、あれこれ相談していたら9時になってしまった。2時間45分!4人でゼミに匹敵するだけの時間をしゃべったことになる。発表の事前相談というのは基礎演習でも専門演習でも今学期はやっていない。やれば学生のためになるのはわかっているのだが、こちらの労働時間が倍化するので、おいそれとはできない(希望があればやりますよ)。しかし、ゼミだけは特別である。18名のゼミなので、きめ細かく指導しようとしたら、正規の授業時間外でグループ単位の指導をするほかない。でも、次回からは1コマ分(90分)を越えないようにしよう。遅い夕食は「つけ麺大王」のレバー焼き定食。10時半、帰宅。
  ところで、昨日の読売新聞に載っていた「だめな大学教師」の例は他人事ではなかった。

  1 イケメン学生をひいきする。
  2 殴り書きで板書が読めない。
  3 どうせわからないだろうと見下す。
  4 猛スピードでしゃべり続ける。
  5 遅刻し、時間が来ても終らない。
  6 家族の自慢話ばかりする。
  7 授業の準備をしない。
  8 欠席学生を罵倒する。

  この8項目のうち、あきらかに私自身に該当するのは、「2」である。板書の文字が自分で書いておきながら時間が経つと読めないことがままある。それもあって、最近はパワーポインを使って講義をするようにしている。常にあてはまるわけでないが、そういうときもあるのは「5」と「6」である。遅刻はめったにしないが、ゼミは時間オーバーが日常茶飯である(ゼミは規定上は6限の科目なのだが、7限まで使ってやっている)。「娘は上戸彩に似ていて、妻は山口百恵に似ている」というのがもし家族自慢にあたるとすれば、私は家族自慢をしているといえる。以上の3項目が黒ないし灰色である。残りの項目は白であろうと自認しているが、学生がどう見ているのかは学生に聞いてみないとわからない。

5月25日(月) 晴れ

2009-05-26 16:33:16 | Weblog
  8時半、起床。ゴーヤチャンプル、トースト、紅茶の朝食。午前中に歯科に行く。前回に続いて今日は上の歯の掃除。詰めものをしていたところが二次カリエスになっているのが発見される。これで治療が1、2週間延びることになった。
  治療を終えて、その足で大学へ。本部での会合は1時間ほどで終る。順調、順調。どうぞこのまま進行してくれますように。「西北の風」で昼食をとる。サラダ、ナポリタン、珈琲。ブログに食べたものの写真を載せるというのは一般的だが、なぜだろう。文章だけよりも写真もあった方が雑誌的な紙面構成になって読みやすいことはわかるが、なぜその写真が食べものなのかというのは、ブログ論(というものをいずれ書いてみたいと思っている)を構成する一項目として改めて考えてみたいテーマである。

         

         

  研究室に戻って、雑誌『諸君!』6月号=最終号を読む。1969年7月に創刊された『諸君』(当初は「!」は付いていなかった)が40年の雑誌生命を終えることになった。1969年といえば、1月に東大安田講堂での全共闘と機動隊の攻防戦があった年である。政治の季節が終わった年(すでに国民的レベルでは60年安保で終わったいたのだろうが、若い世代の間でも終わった年)に、保守的知識人たちの言論空間として登場した『諸君』は、進歩的知識人たちの言論空間であった岩波書店の『世界』の対抗物として、70年代以後の論壇の力学に一定の均衡をもたらしてきた。『諸君!』の終刊の直接的な原因は、広告収入の減収であろうが(インターネット広告の拡大)、広告収入の減収は販売収入(発行部数)の減収と連関しているはずで、販売収入の減収は、活字人間(読者)の減少や、「保守と革新」「右と左」という言論の軸が現代社会の諸問題を考察していく上でのそれほど有効なものではなくなってきていることと結びついているだろう。

         

  「思想家列伝 輝ける論壇の巨星たち」という特集が組まれていて、取り上げられた11名の思想家の1人に清水幾太郎も入っていた。誰が担当しているのかと思ったら、竹内洋さんだった。竹内さんはミネルヴァ書房から清水幾太郎の評伝を出すことがかなり前から予告されているのだが、なかなか出ない。ご多忙なのだとは思うが、早く出してもらわないと、一種の「後出しジャンケン」を狙っている私としては困ってしまう。まさかとは思うが、竹内さんも同じことを考えているのだろうか(笑)。

5月24日(日) 雨、一時晴れ

2009-05-25 10:07:13 | Weblog
  昼間は雨で、夕方近くなって晴れたが、夜になって再び雨。雷も鳴った。近所のコンビニにコピーをとりに出かけた以外、ずっと自宅で、明日の会合のための資料作りをしていた。
  私の知り合いでブログをやっている人がいて、毎日律儀に更新していたのだが、ここしばらくそれが滞っていて、どうしたのだろうと気にしていたら、二日前に久しぶりで更新があった。そこには驚くべきことが書かれていた。書かれている事実にも驚いたが、その事実を正直に書いたことにも驚いた。冷静に書かれているようで、実際は冷静であろうと必死に努めて書いていることが読み取れる。彼のブログは私と違って匿名なのだが、日々の生活が書かれているので、読む人が読めば誰のブログであるかはわかるであろう。大丈夫なのかと思ったが、今日見たら、その記事は削除されていた。冷静さをいくらかは取り戻したということだろうか。そうだといいのだが、反動で、ガックリと落ち込んでいるのではないかと心配だ。彼と話をしたことは一度しかないが、同じブログの世界の住人という意識があるためだろう、他人事とは思えない。彼は私のブログを読んでいるようだが、私が彼のブログを読んでいることは知っていただろうか。知らなかったとしたら、今日の私のブログでそのことを知ることになる。読んでますからね。

5月23日(土) 曇り

2009-05-24 02:15:24 | Weblog
  9時、起床。地鶏丼の朝食。昼前に家を出て大学へ。今日は1時から早稲田社会学会の理事会があるのだ。私は勘違いをしていて、てっきりお弁当がでるものと思っていたのだが、よく考えてみると、午後1時からというのは、昼食は各自が済ませているものというのが普通の感覚であった。その上、事前の案内では理事会は2時の終了予定となっていたのが、実際に終ったのは4時半で、その後、那須先生と雑談をしていたら5時になってしまった。腹ペコで、夕食までは待てないので、「ごんべえ」でつけめんを食べる。うどんを、肉と葱の入った温かいつけ汁にくぐらせて食べる。「めんのお代わり無料」となっていたが、夕食のことを考えて、お代わりはしなかった。小腹が減ったときに食べるのにちょうどいい量である。

         

  あゆみブックスで『ユリイカ』5月号(特集:クリント・イーストウッド)を購入し、電車の中で読む。『グラン・トリノ』の日本での公開にタイミングを合わせた特集であるが、彼へのインタビューを興味深く読んだ。

   ウォルト・コワルスキー役を演じたいと思った理由を教えてください。
   このウォルトという男が、ある種の変わり者の無礼な男だという点が気に入ったのと、私自身もよく知っているような独特なキャラクターだったからだね。これまでに彼のような男を数多く見てきたよ。彼らの時代には、自分の考えを口にするのを恐れるような人は誰ひとりいなかった。この作品は、朝鮮戦争に従軍していた過去があり、妻に先立たれたばかりの男がいるところからはじまる物語だ。ふたりの息子とは疎遠で、彼らから疎外されたと思っている。家族はほどんどウォルトのことを気にかけていないんだ。成長した息子たちは、いつまでも老いた父親と一緒にいたくないと思い、孫たちも同じように思っている。相続関係のこと以外はではね。それに、友人の多くもすでに他界した。フォード社に50年間勤めあげた間に、隣人たちは自動車産業の人間たちから、今まで移民たちにとって代ってしまっている。その変化がウォルトには気に入らないんだ。(中略)社会や今の世の中から外れた男さ。人との接し方がわからないし、あらゆることが昔と変わってしまったことにもすねている。でも最終的には、今まで耳にしたこともなかったような国の人々を認める寛容さを学んでいくんだ。

   4年間のブランクを経て、再び演じるのはいかがでしたか?
   問題なかったよ。もう55年間も役者をやっているからね。何でもないことだよ。演じるキャラクターを心の中に取り込んで、それを出すだけさ。またカメラの前に戻ってくることができて幸せだったし、こんな風変わりなキャラクターを演じられて楽しかったよ。

   本作はアメリカ国内で興行的に大成功を収めましたが、その結果を予想していましたか?
   これまでも何か期待したことは一度もないよ。いまだに、なぜ人々が映画を観に行くのか、あるいは観に行かないのか、ということ自体に驚いているんだよ。映画の作り手というのは、誰かがきっと観ていてくれると思って映画を作るものだけど、それでも結果なんてわからない。映画が完成して、たとえ映評が良くても、まったく無意味な場合もある。公開して観客に気に入ってもらえて初めて、「よし、これで成功といえるな」と思うんだ。
  年配の人たちはきっとこの作品を観てくれるだろうと思っていたよ。そして自分の家族関係と似ているところを見出してくれるとね。でも若い人たちはウォルトの頑固さを気に入ってくれている。10分間でいいからウォルトみたいになりたい、とみんな思うんだろうね。そういう意味では、ウォルトは実に面白いキャラクターになった。人々の心の引き金を引くようなキャラクターだったということだ。この作品の中にはささやかながらも、良質なメッセージが多く描かれている―教会、友人、偏見を抱いていた文化とのかかわり合いなどがね。

   この4年間で5作品を監督するなど、とどまることなく映画を作り続けていますね。焦る気持ちがどこかにあるのでしょうか?
   いいや。すでに十分長い道のりを歩んできているからね。ある朝、目が覚めたらもう78歳になっていたんだ。妻のディナに『チェンジリング』と『グラン・トリノ』の話をしながらこう言ったよ。「一体、私は何をしているんだ? 二本も作品を抱えているうえに、作曲までしている。なんでこんなことをしているんだ?」とね。それから笑い出してしまったよ―だって、その理由はただ好きだということだけだったから。いまでも常に新たなことを学んでいるよ。人生の中では物事に対して旺盛な時期がある。何が原因で、何が理由でそうなるのかはわからないが、とにかくそういう時期があるんだ。

  「ある朝、目が覚めたらもう78歳になっていたんだ」という下りがいい。

  夜、木村拓哉主演のTVドラマ「ミスター・ブレイン」の初回を観る。映画のような多彩なキャスティングが目を引いた。内容は「ヒーロー」と「ガリレオ」を足して2で割ったような感じ。犯人が大したことのない人物だったのが残念。

5月22日(金) 曇り

2009-05-23 11:03:23 | Weblog
  8時半、起床。昼から大学へ。3限は講義「日常生活の社会学」。4限の空き時間に「ごんべえ」で遅い昼食。胡麻だれうどん。ざるうどんを冷たい胡麻だれにつけて食べる。涼味。かやくご飯は抜きで頼んで500円。
  5限は基礎演習。今日からいよいよプレゼンが始まる。初回は4名の個人報告。あらかじめ「読む」プレゼンはしないように(「語る」ように)アドバイスをしておいたので、みんなそれはできてきた。1人、レジュメなしで、「語り」だけでプレゼンをしようとした学生がいたが、それは初心者には無謀というもので、案の定、途中で暗礁に乗り上げてしまった。ナビゲーターとしてのレジュメはやはり必要です。レジュメの作り方(目次だけでなく要旨も書いておくこと)、発表時間の使い方(予行をしてフル活用できるようにしておくこと)についてアドバイスする。他方、聞き手の学生の側の準備(取り上げる基礎講義のコンテンツをあらかじめ視聴しておくこと)が十分とはいえない面があった。プレゼンは語り手と聞き手の共同制作であることを忘れないように。
  6限はゼミ。8時からコンパなので、前半の文献報告のみ。あらかじめ全員が前日までに文献を読んだ感想をBBSに投稿した。それはよかったのだが、ディスカッションにそれが十分に活用されていたとはいいがたい。どういう論点にコメントがあつまったかを整理し、論点間にどのような関連があるか、論点相関図のようなものを作成しておくと、ディスカッションがダイナミックに展開するのではないだろうか。ただし、それをやるためには、感想の書き込みの締め切りをもう一日早めないと報告者は苦しいだろう。
  コンパの場所は大学そばの「Norari Kurari」。「路地裏カフェ」というコンセプトの店で、以前、一度来たことがある。座面の低いテーブルと椅子が特徴である。たしかタコライスを食べたと思う。今日は貸切で、二つのテーブルに分かれて坐った。私が坐った方のテーブルにはおしとやかな学生が多かったが、これはたまたまなのか、「類は友を呼ぶ」効果なのか、あるいは私がそのテーブルに坐ったことによる効果(ハメをはずしにくかった)なのか、どれだろう。10時にお開き。帰りの地下鉄は、ハッピー・リエ、ベルサイユ・リョウの二人と一緒だったが、ハッピー・リエの声が大きいので、少々恥ずかしかった。アルコールのせいではなくて、この子は普段からこうなんですと周囲の乗客たちに釈明したい気分だった。

         

  11時、帰宅。風呂を浴び、録画しておいた『スマイル』を観て、ブログの更新は明日回しにして就寝。一週間が終った。ゼミが一週間の授業の締めくくりというのは気分的にはしっくりくる。やれやれというか、ホッとする。来年度も金曜6限で決まりかな。