フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

6月24日(水) 雨のち曇り

2009-06-25 02:36:09 | Weblog
  9時、起床。焼きソーセージ、トースト、冷麦茶の朝食。フィールドノートを更新し、明日の大学院の演習の課題論文2本に目を通す。外は雨。一階のベランダから雨に濡れる庭木を眺める。

         

  昼食はジンギスカン、おからのコロッケ、サラダ、大根の味噌汁、ご飯。昼寝の後、夕方から予定されている大田区男女推進区民会議のための資料に目を通す。
  6時、大田区役所へ。区民会議の前に男女平等推進課に顔を出し、今日の会議の打ち合わせ。6時半より会議。まず新任の委員の方々に「平成20年度大田区男女共同参画推進プラン推進状況報告」に目を通していただいた感想を述べてもらう。読みづらい資料であること、(各担当課の)自己評価の仕方に問題がある(おしなべて甘い)こと、担当課によって記述の精粗が目立つこと、プランそれ自体の妥当性に問題があること、などが指摘された。われわれ再任委員が2年前に感じたものとほぼ同じである。つまり状況はあまり改善されていないということであるが、それでもわれわれ再任委員の目から見ると、昨年度よりも多少は改善されている部分もある。今年度も改善に向けて粘り強く点検作業を進めていくつもりである。本日の会議は2時間ちょっとで終了。次回の開催日と次回までの課題を確認して閉会。コンビニで購入したおにぎり2個は、司会進行をしながらでは、食べることができなかった。10時帰宅。ハンバーグ、野菜スープ、ごはん。おにぎりも食べる。
  深夜、コンビニに飲み物を買いに出て、ついでに夏のTVドラマの紹介が載っている雑誌を購入。さっそくチェックをする。以下、初回は観てみようかと思った作品。ちなみに現在放送中の春のTVドラマで毎回欠かさず観ているのは「スマイル」だけなので、残存率は小さいと思う。
 
  月曜 「ブザー・ビート」(脚本:大森美香、主演:山下智久)フジ
    脚本の大森美香(「ランチの女王」など)に期待。

  火曜 「救命救急24時」(脚本:二木洋樹ほか、主演:江口洋介・松嶋奈々子)フジ
    シリーズ4部目。久々の松嶋奈々子。脇役の木村多江も魅力。

  木曜 「任侠ヘルパー」(脚本:古家和尚、主演:草剛)フジ
    草主演のドラマに外れは少ない。

  金曜 「オルトロスの犬」(脚本:小林雄次ほか、主演:滝沢秀明)
    滝沢が初めての悪役に。

  土曜 「再生の町」(脚本:菱田信也、主演:筒井道隆)NHK
    NHKならではの社会派ヒューマンドラマ。

  日曜 「官僚たちの夏」(脚本:橋本裕志、主演:佐藤浩市)TBS
    懐かしの昭和30年代もの。佐藤浩市の魅力で。

6月23日(火) 晴れ

2009-06-24 10:15:27 | Weblog
  明け方5時半ごろ目が覚める。マウスピースを嵌めて寝たのだが、気づくとなくなっていた。まさか知らないうちに飲み込んだってことはないよなと思いながら、枕元を探すと、ころがっていた。無意識のうちに外したしまったようである。再び嵌めて眠り直す。ウトウトするが熟睡はできない。9時半、起床。ベーコン&エッグ、トースト、オレンジジュースの朝食。ブログの更新をしてから、家を出る。今日は暑い。梅雨の晴れ間というやつだ。
  昼休みの時間、別のクラスの基礎演習の学生たちが私の教材論文のことで研究室に質問に来る。1時5分前までお相手をして、3限の「現代人間論系総合講座1」へ。今日から木村助教の3回シリーズが始まる。テーマは「KY現象」における「空気」とは何か。周到に準備されたパワポの資料を駆使しながらの講義で、大いに勉強になった。次回以降の展開が楽しみだ。
  昼食は「フェニックス」でチキンカレーと珈琲。しばらくそこで読書。食事をして読書もするには一番いい空間ではないかと思う。先日来たときは冷房が少々きつく感じたが、今日はそんなことはなかった。外は30度はいっていそうだ。

         
                     静謐で明るい空間

  5限は卒論指導の予定だったが、報告者の都合で来週に延期になった。飯田橋ギンレイホールの年間パスポートが今月の11日で期限切れになっているので、その更新に出かけ、ついでに上映中の作品『ディファイアンス』を観る。第二次大戦中のベラルーシで、ドイツ軍およびその協力者らによるユダヤ人狩から逃れて森の中を移動生活していたユダヤ人の一団の物語。これ、実話で、終戦時には1200名の人々がいたという。リーダーであるピエルスキー兄弟の長兄トゥヴィアを演じるのはダニエル・グレイグ。どうしたって「007」と重なって見える。頼れるリーダーだ。

                 

  一昨日は夏至だったのが、雨がちだったので、日の長さを実感することはできなかった。今日が本当の夏至のように思える。

         
                  飯田橋駅前の歩道橋の上から

6月22日(月) 小雨降ったり止んだり

2009-06-23 11:07:26 | Weblog
 9時半、起床。朝食は赤飯。10時半に予約してある近所の歯科に行く。前回、型をとったマウスピースが出来上がってきたので、嵌めてみて調整をする。これから毎日、睡眠中はこれを嵌めることになる。睡眠中に無意識のうちに奥歯を噛み締める癖があるらしので、それを緩和するためのマウスピースである。はたしてこのようなものをしたまま眠れるものだろうか。医師が言うには9割の人は大丈夫とのことだが、なんだか1割の方になりそうな予感がする。99%でなく、90%ですからね。10人に1人というのはそれなりの確率だと思う。
  12時に家を出て、大学へ。1時から本部で会合。いつもは1時間ほどで終るのだが、今日は2時間ちょっとかかった。腹ペコである。しかし次の予定があるので、のんびり食事をしている暇がなく、戸山キャンパスに戻って生協のカフェテリアで醤油ラーメンを食べる。350円を出して数円お釣りが来た。
  5限の時間にゼミのグループ報告の事前相談。他の章に比べるといささか長めで、記述もスケッチ風なので、面白そうなことが書かれてはいるが具体的にどういうことだろうと立ち止まって考えてみると、どうもよくわからないといった感じ。これは教科書というものの限界で、詳しくは原典にあたるしかないが、都市社会学のことなら社会構築論系の浦野先生、社会関係資本のことなら文学部社会学コースのK助手の専門だからと紹介しておいた(K君、もしゼミの学生が伺ったら、よろしくお願いします)。私は担当する基礎演習の学生(1年生)には積極的に先生方の研究室を訪問するように指導しているが、せっかく早稲田大学に入学したのだから、図書館と教員を活用しない手はないのである。
  帰りがけに、生協の書籍部で以下の本を購入する。

  マイク・フェザーストン『ほつれゆく文化』(法政大学出版局)
  ピエール・レヴィ『ヴァーチャルとは何か?』(昭和堂)
  張江洋直、大谷栄一『ソシオロジカル・スタディーズ』(世界思想社)

  夜、『ハサミ男』(2005年)をDVDで観た。麻生久美子、豊川悦司、阿部寛というキャスティングに惹かれてレンタルした作品だが、面白かった。昨夜観た『群青の夜の羽毛布』と同様、家族が重要なファクターとなっている点が興味深かったが、阿部寛の背の高さがマイナスに作用してしまっているところが玉に瑕である。

6月21日(日) 小雨のち曇り

2009-06-22 03:54:24 | Weblog
  10時半、起床。ブログを更新し、自家製コロッケパンと牛乳の朝食をとりながら、NHKの将棋トーナメントを観戦。ゴキゲン中飛車の近藤6段が村田4段に快勝。勝負が終った後の近藤6段の柔和な表情は、欽ちゃんファミリーの見栄晴にそっくりだ。
  仕事関連のメールを何本か書き終えて、昼食はテイクアウトの握り鮨。容器に「父の日」というシールが貼られている。世の中に「父の日」というものを楽しみにしている父親というのは一体どのくらいいるのだろうか。「○○の日」というのはおしなべて擬制的で居心地の悪いものだが、中でも「父の日」は自分が当時者であるだけに居心地の悪さはひとしおである。親子関係というものを子どもは選択することができない。実は、親にとってもそれは同じことで、子どもを持つことは選択の結果であるとしても、「その子」の親になることは選択の結果ではないのである。生まれてきた「その子」と親子になること、そこに選択の余地はない。近代社会と前近代社会の大きな違いの一つは、人生における選択の拡大であるが(配偶者選択の自由、職業選択の自由、地域移動の自由など)、親子関係に関しては前近代も近代も事情は同じである。しばしば小さな子どもは、自分の要求が通らないときに、「○○ちゃんちの子どもに生まれればよかった」という。売り言葉に買い言葉で、親の方も、「だったら今日から○○ちゃんちの子どもになりなさい」という。しかし、もし「その子」が「○○ちゃんちの子ども」として生まれていれば、「その子」は「その子」ではなく、別の誰かになっていたのであって、「その子」は消滅してしまう。「その子」は「その親」に育てられたから「その子」になったのである。親子関係の非選択性(宿命性)という重いテーマを、われわれは普段はあまり考えないようにしているが、「父の日」「母の日」「子どもの日」「敬老(≒老親)の日」には、どうしたって考えてしまう。近代社会において期待されてきたことは、夫婦関係という選択的関係と親子関係という非選択的関係の組み合わせからなる家族(近代家族)をあたたかな関係、あたたかな場所(家庭)としてイメージし、そのように振舞うことを通して、維持し受容することである。
  昼食をとりながら観始めた映画『群青の夜の羽毛布』(2001)は、DVDのケースの本上まなみの美しさにひかれてレンタルした作品であったが、母と娘の共依存的関係(および精神を病み父親/夫であることをやめてしまった男)を描いた、見応えのある反「父の日」的物語であった。
  DVDを返却しがてら傘を差して散歩に出る。くまざわ書店で以下の本を購入。「シャノアール」で読書。

  柴田元幸編訳『いずれは死ぬ身』(河出書房新社)
  ドン・デリーロ『堕ちてゆく男』(新潮社)
  スティーヴ・ホッケンスミス『荒野のホームズ、西へ行く』(早川書房)

         
              夕食は冷しゃぶ(胡麻だれ、ポン酢で食べる)

6月20日(土) 晴れのち曇り

2009-06-21 10:58:10 | Weblog
  ここ数日、睡眠時間が不規則で、数時間寝て、しばらく活動し、また数時間寝て・・・ということをくり返している。なので今日は何時に起きたというべきなのか、判然としない。朝食は炒飯で、遅い昼食も炒飯だった(残飯がかなりの量あったのだ)。午前中は書類の作成、午後は授業の準備で目を通しておかねばならない文献を、居間で、喫茶店で、書斎で、ひたすら読み続けて、深夜(午前3時を回っていた)にいたった。

         
           一軒の小さな電気工事店が蒲田の街から撤退した。