8時半、起床。
トースト、サラダ(炒り卵、ウィンナー炒め、トマト、レタス)、紅茶の朝食。
母の日に妹が花(百合)と一緒に送ってきたカステラを切る。
11時に家を出て、神楽坂へ。今日は「SKIPA」で句会がある。
第10回の記念すべき句会で、参加者は6名の予定であったが、恵美子さんが数年に一度の高熱を出してダウン、主宰の紀本さんが「SKIPA」まではいらしたものの病院から連絡が入って退席せねばならなくなり、4名という過去最少タイの人数の句会となった。蚕豆さん、あゆみさん、格調低郎さん、そして私(たかじ)である。あゆみさんは去年の8月の句会に初めて参加されて、以後、出産・育児でお休みされていたが、久々の復帰である。
参加者は4名であるが、恵美子さん、紀本さんも参加されるつもりで作品を投句されていたので、特殊ルールであるが、6名の作品(18句)を選考の対象とすることにした。兼題は「日」。
木漏れ日にジンジャーエール午後の風
一難去って日日草(にちにちそう)の花が咲く
麦踏みはへのへのもへじの恋なりき
日清のカップヌードル夏見舞い
母うつる下手な角度とカーネーション
青野そよぐ遠くチャイムに消ゆ昨日
盆の日の寂しく四角食器棚
新緑にスキップあの娘嬉しそう
夏草を南無阿弥陀仏と引き抜けり
ゴミ箱を蹴散らし吠える夏の夜
乳呑み子の瞼に透ける南風
香水がすれ違う踊り場の恋
うつむきし女の吐息夏は来(き)ぬ
約束は黄昏に散る花吹雪
清流に月光透かすクラムボン
五月晴れ仰(の)け反り仰ぐビルディング
いい記憶だけとけていく瓶サイダー
五月雨に日光写真を撮すひと
今回は選考が難しかった。「これで文句なく決まり!」という作品がないのである。着想は面白いなと思っても、推敲が不足しているものが多いように感じた。私自身もそうだが、締め切り間際にあたふたと作って投句した人が多いのではなかろうか。
私は「乳呑み子の・・・」を天(5点)、「盆の日の・・・」を地(3点)、「五月雨に・・・」を人(1点)に選んだ。
さて、結果は・・・。
最高は6点で次の3句。特選が3作品というのは初めてで、飛び抜けて票を集めた作品がなかったことと、やはり選者が4名だけというのが影響しているのだろう。
盆の日の寂しく四角食器棚 あゆみ *たかじと蚕豆がそれぞれ「地」を付けた。
ゴミ箱を蹴散らし吠える夏の夜 紀本直美 *あゆみが「天」、格調低郎が「人」を付けた。
うつむきし女の吐息夏は来(き)ぬ たかじ *あゆみと格調低郎がそれぞれ「地」を付けた。
「盆の日の・・・」は小津安二郎の映画の中に出てくるような光景である。お盆だから都会に出ている子どもたちが帰省してにぎやかになるべきところだが、最近はそういうこともなくなってきたのだろう。笠智衆と東山千恵子の老夫婦が、「あの子らも忙しいのやろう」「そうですねえ」と静かに語り合っている。・・・というのが私の見立てだが、あゆみさんの説明を聞くと、居間の方がにぎやかで(子どもたちは帰ってきているのだ)、台所の方がひっそりしている(食器棚の食器も出払っている)というコントラスを詠んだものらしい。そうなのか。であれば、「寂しく」よりも「静かに」の類の言葉の方がよかったのではなかろうか。もっとも私がこの句を「地」を付けた理由の1つは、「寂しく」と「四角」が韻を踏んでいる点にあったのではあるが。
「ゴミ箱を・・・」は、ゴミ箱が部屋の中のゴミ箱なのか、路上のゴミ箱なのかで解釈が分かれた(作者が不在なので作者の意図はわからない)。私は路上のゴミ箱と解釈して、酔っぱらった人間の姿を思い浮かべていた(格調低郎さんもそう読んだ)。しかし、「天」をつけたあゆみさんは室内のゴミ箱と解釈して、気持ちがムシャクシャした作者が蹴っているのだと考えた。そうすると室内で大きな声を上げていることになるが、そんなことを人は実際にするものだろうか。紀本さんは室内でも路上でもそういう行為をする人のようには見えないが、そういうことをしてみたい気分のときがあるということだろうか。あるいはそいうことをしているのは本人ではなくて、そういう行為をする他者を詠んでいるのだろうか。もちろん私はそんなことをしたことはない。机上の本の山を「クソー!」とかいいながら床に払い落としたこともない。皿を叩き割ったこともない。そういうことをする人はドラマかコントの中でしか見たことがない。つまり、何を言いたいのかと言うと、私がこの句を採らなかったのは、あまりリアリティが感じられなかったからである。
「うつむきし・・・」は私の句で、モデルは「スキッパ」ののんちゃんである。彼女は夏が嫌いで、夏が来ると、「ああ、早く秋にならないかしら・・・」と溜息をつくのである。あゆみさんも、格調低郎さんも、この「女」は美人に違いない、美人でないと作品にならないとの感想を述べていたが、あたっている。蚕豆さんがこの句を採らなかった理由として、「女の吐息」という言葉が演歌の歌詞みたいだからと言っていた。森進一のデビュー曲「女のためいき」(1966)を思い出したのだろう。いまから50年の前の歌である。なお、「夏は来ぬ」は「こぬ」(否定)ではなく「きぬ」(完了)と読んでほしい。「こぬ」では「待ち焦がれている夏が来なくてがっかり」という反対の意味になってしまう。
5月8日撮影
この3句に続くのは、5点を獲得した次の3句である。
母うつる下手な角度とカーネーション あゆみ *蚕が「天」を付けた。
乳呑み子の瞼に透ける南風 あゆみ *たかじが「天」を付けた。
香水がすれ違う踊り場の恋 恵美子 *格調低郎が「天」を付けた。
「母うつる・・・」は私も気になった作品で、選ぼうかどうしようか最後まで迷った。面白いのだが、もう少し手を入れてほしかった。とくに「と」の意図が不明。「の」とすべきところではないか。作者の解説によると、これは母親が自分に送られてきた(子供は他所にいるのだ)カーネーションを抱えてて自撮りをした写真をメールに添付して子供の送ってきたという状況を詠んだものとのことで、実際にその写真を見せてもらった。馴れない自撮りなのでアングルが悪いのである。なるほど。小さな子供が母を撮ったのではなくて、母の自撮り写真だったのか。
「乳呑み子の・・・」はたぶんあゆみさんの作品だと踏んで、出産と句会への復帰のお祝いの意味を込めて私は「天」を付けた。句に挨拶句があるように、選にも挨拶選というものがあってもよいだろう。
「香水が・・・」は、「踊り場」のある場所がキャバレーなのか、会社なのかで全然意味が違ってくる。この句に「天」を付けた格調低郎さんは会社と読んだ。他の三人はキャバレーと読んだ。私なんかはロートレックの描いたポスター画まで思い浮かべた。その道のプロの方たちの恋の話である。オフィスラブなんてことは全然考えなかった。しかし、言われてみれば、十分成立する解釈で、なぜ全然考えなかったのか不思議である。たぶん「踊り場」から「踊り子」を連想しちゃったんでしょうね。
2点を獲得した作品は、
夏草を南無阿弥陀仏と引き抜けり たかじ *蚕豆とあゆみがそれぞれ「人」を付けた。
1点を獲得した作品は、
五月晴れ仰(の)け反り仰ぐビルディング 恵美子 *たかじが「人」を付けた。
「夏草を・・・」は私の句。自宅での草取り作業のときの感想を詠んだ句である。「夏草や」としたいところだったが、最後を「けり」にした関係で(切れ字は一句に一語が原則)、「夏草を」とした。
「五月晴れ・・・」に私は「人」を付けたが、アスファルトの路上であれば、「五月晴れ」という爽やかな言葉よりも、「真夏日や」というギラギラとした言葉の方が、「仰け反る」という少々不自然な動作にふさわしいのではないかと思った。
句会を終えて食事会。私はチキンカレーを注文。
2時ごろ、散会。
次回の句会は7月12日(日)、兼題は「時」と決まった。
紀本さんが置いて行った俳句甲子園をテーマにした「恋の五七五!」という映画のDVDは、格調低郎さんとあゆみさんがジャンケンをして、格調低郎さんが持って帰った。
今日の神楽坂は神楽坂フェスタというのをやっていて、かなりの人出であった。私があゆみさんの写真を撮ろうとしていたら、外国人の観光客(だろうか)があゆみさんの横に並んだ(笑)。しかも、あゆみさん、それが嬉しかったらしい(笑)。
私はその足で病院に母を見舞う。今日は妹夫婦も見舞いに来ていた。
病院からの帰り道、花屋でクロサンドラという初めて耳にする名前の花を三鉢買って帰る。
夕食は秋刀魚の丸干し、がんもどきと若芽の煮物、茄子のみそ汁、ポテトサラダ、・・・
そして青豆ごはん。
句会の話に戻るが、私の投句した3句の中で選にもれた一句は、
一難去って日日草(にちにちそう)の花が咲く たかじ
作者としてはこれが一番思い入れのある句だったが、みなさん、日日草をご存じなかった。いや、日日草自体はどこかで目にしているはずだから、その名前をご存じなかったというべきだろう。小さくて、色とりどりのかわいらしい花で、フラワーポットに植えられているのを街角でよく見かける。一輪一輪は長くは咲いてはいないけれど、たくさん、次々と咲くので(そこから日日草という名前が付いたのだろう)、初夏から秋まで楽しませてくれる。