フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

5月20日(水) 晴れ

2015-05-21 15:50:20 | Weblog

7時半、起床。

トースト、サラダ(鶏のササミ、トマト、レタス)、(昨夜の残りの)豚汁の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

10時半から大学院の社会学コース会議。『文学研究科紀要』に掲載する論文の募集があったので、手を挙げる。「清水幾太郎における社交と孤独」というタイトルを考えている。以前からの研究テーマである「清水幾太郎」と最近の関心である「社交」(それと表裏一体の「孤独」)を結びつけた論文である。清水の実質的な最後の著作である『社交学入門』を取り上げて、あれこれ論じてみたい。締め切りは9月24日だが、間際になってばたばたしないように、8月末を自分の中での締め切りとして設定しておこう。

フリーライターの秋山千佳さんが研究室にやってくる。今週発売となる彼女の新著(初めての単著)『戸籍のない日本人』(双葉新書)を頂戴する。これから読ませていただくので、内容の紹介や感想はまだ書けないが、「戸籍がない」という事態がなぜ生じ、「戸籍がない」とどういう不都合が生じるのか、すぐに答えられる人は少ないだろう。しかも戸籍のない人(日本人)は推定で1万人以上もいるそうである。この謎と事実に関心を持った(「えっ?!」と思った)人はぜひ本書を手にとってもらいたいと思う。

本を頂戴したお礼に昼食とお茶にお誘いする。「たかはし」で食事をして(私は豚肉しょうが焼き定食、彼女は刺身定食)、

「カフェゴトー」でお茶とケーキを食べた。

今日はいつもより少し早い時間に病院へ母を見舞う。

ちょうど夕食の時間(6時から)だったが、例によって母は食欲がない、野菜と豚肉の炒め物は私が少し食べた。

帰宅すると、玄関先にガマ蛙がいた。うちの庭の住人だ。先日、草取りをしているときに、ドクダミの草むらから飛び出してきたやつに違いない。雑草を刈ってしまったので、居場所を失ってどこかへ行ってしまったかと心配(?)していたが、まだ我が家の敷地内にとどまっていたようである。眺めていたら、野良猫のなつがやってきたので、ここにいては騒動になると思い。ひょこっと持ち上げて(最初、足をばたばたして、いやいやをしていたが、すぐにおとなしくなった)、比較的草の深い場所に放してやる。そして上からジョウロで水をかけてやった。たくましく生きていってほしい。

夕食は豚しゃぶ。今日は昼も夜も豚肉だ。病院食の豚肉も含めると、3度の豚肉である。ブー、ブー、ブーのポンだ。

深夜、雷雨と地震があった(らしい)。あのガマ蛙はどうしているだろうか。


5月19日(火) 曇り

2015-05-20 12:52:02 | Weblog

8時、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

9時半に家を出て、大学へ。

2限は演習「個人化の社会学」。グループ報告とディスカッション。

昼食は研究室でコンビにおにぎり2個。3個食べたいところだが、3限が講義なので、頭の働きが鈍くならないように腹7分目くらいにしておく。3限という時間は昼食休憩の直後ので、居眠りをする学生も多い時間帯。せめて教員だけは覚醒していなければならない。

 

講義を終えて、銀行(みずほ銀行早稲田支店)に通帳の再発行の手続きに行く。だいぶ前に通帳(私の小遣い用の口座)が行方不明になり、家の中のどこかにあるのではないかとは思うものの、外で紛失した可能性も否定できないので、通帳は使用停止にしてある。そのうちひょっこり出てくるだろうと思っていたら、いつになっても発見されない。引き下ろすのはカードがあればいいが、さすがに振込み状況などを記帳して確認できないというのは不便なので(わずかだが印税などがときどき入金されるのである)、手数料千円を払って、再発行してもらうことにした。30分ほどかかって再発行手続き終了。今度は失くさないようにしなくちゃ。

5限は3年ゼミの発表の事前相談(H君とK君)。金曜6限の3年ゼミは先週から本格的な発表とディスカッションが始まったが、初回を観る限り、出席した全員が発言し、活発に行われた。「全員」というのがなかなかすごいことで、全体の印象としては活発でも、発言する人としない人がいるというのでは、ゼミとしてはいまひとつなのである。5限の3年・4年合同ゼミでは4年生の迫力(あるいは図々しさ)に押されておとなしかった3年生だが、自分たちだけになると本領を発揮した。これからが楽しみなゼミ7期生たちである。

6時過ぎに大学を出て、帰宅する前に、病院に母を見舞う。今日は昼間に妻が、夕方に友人のSさん(と娘さん)が来てくれた。いただいたスイカを食べたせいもあって、夕食は食べたくないというので、私がおかずの鮭の西京焼きを食べた。看護師さんが片付けに来たときに、「あら、今日はずいぶんお食べになりましたね」という顔をしたので、手をあげて、「私が食べました」と申告した。「私が切りました」と桜の木を切ったことを告白したワシントンのように。「あら」と彼女は笑った。

8時半ごろ、帰宅。夕食はカツオの刺身と豚汁。

ゼミ5期生のMさんから絵葉書が届いていた。台湾限定の「ワンピース」の絵葉書である。なるほど、台湾仕様である。台湾旅行のお土産ではなく、彼女が就職した会社が作っている商品だそうである。最近、一ヵ月半にわたる研修を終えて、今週から本社勤務が始まるとのこと。近々、蒲田で会うことになるだろう。今週末に5期生のSさん、Kさん、Uさんの公務員3人組が研究室に来ることになっており、5期生たちとの再会のシーズンがやってきたというところだろうか。

ゼミ2期生のえみさんからメールが届き、「本日、婚姻届を提出したことをご報告いたします」と書いてあった。書き方が、なんだか、学生がレポートを事務所に提出しましたというような感じで、可笑しかった。えみさんとは先月のりょうこさんの結婚式のときに会っている。そのとき彼女が「今度先生の研究室におじゃましてもいいですか」と言っていたので、結婚の話かなと思ってはいたが、そういうことだったのね。おめでとう、えみさん。ちなみに本日はえみさんの誕生日でもある。妻の誕生日に入籍するというのは若い人たちの間では普及している行為のようである。ほかには二人が付き合い始めた記念の日というのもあるようである。

ゼミ2期生はなんだか結婚シーズン到来の気配である。


5月18日(月) 曇り

2015-05-19 09:04:21 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ(トマト、レタス)、紅茶の朝食。

長年使っているケータイ(いわゆる「ガラケー」)だが、経年変化に加えて、何度も床に落としているため、ボロボロである。そろそろ買い換えるべき時がきたようである。でも、スマホは必要を感じていない。あれば便利なのかもしれない。しかし、「あれば便利」という基準は「単純な生活」というモットーとは調和しない。スマホは、それに親しんでしまった人には「なくては困るもの」なのであろうが、これまでスマホなしで生活している私には「なくて困るもの」ではない。スマホがなくて困ったことは一度もない。あるとすれば、私のケータイがガラケーであることを知らずに、サイズの大きな写真をメールに添付してくる人がいて、それが開けないときくらいである。私はそのとき、「ガラケーのバカヤロー」とは決して言わず、「××のバカヤロー」と送信相手をなじるのである。

玄関脇で、赤いカーネーションに混じってピンクのカーネーションが一輪咲いている(右上の鉢)。こういうのはメンデルの法則から説明できるのかしら。

昼食は、久しぶりに、本当に久しぶりに、「鈴文」に食べに行く。

私がメニューを見て、注文を考えていると、馴染みの女店員さんが「ランチのとんかつ(ロース)でしょ?」と言ったので、もったいぶるのはやめて、「はい、それです」と答える。久しぶりなんだから、素直にいっておこう。

七切れのとんかつを、右から(大きなほうから)、レモンと塩で二切れ、醤油で二切れ、最後の小さな三切れをとんかつソースと辛子で食べた。美味かった。心を入れ替えて、今後は月に一度は来ようと思った。

食後のコーヒーは「グッディ」で。

コーヒーを飲みながら日記をつける私の隣の席で、中年の女性が会計士さんか税理士さんと遺産相続の相談を熱心にしていた。

3時過ぎに妻がジムから帰ってきたので、一緒に病院に母を見舞いに行く。

われわれが行く前に近所のWさんが見舞いに来てくれていて、2時間ほど話し込んでいったそうなので、われわれは1時間ほどおしゃべりをして帰ってきた。母が普段より元気に話をしていたので、「今日は元気がいいじゃありませんか」と言うと、「せっかく見舞いに来てくれているのだから、元気に振舞っているのですよ」と母は答えた。そういう気遣いができているうちは大丈夫であろう。

帰りに朝食用のパンを買う。

少し早いけれど、夕食を食べて帰ろうかということになり、「琵琶湖」へ行く。「タモリクラブ」でおなじみの喫茶店である。

私は海老ドリア、妻はチキンドリアを注文。

早い夕食だったので、後からお腹が経るかもしれないと考えて、「藤肥軒」で和菓子を買っていくことにする。

帰宅して、さっそくお茶を入れて、買ってきたばかりの豆大福(妻)と苺大福(私)とみたらし団子(二人で一本ずつ)を食べる。

深夜、強い雨が降った。


5月17日(日) 晴れ

2015-05-18 21:30:54 | Weblog

8時半、起床。

トースト、サラダ(炒り卵、ウィンナー炒め、トマト、レタス)、紅茶の朝食。

母の日に妹が花(百合)と一緒に送ってきたカステラを切る。 

11時に家を出て、神楽坂へ。今日は「SKIPA」で句会がある。

第10回の記念すべき句会で、参加者は6名の予定であったが、恵美子さんが数年に一度の高熱を出してダウン、主宰の紀本さんが「SKIPA」まではいらしたものの病院から連絡が入って退席せねばならなくなり、4名という過去最少タイの人数の句会となった。蚕豆さん、あゆみさん、格調低郎さん、そして私(たかじ)である。あゆみさんは去年の8月の句会に初めて参加されて、以後、出産・育児でお休みされていたが、久々の復帰である。

参加者は4名であるが、恵美子さん、紀本さんも参加されるつもりで作品を投句されていたので、特殊ルールであるが、6名の作品(18句)を選考の対象とすることにした。兼題は「日」。

  木漏れ日にジンジャーエール午後の風

  一難去って日日草(にちにちそう)の花が咲く

  麦踏みはへのへのもへじの恋なりき

  日清のカップヌードル夏見舞い

  母うつる下手な角度とカーネーション

  青野そよぐ遠くチャイムに消ゆ昨日

  盆の日の寂しく四角食器棚

  新緑にスキップあの娘嬉しそう

  夏草を南無阿弥陀仏と引き抜けり

  ゴミ箱を蹴散らし吠える夏の夜

  乳呑み子の瞼に透ける南風

  香水がすれ違う踊り場の恋

  うつむきし女の吐息夏は来(き)ぬ

  約束は黄昏に散る花吹雪

  清流に月光透かすクラムボン

  五月晴れ仰(の)け反り仰ぐビルディング

  いい記憶だけとけていく瓶サイダー

  五月雨に日光写真を撮すひと

今回は選考が難しかった。「これで文句なく決まり!」という作品がないのである。着想は面白いなと思っても、推敲が不足しているものが多いように感じた。私自身もそうだが、締め切り間際にあたふたと作って投句した人が多いのではなかろうか。

私は「乳呑み子の・・・」を天(5点)、「盆の日の・・・」を地(3点)、「五月雨に・・・」を人(1点)に選んだ。

さて、結果は・・・。

最高は6点で次の3句。特選が3作品というのは初めてで、飛び抜けて票を集めた作品がなかったことと、やはり選者が4名だけというのが影響しているのだろう。

  盆の日の寂しく四角食器棚  あゆみ   *たかじと蚕豆がそれぞれ「地」を付けた。

  ゴミ箱を蹴散らし吠える夏の夜  紀本直美  *あゆみが「天」、格調低郎が「人」を付けた。

  うつむきし女の吐息夏は来(き)ぬ  たかじ   *あゆみと格調低郎がそれぞれ「地」を付けた。

「盆の日の・・・」は小津安二郎の映画の中に出てくるような光景である。お盆だから都会に出ている子どもたちが帰省してにぎやかになるべきところだが、最近はそういうこともなくなってきたのだろう。笠智衆と東山千恵子の老夫婦が、「あの子らも忙しいのやろう」「そうですねえ」と静かに語り合っている。・・・というのが私の見立てだが、あゆみさんの説明を聞くと、居間の方がにぎやかで(子どもたちは帰ってきているのだ)、台所の方がひっそりしている(食器棚の食器も出払っている)というコントラスを詠んだものらしい。そうなのか。であれば、「寂しく」よりも「静かに」の類の言葉の方がよかったのではなかろうか。もっとも私がこの句を「地」を付けた理由の1つは、「寂しく」と「四角」が韻を踏んでいる点にあったのではあるが。

「ゴミ箱を・・・」は、ゴミ箱が部屋の中のゴミ箱なのか、路上のゴミ箱なのかで解釈が分かれた(作者が不在なので作者の意図はわからない)。私は路上のゴミ箱と解釈して、酔っぱらった人間の姿を思い浮かべていた(格調低郎さんもそう読んだ)。しかし、「天」をつけたあゆみさんは室内のゴミ箱と解釈して、気持ちがムシャクシャした作者が蹴っているのだと考えた。そうすると室内で大きな声を上げていることになるが、そんなことを人は実際にするものだろうか。紀本さんは室内でも路上でもそういう行為をする人のようには見えないが、そういうことをしてみたい気分のときがあるということだろうか。あるいはそいうことをしているのは本人ではなくて、そういう行為をする他者を詠んでいるのだろうか。もちろん私はそんなことをしたことはない。机上の本の山を「クソー!」とかいいながら床に払い落としたこともない。皿を叩き割ったこともない。そういうことをする人はドラマかコントの中でしか見たことがない。つまり、何を言いたいのかと言うと、私がこの句を採らなかったのは、あまりリアリティが感じられなかったからである。

「うつむきし・・・」は私の句で、モデルは「スキッパ」ののんちゃんである。彼女は夏が嫌いで、夏が来ると、「ああ、早く秋にならないかしら・・・」と溜息をつくのである。あゆみさんも、格調低郎さんも、この「女」は美人に違いない、美人でないと作品にならないとの感想を述べていたが、あたっている。蚕豆さんがこの句を採らなかった理由として、「女の吐息」という言葉が演歌の歌詞みたいだからと言っていた。森進一のデビュー曲「女のためいき」(1966)を思い出したのだろう。いまから50年の前の歌である。なお、「夏は来ぬ」は「こぬ」(否定)ではなく「きぬ」(完了)と読んでほしい。「こぬ」では「待ち焦がれている夏が来なくてがっかり」という反対の意味になってしまう。


5月8日撮影

この3句に続くのは、5点を獲得した次の3句である。

  母うつる下手な角度とカーネーション  あゆみ  *蚕が「天」を付けた。

  乳呑み子の瞼に透ける南風  あゆみ  *たかじが「天」を付けた。

  香水がすれ違う踊り場の恋  恵美子  *格調低郎が「天」を付けた。

「母うつる・・・」は私も気になった作品で、選ぼうかどうしようか最後まで迷った。面白いのだが、もう少し手を入れてほしかった。とくに「と」の意図が不明。「の」とすべきところではないか。作者の解説によると、これは母親が自分に送られてきた(子供は他所にいるのだ)カーネーションを抱えてて自撮りをした写真をメールに添付して子供の送ってきたという状況を詠んだものとのことで、実際にその写真を見せてもらった。馴れない自撮りなのでアングルが悪いのである。なるほど。小さな子供が母を撮ったのではなくて、母の自撮り写真だったのか。

「乳呑み子の・・・」はたぶんあゆみさんの作品だと踏んで、出産と句会への復帰のお祝いの意味を込めて私は「天」を付けた。句に挨拶句があるように、選にも挨拶選というものがあってもよいだろう。

「香水が・・・」は、「踊り場」のある場所がキャバレーなのか、会社なのかで全然意味が違ってくる。この句に「天」を付けた格調低郎さんは会社と読んだ。他の三人はキャバレーと読んだ。私なんかはロートレックの描いたポスター画まで思い浮かべた。その道のプロの方たちの恋の話である。オフィスラブなんてことは全然考えなかった。しかし、言われてみれば、十分成立する解釈で、なぜ全然考えなかったのか不思議である。たぶん「踊り場」から「踊り子」を連想しちゃったんでしょうね。

2点を獲得した作品は、

  夏草を南無阿弥陀仏と引き抜けり  たかじ  *蚕豆とあゆみがそれぞれ「人」を付けた。

1点を獲得した作品は、

  五月晴れ仰(の)け反り仰ぐビルディング  恵美子  *たかじが「人」を付けた。

「夏草を・・・」は私の句。自宅での草取り作業のときの感想を詠んだ句である。「夏草や」としたいところだったが、最後を「けり」にした関係で(切れ字は一句に一語が原則)、「夏草を」とした。

「五月晴れ・・・」に私は「人」を付けたが、アスファルトの路上であれば、「五月晴れ」という爽やかな言葉よりも、「真夏日や」というギラギラとした言葉の方が、「仰け反る」という少々不自然な動作にふさわしいのではないかと思った。  

 句会を終えて食事会。私はチキンカレーを注文。 

2時ごろ、散会。

次回の句会は7月12日(日)、兼題は「時」と決まった。

紀本さんが置いて行った俳句甲子園をテーマにした「恋の五七五!」という映画のDVDは、格調低郎さんとあゆみさんがジャンケンをして、格調低郎さんが持って帰った。

今日の神楽坂は神楽坂フェスタというのをやっていて、かなりの人出であった。私があゆみさんの写真を撮ろうとしていたら、外国人の観光客(だろうか)があゆみさんの横に並んだ(笑)。しかも、あゆみさん、それが嬉しかったらしい(笑)。

私はその足で病院に母を見舞う。今日は妹夫婦も見舞いに来ていた。

病院からの帰り道、花屋でクロサンドラという初めて耳にする名前の花を三鉢買って帰る。

夕食は秋刀魚の丸干し、がんもどきと若芽の煮物、茄子のみそ汁、ポテトサラダ、・・・

そして青豆ごはん。

句会の話に戻るが、私の投句した3句の中で選にもれた一句は、

  一難去って日日草(にちにちそう)の花が咲く  たかじ

作者としてはこれが一番思い入れのある句だったが、みなさん、日日草をご存じなかった。いや、日日草自体はどこかで目にしているはずだから、その名前をご存じなかったというべきだろう。小さくて、色とりどりのかわいらしい花で、フラワーポットに植えられているのを街角でよく見かける。一輪一輪は長くは咲いてはいないけれど、たくさん、次々と咲くので(そこから日日草という名前が付いたのだろう)、初夏から秋まで楽しませてくれる。


卒業生のみささん(論系ゼミ二期生)と会う *5月12日(火)

2015-05-18 01:49:58 | Weblog

2限の演習「個人化の社会学」、3限の講義「現代人のライフスタイル」、4限のゼミ論指導(4年生のA君)の後、午後4時に卒業生のみささん(論系ゼミ二期生)が研究室にやってきた。彼女とは4月18日にりょうこさん(同じく論系ゼミ二期生)の結婚式で会ったばかりであるが、今週末に別の友人の結婚式に出る予定があるとかで、夫の赴任先である中国にはすぐには戻らず、そのまま日本に(横浜の実家に)滞在しているのである。

お土産にいただいたどら焼きを食べながらしばらく研究室でおしゃべりをする。

いまお祖母様(みささんのお母さんのお母さん)がご病気で、お母様は病院や施設との交渉で大変に苦労されているという話を聞いた。お父様は海外に単身赴任中なので、そうしたことをすべてお母様一人でしなくてはならない。親が重い病気になっていること自体がすでにつらいことで、それに加えてそうしたマネジメントをしなくてはならないというのはストレスフルであろう。1年前のみささんの結婚式でお母様とはお会いしているから、他人事とは思えない。みささんとしてもお母様の話を聞いてあげることしかできず、すぐにまた中国に戻ってしまうことが申し訳ない気持ちでいっぱいである。

写真では笑顔の彼女だが、そういう話を研究室ではした。

 「カフェ・ゴトー」でお茶でもしましょうと研究室を出る。

工事が終わったキャンパスを見るのは初めてのみささん。彼女が在学中はずっと工事中であった。

幅広のスロープ!

「カフェ・ゴトー」では結婚式のときの写真集を見せてもらった。プロの人が撮った沢山の(1000枚くらい!)写真の中から選りすぐりの写真で構成した記念の写真集である。これはコンパクトサイズだが、二人の元には大判のものがあるという。

お気に入りの一枚は控室でイヤリングを付けているところを(本人は気づかずに)撮られた写真。鏡に映った彼女を背後から撮ったもので、だから自然なポーズと表情をしているわけだが、鏡像であるから左右が逆になっていて(たとえば髪の毛の分け目やほくろの位置が違う)、見る人が見ればそれがわかるようになっている。

ケーキはバナナタルトとあんずのフランのハーフ&ハーフ。みささんはやっぱり交互に食べていました。

中国にはあと2年ほどいることになるらしい。どうぞお元気で。

でも、外国にいる卒業生の方が何かで一時帰国する度に会ったりしているから、むしろ会う頻度は他の卒業生よりも多いような気がするね(笑)。